170917 障がいとともに <盲ろうの東大教授 命の選別、許さない、盲ろうと生きて>を読んで
台風18号が気になったのか、夜中に目が覚めたのですが、昨夕の激しくなりそうな雨風はすでになく静寂さが漂っていました。杉木立もヒノキの林もほとんど揺れていません。遠くに街路の灯りが点在しているものの、通りは雨脚も見えず、むろん人気もありません。
TVをオンして気象予報を見ると、当地は雷雨注意報程度で、台風の影響があるのは今日の深夜くらいでしょうか。安心というか、気抜けした感じになりました。朝も同様に閑静な雰囲気で、ただ時折野鳥が飛び交う程度で、空の様子も晴れ間が少し出ていたり、雲の流れも穏やかな感じです。といってもニュースを見ると上陸した九州では避難勧告がでていたかと思いますが、降雨量も時間70mmとか80mmとか、最大風速も40m以上とかですから、大変でしょうね。
TV画像に映っている人々の様子は準備万端なのか、たまたまかもしれませんが、さほど不安な印象を受けませんでした。災害列島日本に住む以上は、このぐらいは当たり前と思わないといけないのかもしれません。縄文時代から1万年以上、そういう生活を繰り返してきたのですから、異常気象といっても、体に連綿と伝わっている感覚を信じれば、ほんとは耐えられるものなのかもしれません。
そんな思いを抱きながら、新聞を読んでいました。最初見過ごしたのですが、<ストーリー盲ろうの東大教授(その1) 命の選別、許さない><(その2止) 盲ろうと生きて>は、その本当の苦労やつらさがわかるわけではありませんが、とても感激してしまいました。
私自身、仕事で全盲の方や重度の知覚障害の方、精神障害の方など、四肢の障害のある方などさまざまな方のために業務を行ったことがあり、多少は理解しているつもりですが、実際のところは生活を共にしていないのですからわかるはずがありません。それでもできるだけ理解しようと努めてきました。今取り扱っている仕事で、ろうあ者の方ですでに亡くなった後、その生前に行われた取引について調査を行っています。
その中で、戦前のろうあ者の方がいかに処遇されたか、とりわけ教育面では、ろう学校もほとんどなく、わずかなろう学校でも手話教育が制限され、無理矢理発声を強制されたことが記されています。ろう学校がわずかしかなかったので、ほとんどのろうあ者の方が家族以外だれとも意思疎通できず孤独の日々を送り、生きがいというものを見いだすことが困難だったことを感じてきました。それは家族の証言だけでなく、近隣の方などの証言も、ほとんど姿を見たことがないとか、家族でも意思疎通の方法を相互がわからないので、自然に一人になっていったのだと思います。両親が健在のときは、いろいろ面倒をみてあげ、できなくてもその子の名前を覚えさせようと、紙に漢字で書いて、なんとか習得させようともしたのでしょうが、結局実らなかったそうです。きちんとした教育で手話を学校で教える現在でもなかなか容易でないのに、素人の親にとっては酷な事だったのでしょう。
でも、この記事で登場する<全盲ろうの東大教授、福島智氏>は、現代でも学習困難な障がいを克服して、全盲ろう者として、その障がいとともに生きる道を啓蒙しているのです。
<福島さんは病気から9歳で失明、18歳で原因不明のまま聴力を失った「全盲ろう」の重複障害を持つ。>後天性とはいえ、普通なら絶望しそうな状態かもしれません。福島氏自身も、<全盲ろうとなった時、福島さんは「宇宙に一人漂っているような絶望」に陥ったという。>全盲も大変ですが、点字などができなくても、結構コミュニケーションがとれるので、按摩などの仕事に就いている方は特に、その障がいを乗り越える意欲を感じます。
でも、福島氏のように、ろう者となると、これは人間としては外から完全に遮断された世界に閉じ込められた感覚になるのではと思います。ただ、福島氏は元々耳は聞こえていたし、会話もしっかりできていたでしょうから、聴力を失った18才の時点で、発語力は残っていたのでしょうね。でも自分が発声しても、聞こえないと意味をなさないというか、コミュニケーション手段とはなりにくいでしょうね。福島氏は<「『見えない』『聞こえない』より、コミュニケーションの手段がなくなったことで完全な孤独を感じました」>といっていますが、それは地獄のような試練ではないでしょうか。
でも母親は強いですね。きっと母子の強い結びつきが福島氏を立ち直らせたのだと思います。<母の令子さん(84)が生み出した「指(ゆび)点字」というコミュニケーション手段を得て、1983年に盲ろう者として日本で初めて大学に進学。バリアフリーの研究者を志すようになり、これも盲ろう者として初めて常勤の大学教員になった。>
この「指点字」というのは初めて知ったのですが、次第に広がっているようですね。たしかに点字でコミュケーションをとるのは簡単ではないですが、指を通じてだったら対話の相手と直接触れあう分けですから、それは有効な手段になるでしょう。
その様子を記事は母子の経験を通して次のように述べています。
<皿洗いをしていた令子さんのいる台所に、福島さんがいらついた様子で入ってきた。このころ、令子さんは点字タイプライターを使って紙に点字を打ち出し、福島さんがそれを触って読み取る形で会話をしていたが、近くにタイプがなかった。ふと思いつき、福島さんの両手の上に指を重ねて点字タイプを打つ仕草をしてみた。 >偶然だったんですね。でも母の愛情を強く感じさせてもらいました。
指点字がどんな仕組みかについて、<点字は、縦3列、横2列、計六つの点の並びで文字を表す。例えば、左上だけ出っ張り(突点)があれば「あ」になる。点字タイプはそれぞれの点に対応するキーが六つ並び、左右の人さし指と中指、薬指の計6本で打つ。そのキータッチの要領で各指を押したのだ。 >残念ながら、私は点字タイプのこともよくわかっていないので、このキータッチの要領と言われても、合点がいきませんでしたが、福島氏はそれまでにしっかり点字を身につけていたから(母親も)、指だけでわかったのでしょう。
<さ・と・し・わ・か・る・か>
<令子さんは「バカにするな」と怒られるかと思ったが、福島さんは上目遣いでニヤッと笑った。「分かるで」。新たなコミュニケーション手段「指点字」が生まれた瞬間だった。>
そしてこれは広がっていくのですね。<自宅療養を終えて盲学校に戻ると、仲間たちが早速、指点字で話しかけてくれた。<待ってたのよ><どこか飯でも食いに行こうぜ>。孤独から解放された。>
こんな素晴らしい対話こそ、人間の魅力ではないでしょうか。
そして指点字が進化し、<「指点字通訳」>も生まれたというのです。そして盲ろう者サポートは、福島氏の大学進学の道を開き、さらに<91年には、歩む会を母体として社会福祉法人「全国盲ろう者協会」が発足し、通訳者派遣事業などが全国に広がった。>
そして福島氏は全盲ろうの障がいを克服して大学に入学し、大きな評判を勝ち得たのです。<福島さんが盲ろう者として初めて大学に進学した時、マスコミから「日本のヘレン・ケラー」などと持ち上げられた。だが本人は、それを重荷に感じていたという。2003年4月には米誌タイムが「アジアの英雄」として29個人・団体を選び、福島さんは松井秀喜さん、坂本龍一さんらと名を連ねた。>
でも絶頂というか上り調子の時になにかが起こるのも人間の縮命かもしれません。<研究面でも移籍した東京大先端科学技術研究センターでプロジェクトを任され、さらなる活躍が期待された時、体調に異変が起きた。不意にめまいがし、ふらふらするのだ。>
<2年後、たどり着いたストレス外来で診断されたのが「適応障害」。ストレスが原因で感情や行動が制御しづらくなり、社会生活に支障をきたす精神疾患だ。日ごろの疲労や人事を巡る問題で、精神的な負担が積み重なったらしい。見えなくなっても聞こえなくなっても乗り越えてきたから精神は強い、と自負していたが、意思の力とは違うところで脳は影響を受けるのだと実感した。適応障害は断続的に再発しており、つらい時は大学を数カ月休んでいる。>心の病はとてもつらいでしょうね。
でも福島氏は立ち上がりました。あの相模原障害者施設事件です。
彼は<事件は生命を奪うと同時に人間の尊厳を否定する「二重の殺人」と断じ、社会に警鐘を鳴らす内容だった。
(事件は)今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。
しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。>と。
生きる価値を問いかけられた福島氏、ある幼なじみの子のことを取り上げて次のように話しています。
<18歳で盲ろうになり絶望に陥った時、ふと「しんちゃん」のことが頭に浮かんだ。近所に住んでいた幼なじみ。4歳の時に電車にひかれて亡くなった。でも自分は盲ろうになっても生きている。これに意味がないなら、世の中すべてに意味がない。ならば、すべてに意味があるんだ。生きることにも、盲ろうの苦悩にも意味がある--。そう思うことにしたという。「祈りや願いに近い感覚でした」>
そして最後に<盲ろうになって35年余。今も自分の胸に問い続けている。生きていることとは何なのか。それを明かしていくことが自分の役割ではないか。
「ま、結局分からないんでしょうけども。でも考え続けることができたら、それで本望です」。笑顔がこぼれた。>
だれも答えられないのだと思います。強いて言えば、生命誕生の奇跡の中で生まれて、今も生きているから生きる価値があるのでしょう。運命というか、お天道様というか、その障がいも怪我も、病気も、事故も、災害も、あるいは北朝鮮の暴発やテロなども、いつどこでだれにでも起こったり、その影響を受ける可能性があるわけですね。その状態を受け入れ、寿命がいつくるかは知り得ないけれども、そのときが来るまで、生きる価値があるのだと思うのです。いまある人の命自体奇跡の産物ですから、大事にしたいものです。
全盲、ろう、全盲ろう、ろうあ、それ以外にも様々な障がいがある方がいます。疾病で苦しむ人は数限りがないと思います。寝たきりの方、人工呼吸器挿管している方、などなどいろいろでしょう。
私たちはいろいろな生き方を考えておく必要があるかもしれません。とりあえず障がいのある方について、よりよい生き方がさらにあるはずで、現状の物心両面でのバリアを少しでも取り除くことを考えていく必要があるように思うのです。
私はいつも死のことを考えていますが、それは同時に生きることをも考えているのです。どう生きるかは同死ぬかということと、なにかコインの裏表に感じているのですが、それは変わった考えでしょうかね。
今日はこの辺でおしまい。