猫だから

2004年9月。
変な模様のあんまり可愛くない子猫が迷い込んできた。
予想通り溺愛する自分にあきれつつ。

立ち会えなかったとしても

2021-02-16 22:11:06 | 
飼い犬や飼い猫の最後を看取るか看取らないか、というのはデリケートな問題で

どちらがどうと言えないことだ。

これまで、飼い犬の最後はすべて家で看取ってきた。

が、完全に看取ったと言い切れるのは半分だ。

今夜が危ない、とわかって近くで仮眠を取っているうちに旅立った子もいれば

その瞬間まで完全に看取った子もいる。

3年近く前、退院の後でもう長くないだろうと思って

家で看取りたいと思っていた猫。

だが、いざとなると病院に連れて行けば奇跡的に持ち直すのではないかと迷いが出て

結局、病院に連れて行き24時間体制の病院だったが

病院内での待機は許可されず、家に戻って数時間後。

夜中の3時に電話があった。

(間に合って欲しい)

10分ほどでタクシーは着いたが、もう事切れていた。

だから病院にいさせて欲しいと言ったのに。

もと早く連絡をくれれば良かったのに。

間に合わなかったじゃないか。

医師を責め、何より自分を責めた。

目を閉じさせられませんかと聞くと、処置で憔悴した医師は

「申し訳ないですが、このままです」と答えた。

誰を責める筋ではないことも責めても仕方のないことも分かっていた。

病院の厚意で、しばらく開いた処置室に猫とわたしだけでいた。

ずっと抱いていて、ふと顔を見るともう目を閉じていた。

お利口だね、本当に。

数日後、知人の猫が自宅で息を引き取ったと聞いた。

その瞬間の苦しんだ顔と、かっと見開かれた目が忘れられないと知人は何度も言った。

わたしは、その後の眠ったような顔しか覚えていない。

臨終に間に合いたかったという気持ちもあったけれど、今では

脆弱なわたしへの最後の思いやりだったと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする