170903 AIと人の共生? <AIの指示で働けますか・・>を読んで
やはり少々疲れが溜まっていたようで、今朝は6時過ぎに目覚めました。なにか音がするとベランダの方に目を向けると、ヒヨドリがちょこんと天端に止まっています。なにかベランダの下にあるのかなとみたのですが、見当たりません。でも部屋の中にはバッタの死骸が。どうやってここまで飛んできたのかと不思議に思いながら、再び顔を向けるとさっとヒヨドリが飛び立っていきました。
そういえば先日は少し紺色がかかった鳥がBSアンテナのところに止まっていました。ルリビタキかと思ったのですがちょっと違うかな、すぐに飛んでいったのではっきりしません。
その後も小鳥のように活発には動けず、頭もはっきりせず、ボッとしていたら、この新聞記事が目にとまりました。人間はちょっと作業が続くと、途端に能率が悪くなるし、ミスも多くなる(出張中はとくにそうでした)というのを痛感しましたので、AIが今後活躍し出すと、人はどういう働き方をするのか、いや、AIに指示され、統御されて働くようになるのか、ちょっと興味を覚えたのです。
毎日記事<アクセスAIの指示で働けますか 業務効率アップ助言 痛烈ダメ出しも>では、<人工知能(AI)活用を目指す企業が増えている。人の判断を補ったり単純作業を代行したりするだけでなく、人の仕事のやり方を分析し、効率アップの方法をアドバイスするAIも登場。残業を減らす「働き方改革」にも資すると期待される。>としつつ、中村あかね記者は<「同僚はAI」という日も遠からず来そうだが、それで私たちは幸せになるのだろうか。>と私たちの幸せのありかをあえて取り上げています。
記事では<AIなどに代わられやすい職業、代わられにくい職業は?>ということで、製造・作業、事務・管理、運輸・配達、専門技術、清掃・警備の一部は前者に、医師・助産婦などから美容師、俳優、まんが家など、どちらかというと創造的な・あるいは人と接触する仕事を行う職業を後者としています。
たしかにそういう側面もあるでしょう。ただ、前者とされた職業でも、人しか行えない作業領域は残るでしょう。他方で、後者とされた職業でもAIにかなりの部分を委ねる作業領域が出てくるように思います。ある意味ではAI、それと提携する?ロボット、IoTなどにより、どのような職業も大きく仕事の在り方、働き方、あるいは生き方に変容を迫られる可能性があると思うのです。
たとえば士・師業は創造性・裁量性・複雑性などで、AIの進出からバリアがあるかというと、それはあまり考えにくいと思っています。医師の仕事では、高度の知見と判断能力に加えて人の体全体を総合的に見る診察力が必要でしょうが、そのかなりの部分をAIは代替しうる可能性があるように思うのです。ディープランニングを取り入れて、高度の専門技術を持つ医師の仕事を学び、AIの能力とすることはある程度まで可能になるのではと思っています(さすがに完全にとは思いませんが)。
すでに遠隔操作を通じて、高度な専門技術を持つ医師が孤島の患者に対して診察・治療の一部を行っていると思います。それもノウハウがAI,IoTに取り込まれるようになれば、一般の医師でもある程度まで、その領域に近い医療を実施できるようになる可能背があると思うのです。
それは弁護士のような仕事でも同様かなと思うのです。弁護士の仕事を一般化するのは容易ではないですが、基本は問題のある事実を証拠で認定し、それを法令や裁判例を基準にしてその問題の解決を図るといった基本的な工程は通常とられている方法と思います。その作業の多くをAIの技術はかなりカバーするのではないかと思っています。いまウェブ上にあるような情報は基本情報にすぎませんが、AIとディープランニングにより生まれた実践的な判断は、具体的事案に問題解決能力を発揮するように思うのです。
事実認定は難しいかもしれませんが、情報はスキャンした書類に電子記録、そして人の供述はテープを電子反訳機能で文書化するなど、さらには3D画像で現場の再現を加えれば、かなりの部分で、事実の認定はAIの方がより優れたものになり得る可能性があります。
法令・裁判例の分析と事実への適用も、難しいようで、ディープランニングにより裁判例の情報を学んだり、有能弁護士の判断過程を学んだりすれば、かなりの程度でカバーできるのではと思うのです。
すると弁護士という職業、いや裁判官、検察官という職業も危うくなるか、といった不安はいまのところないのでしょう。なぜか、人間の情緒というか正義感てきなもの、最終的な判断そのものはまだ、それぞれの法曹3者に委ねられそうに思うのです。
それにしても、AIの進出はきっとますます強力な力を発揮するようになることは間違いないと思うのです。それが一人の、あるいは少数の意欲的な人たちによって突然、独創的な領域を作り上げたとき、それは突然変異のようなAIが人を動かすものになるおそれを、いつか懸念する自体になるかもしれません。
その前に、AIによって現在の仕事を奪われる人は相当数でてくる可能性があります。それは工業化、技術革新の必然でしょう。人間が新たな便利さ、豊かさを求める本質をもつ以上、避けて通れない道ですね。
<人は働くことで、食いぶちだけでなく自己肯定感も得ている。日本では少子化で急減する労働人口をAIが補うという楽観論もあるが、AIに仕事を奪われ生きる意味も見失ったと感じる人も出てきかねない。
「仕事以外で他人に認められたいという承認欲求をどう満たすのか」と山川さんは難題を提起する。ボランティア、趣味、ネット上での自己発信……。「いま定年退職者がぶつかっている壁に、将来、若い世代もぶつかることになる」と言う。「今の世は働かない人を冷遇するが、いろんな生き方を認める社会にしなければなりません」
幸せとは。生きるとは……。AIは根源的な問いを突きつけてくる。>
働くということ自体の性格が変わってくるかもしれません。働くと遊ぶ、生きる、それぞれの概念の境が揺れ動いてく可能性があり、それに対応する意識改革も必要ではないかと思うのです。
ちょうど一時間です。今日はこの辺でおしまい。