たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

AIと未来人 <NHK マネー・ワールド 仕事がなくなる!?」>を垣間見て

2018-10-09 | AI IT IoT

181009 AIと未来人 <NHK マネー・ワールド 仕事がなくなる!?」>を垣間見て

 

一昨日夜、<NHKスペシャル マネー・ワールド~資本主義の未来~第2集「仕事がなくなる!?」>を少し見ました。爆笑問題が司会?で、ゲストが孫正義氏と新井紀子氏ということで、それぞれのキャラが出ていて面白かったです。録画していたのでいつか見ようと最初しばらく見ましたが、結局、まだ全部見ていません。

 

で、今日はとくに話題も思いつかないので、中身を理解していないながら、適当にAIと未来人について考えてみようかと思い本日の話題にすることにしました。似たようなテーマはこれまでも何回か取り上げてきたように思います。

 

たしか番組では機械的な作業が取って代わられるということで、ラスベガスのホテル従業員のAI反対のデモとか、商品の配送現場で、単なる商品の選別搬送から仕入れまで、ほぼ全面的なAIロボットによる状況が放送されていたかと思います。そしてAI・ロボットによって仕事が取って代わられる職種が、代替率をランク付けされて表になっていました。ま、機械的な作業は90%を優に超えて100%近くになっていたかと思います。取って代わりにくいのはというのはちょっと見落としたようです。

 

たしか孫氏はAIプログラムのクリエイターが将来性のある仕事?みたいないい方だったように思います。新井氏はわかりやすい数学者?として少し反発していたように思うのですが、忘れてしまいました。数学者も場合によっては射程範囲に入るのかもしれません。

 

私はこれまで医師や弁護士、裁判官なども、相当なレベルでAIに代替される可能性を指摘してきました。たしか税理士や行政書士は代替率が極めて高く、公認会計士や不動産鑑定士も相当な高さにあったような記憶です。ま、これまで国家試験資格者として活躍できたりした職種も、安泰な状況ではないのかもしれません。

 

他方で、いま大変な介護職なんかはAI・ロボットにとって苦手な領域のようですね。ほんとにそういえるかは?です。もし介護職の多くがユマニチュードのような対応をしていれば、そうかもしれないと納得できます。しかし、現在の介護職の多くは、あるマニュアルにしたがって行っているのではないかと思われます。そういう方法であれば、訪問介護は別として、施設内であればAI・ロボットにチェンジされてもおかしくないように思うのです。

 

ところで、話は横にそれますが、スポーツ選手なども、場合によっては代替される未来があるのかもしれませんが、それでは面白くないということで、やはり選択の問題として、AI・ロボットが進出できないのではと思うのです。

 

たとえば、ボクシングの井上尚弥選手のKOは神業でしたね。実は私が見たときはもうお祝いの挨拶をしていました。えっと思いましたが、記録的スピードKOでした。その後何回も再放送でKOシーンを見せてくれましたが、なぜあのパンチであのように倒れるのか不思議な思いでした。それを今日のNUMBER WEB井上尚弥の衝撃KO、何が起きたか。「あの60秒で凄く駆け引きをした」>で、わかりやすい解説をしています。KO以前の状況は見ることができませんが、この解説で合点がいきました。これがAI・ロボットが闘ったのであれば面白くもないですね。ボクサー同士の緊張したつばぜり合いが60秒の間に積み重ねられていたのですね。

 

もう一つ、昨日のシカゴマラソン、大迫選手が日本新記録の2時間5分台を出して3位になりましたが、これも途中少し見たものの、どうせだめかなとすぐ読書に変えてしまい、すばらしいランニングを見るチャンスを逃しました。このランナーの名前も知りませんでしたが、日本人でも5秒台で走れるとはと驚くばかりです。挫折とチャレンジしていく精神・肉体は人間だからこそもてるわけですし、そこに魅力を感じるわけですね。

 

で、AIによって仕事を失ったとき人間はどうするかといった場合に、例としてギリシア市民の話がでることがあります。ギリシア市民は働かないで自由と平等を大事にして文化芸能などを大切にしていたとされています。ただ、スポーツでは最高を極めようと競争するものの、働くことは奴隷や外人(ポリス以外の地域からやってきた人)がします。そういったギリシア市民のように、未来人も仕事をAI・ロボットに任せて、人生をエンジョイすればよいとかいった話です。

 

ギリシア市民のように働かなくてもよいということは素晴らしいことでしょうか。人間は働くことにより人生の苦楽を享受できる要素が大きいと思うのです。私の好きな大畑才蔵は、懸命に働くことを求めました。自分が働けば、それだけ人、世のためになり、安楽を得られるというのです。儒教思想的な背景があるのかもしれませんが、江戸中葉の農民が抱いていた働くことの意義を自認し、近代市民の誕生を彷彿させるものです。

 

ギリシア市民は、奴隷にきつい仕事、嫌な仕事をすべてやらせ、自らは働かないで、その奴隷の生産性によって生活・文明を維持していたのですから、それが望ましい人間像かどうかですね。AI・ロボットは奴隷ではないから、いいではないかという議論も一理を否定しませんが、私はどうも好みではないです。

 

機械的仕事にも得る物があると思うのです。ホテルサービスなどもそうです。いまAIに取って代わることができるとされる仕事をされている人も、いずれは代替されるかもしれませんが、その仕事で充実した一生を送れればそれこそ最高でしょう。仕事に尊卑もないですし、AI・ロボットに代替されなければならない必然もないでしょう。

 

その選択は未来人に託されるのではないかと思うのです。孫氏のように必然のようにAI社会にしか道がのこされていないとは思いません。旧態依然という言葉は、仕事のあり方としてある分野に残ることも人間の選択としてあっていいと思うのです。

 

あ、そういえば、昨日でしたか映画「アイ,ロボット」がTVで放映されていて、少し見ましたが、見事なAI・ロボットで、ほとんどの仕事が彼らがになっていましたね。ついには感情や独自の判断力まで持ったという設定であったかとおもいますが、なんとま、アメリカ映画は10年以上前にその世界を描いていたのですね。

 

ま、未来人の社会はそうならないと思いますが・・・

 

今日も、まとまりがありませんでした。これにておしまい。また明日。