たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

大畑才蔵を語る 序 ウォークイベント

2016-10-26 | 大畑才蔵

大畑才蔵を語る 序 ウォークイベント

 

わが国は、日本書紀で「豊葦原千五百秋瑞穂国」とされ、「瑞穂」がみずみずしい稲穂を意味し、稲が多く取れることから瑞穂の実る国、「瑞穂の国」といわれてきたとの見方が当たり前のような感じもあります。はたして稲で象徴されるお米が一般の人々にとって中核の食物であったかどうかについては、縄文人はもちろん弥生人、さらには戦後初期までそういえないように思っています。

 

とはいえ、米作をめぐる努力は並大抵ではなかったと思います。とりわけ陸稲よりも水稲を選んだわが国の稲作には、水の確保が最も重要な問題といってよいでしょう。古きは葦原のある湿地(奈良盆地や大阪古代の河内湖など)の干拓や、小河川からの潅漑、ため池用水などにより、小規模な田の耕作が連綿と続いたのだと思います。

 

おおきな変革期は、戦国期を終え、平和な徳川時代に入り、河川潅漑、とりわけ大規模河川から大容量の潅漑用水を確保することにより、飛躍的な収穫量の増大をもたらしたのだと思います。それはある意味で、軍事的技術の平和転用ではなかったかと愚考しています。

 

戦国末期、秀吉の松山城水攻めを含め、河川流水をせき止めて城をその河川水で包囲した戦略が技術的には急速に秘密裏に開発(いわば秘伝)されていったのではないかと思うのです。若山(現和歌山)を根拠として、織田・豊臣に脅威を与えていた雑賀衆に対して、紀ノ川をせき止め水攻めで降伏させたのが戦国時代の終焉をもたらしたとの見解もあります。このような河川をせき止め、堤防をつくって河川水を流す技術は、平和になれば、全国各地で潅漑用水事業の技術転用として花開いたのではないかと思うのです。

 

 

ところで、紀ノ川は河岸段丘が広がっていて、目の前の河川流水を利用することができず、ため池用水が中心でした。そのため水不足で米の収穫量がわずかな場所が紀ノ川北岸では当たり前でした。

 

ここに見出しの人物が颯爽と登場したのです。紀ノ川の上流にある学文路村(現橋本市内)の庄屋、大畑才蔵は、百姓でありながら、数学的才能が秀でた上にたぐいまれな調査能力を培っていました。そして元禄期、当時で言えば隠居する55歳になり、潅漑用水事業における事前調査や堤防の安全設計の技術、潅漑水路の勾配管理について独特の水盛り器を作成してみごとな測量技術を活用するなどして、紀ノ川の東端から和歌山当たりまで、大規模河川での大型潅漑用水事業を完成させたのです。この結果、合計すれば1,000町歩を超える田が潤い、当時赤字財政で困窮していた紀州藩の財政改革成功の一つとなったとも言われています。そしてこの功績を評価されたこともあり、藩主吉宗が300年前の1716年徳川第8代将軍に選ばれたのです。

 

かれの農業土木技術は、長い水路を的確な勾配管理で実施する水盛り器の開発や、水路が横断する際の水路橋(現在の「龍之渡井」)やサイホン工法など多数ありますが、とりわけ江戸時代における河川工法の一つ、紀州流の祖とされている点も著名です。

 

ただ、私は、それ以上に、彼が百姓の立場から、無用の潅漑事業を回避し、地域に必要な費用負担しても耕作を継続して有益となる事業を設計するという、いわば費用効果分析を的確に行いながら、実現させた点をとくに評価したいと思うのです。それは現行の土地改良法の事業計画の要件にも生かされているように思うのです。

 

たとえば、事業計画の要件について省令の概要は、次の通りです。

(1)    農業総生産の増大などその事業を必要とすること(必要性)。

(2)    当技術的に可能であること(技術的可能性)。

(3)    すべての効用がそのすべての費用をつぐなうこと(経済性)

(4)    農業経営の状況からみて負担能力の限度をこえない(費用負担の妥当性)

 

もう一つ、彼の生き方は、当時さまざまの農書が盛んに出版されていましたが、それとは異なる百姓の生き方というものを、詳細かつ具体的な百姓の一年を通した作業内容を書きとどめながら、彼が敬愛していたと思われる兼行法師の徒然草の一段のごとく、毀誉褒貶に縛られず、一途に働く(ハタ楽)ことこそ、自らの「安楽」になるという心持ちを吐露している。

 

維新前後に来日した多様な異人による見聞録が日本、日本人を描いてることは人口に膾炙しています。その中に、人々は親切で優しく笑顔にあふれ日常に満足していて、このような幸福な人々を見たことがないと語る人が少なくないのです。それは明治の近代化以前の日本人が慎ましくも豊かで人に対して心優しい精神を培っていたからではないかと愚考したりしています。

 

 

話しは変わりますが、今年8月、その才蔵の素晴らしさを取り上げようと、「大畑才蔵ネットワーク和歌山」という団体を立ち上げました。そして第一回のイベントとして歴史ウォークを行います。関心のある方は是非気軽に参加ください。


高齢者の意思能力

2016-10-25 | 日記

高齢者の意思能力

 

農村や漁村などでは高齢者が割合お元気にされています。農作業も90歳くらいまではその人の調子に合わせてされているように見受けられます。しんどいときは休む。夏は朝夕の涼しいときにさっさと作業する。毎日その人が自分で負担にならない程度をわきまえてこつこつと作業しているように思えます。ある意味見事な処世術でしょうか。

 

世の中は、オレオレ詐欺とか、子どもから、あるいは施設の介護者からの虐待といった、いろいろ悲しくなる事件が聞こえてきます。

 

ところで私自身、高齢者の方から、いろいろな相談を受けたり、事件処理を引き受けたりしてきましたが、悩ましい問題の一つがその意思能力を的確に判断することの難しさです。

 

普通に日常的な話しは受け答えができる人が、財布がなくなったのは妻が持ち出したのだとか、預金が勝手に下ろされているが、長男の嫁がやったとか、別居したのに夫が近くで見張っているとか、さまざまな深刻な訴えがあります。それぞれ丁寧に一つ一つ本人の訴えに沿って仕事を勧めます。家の中を一緒に探したり、子どもに話しを聞いたりしていると、夫が一人で住んでいる家の庭の土の中から出てきたりします。あるいは別のケースでは銀行で過去の預金取引履歴を出してもらったり、預金払い戻し請求の書類を出してもらったりすると、どうも本人の署名で間違いないことが分かったりします。この種の問題は、多種多様に起こっています。

 

そのような問題の核心は、高齢者(には限りませんが)の意思能力の低下、喪失について、判断することの難しさも関係します。最近の裁判例で、興味深い事例がありました。土地取引といった場合、多くの関係者が関与します。このケースでは、ご本人は当時58歳ですから高齢者手前ですが、医師、公証人、司法書士、弁護士、宅建業者、そして裁判官といった専門家が、いずれも意思能力の有無をそれぞれの専門的見地から判断しています。ところが、それぞれ異なってしまったのです。

 

事の発端は、母親が娘に遺産である土地を全部相続させるという遺言を残したことが始まりです。それに異を唱えた兄が妹と、その10分の9については遺留分減殺合意を、残りは自己に売り渡す契約をして、公正証書を作成し、登記も了し、兄が全部を取得しました。兄は直後に不動産業者に1.3億円で売却したのです。

妹は子どもの頃統合失調症に罹患し、継続して治療を受け、兄との合意当時も入院中で、妹に成年後見が開始しました。後見人となった弁護士が兄との合意について意思能力がなく無効であるとして、兄と買主の不動産業者を相手に、各登記の抹消を求めて訴え提起し、裁判所で認められ、判決が確定し、不動産業者は土地所有権を失いました。これが最初の裁判。

次に、その業者が、登記手続きをした司法書士を相手に、妹の意思能力の欠如を前提に、司法書士が委任者の登記意思やその能力、意思能力の有無を確認すべき義務を負うのに、怠ったなどを理由に損害賠償請求の訴訟を提起したのですが、こんどは裁判所が妹の意思能力を認め、敗訴となっています。

 

2つの訴訟では、成年後見申立の際に主治医の診断は統合失調症等を理由に判断能力欠如としたのに対し、公証人は意思能力を認め、司法書士も同様です。これに対し、成年後見人となった弁護士は意思能力なしと判断して訴訟提起し、その訴訟では裁判官もこれを認めたのです。

これに対し後の訴訟では、裁判官は、カルテなど診療記録を基に、妹の症状経緯を詳細に分析し、医師の回復可能性がないとの診断の誤りを指摘し、公正証書作成や登記手続き時点で意思能力があったことを認めています(平成24627日東京地判・判例時報217836頁)。判決文を読む限り、後者の裁判官の認定に軍配を上げたいですね。

 

成年後見事件で申立人や後見人として仕事をしているとよく分かるのですが、医師の診断が主治医であっても、この分野については妥当しないことが少なくないように思っています。精神状態というのは、必ずしも安定的なものでないこと、意思能力という法律行為をする能力については医師の診断も一要素に過ぎないことなど、指摘できるかもしれません。

 

ところで、公証人は、一般に、本人かどうかの確認や、意思能力の有無をできるだけ的確に判断するように、長谷川式などを参考に質問しどのような回答があったかとか、付添の家族の情報をしっかり記録している人が多いと思います。司法書士や弁護士にもそのようなチェック機能とその記録が求められていると思います。

ただ、最も基本は、ご本人に対する礼節と親和の心をおろそかにしないことと思うのです。明治維新の前後に訪れた異国人から日本人が敬意をもって見られた大きな要素の一つは、他人に対し礼節をと親和の気持ちをもって処する姿勢ではないかと思います。

 

とはいえ、私はこのような最近の傾向を垣間見ながら、般若心経を思い浮かべてしまいます。お金や資産といった形は実体がないのですから(色即是空、空即是色)、結局、感覚も意志も知識もないのですので(無受想行識)、思い悩んでもしかたないことかもしれません。


子の引渡しをめぐる執行制度改正の動き

2016-10-24 | 家族・親子

子の引渡しをめぐる執行制度改正の動き

 

http://mainichi.jp/articles/20161023/ddm/003/010/053000c 

昨日の毎日新聞は、「離婚後ルール、検討 子の引き渡し明確化へ」との見出しで、現行民事執行制度が子の引渡を想定した制度がないため、法制審議会での改正審議の対象となっている旨報道しています。

報道だけでなく裁判例からも、外国人との間の監護権濫用や子どもの引渡をめぐる訴訟はかなり増大していることが分かります。ところが、仮に子どもの引渡命令の裁判を得ても、現在の状況は、執行官の運用に委ねられ、その執行を適切かつ迅速に実現する方法がないため、余り利用されていません。

そのため、子どもの利益を図りつつ、いかにその引渡を実現するか審議されています。まず、間接強制という、引渡をしないと一日当たり相当の金銭の制裁金を課す制度の導入が議論になっていて、それでも引渡に応じないと、直接執行を検討しているとのことです。

たしかに制裁金は一定のインセンティブにはなりますが、お金がある人は意に介さないかもしれません。お金がない人も、実は、制裁金を払う資産・収入がなければ実効性が担保されませんので、あまり効果がないかもしれませn。

それよりも子どもの心への影響などを考慮すれば、現在、任意に行われている児童心理の専門家を含め、新に教育や福祉などと連携してチームでのサポートを得ながら、執行官が行うなど抜本的に改められる必要があるように思うのです。

離婚をめぐる子どもの問題は、養育費の現行算定基準があまりに低い点、その支払を怠った場合の強制執行手段が実効的でないことなど、大きく改善する必要が以前から声があがっていますが、審議会での審議を期待したいものです。


スズメバチ事件の顛末 その6 松原保全と化学物質過敏症

2016-10-23 | 自然生態系との関わり方

問題5 駆除により健康被害の責任如何の問題です。

 法令の駆除基準がある場合の裁判例(平成2472日宮崎地判・判例時報2165128頁)を取り上げますが、判決が取り上げた双方の主張立証からすれば(それが問題になりますが)、標準的な判断ではないかと思います。

 舞台は宮崎県の日向灘に面する一ツ葉海岸松林で、松食い虫防除の薬剤空中散布が問題となった行為、散布により健康被害を受けたと主張したのは近隣住民です。

 一ツ葉海岸松林は、江戸時代に潮害対策等で植林され、10km以上の砂丘海岸に沿って続広大な松林となっていて、見事な景観美となっています。その一画にある阿波岐原(あわきがわら)は、記紀の世界では黄泉国から帰ってきたイザナギが同名の地で禊祓いをして、アマテラスやツクヨミ、スサノオを誕生させたとされています。ま、日本を創造した神様の誕生の地ということで、なんともめでたい場所となっています(といっても具体的な場所は定説がないようですが)。

 ところが、松原は松食い虫にやられた結果、ほっそりしたものが多く、健康的とはいえません。そこで宮崎県は、森林病害虫等防除法に基づき、松食い虫駆除のための薬剤空中散布を毎年実施してきました。

 原告となったAさんは、平成13年広島県から転居して一時期を除き継続して松原の近くに住宅を構えて居住してきましたが、この薬剤散布により化学物質過敏症その他の健康被害を受けたと主張して、平成22年県を相手に国賠訴訟を提起したのです。

 争点の概要は、①空中散布の違法性については、防除実施基準に違反するかどうか、②Aさんの健康被害と空中散布との間に相当因果関係があるかという点が問題となりました。

 駆除を含めた防除実施基準は、上記の法で国(農水大臣)が定めるものと、知事(本件では宮崎県知事)が定めるものとがあり、それぞれの基準適合性について双方の主張は対立していましたが、判決は②の争点について否定的判断をして①については判断しませんでした。

 ですが、あえて私なりに争点①について触れてみたいと思います。

 防除実施基準は、ア)対象森林の基準、イ)周辺の自然・生活環境の保全、ウ)農業漁業への被害防止措置、エ)薬剤防除に関する事項があります。

 で、ア)の対象森林については、防除実施基準では「家屋等の周辺の森林以外の森林」(例外規定あり)となっていますが、散布区域がA宅から75mしか離れていませんでした。空中散布の場合、75mは一般的な解釈としては周辺の森林とみるべきではないかと思います。しかもAさんは体調不調を訴えていたのですから、例外規定には当たらないと思います。これに対し県は、東側が海で、西には対象とならない防風林があるとか、低濃度の薬剤使用、風向き、風速等を注意するので、上記の森林に当たらず、問題ないと主張していますが、これだけだと、この点は松林保全を過度に優先し、安全配慮を軽視したものとの疑義を生みます。その他の問題は省略します。

 次に、判決が否定した健康被害への因果関係ですが、判示事実によると妥当な判断ではないかと思います。

 判決は、Aさんが転居前から耳鳴り、めまいなどで脳神経外科の診療を受けていたこと、平成19年、21年、22年に、同様のめまい、ふらつき、のほかに、多様な症状を訴えていたことに加え、家庭の事情も不安要因であることが指摘されていること、他方で本件薬剤のフェニトロチオンの急性毒性が低いことや体内での長期残留性ないこと、大気中の濃度として気中濃度評価値が設定されているが、散布区域内やA宅前で測定した気中濃度は当該設定値よりも大きく下回っていたこと、他の近隣住民から被害の報告がないこと、化学物質過敏症については定まった知見ないことを指摘して、因果関係を否定しています。

 たしかに判決の判断は多くが合理的なものと共感すると思います。ただ、もし広島県在住の時、すでになんらかの要因で化学物質過敏症に罹患していた、あるいは体が汚染されていたとすると、いかに低濃度で残留性が低い薬剤であっても、影響を受けうることは多くの化学物質過敏症の患者の訴えから無視できないと思います。むろん近隣住民から健康被害の訴えがないことは十分な反証にはならない場合があると思います。

 私自身は化学物質過敏症ではないと思っていますが、都会のさまざまな異臭に過敏に反応するようになりました。空気のきれいな田舎に住み、なんとも気持ちのいい毎日を送っていたのですが、近隣が定期的に行っているGAPで指定されている農薬散布や、刈払機・バイクからの排出ガスの臭いで相当影響を受けることがあります。いずれも最近は低濃度になっているのですが、地域で慣れ親しんだ人がもつ抵抗力といったものはなかなか順応することが容易でないと考えています。これは都会居住に慣れた人が田舎に移る場合の一つの注意事項ではないかと思います。

 その点、本件ではAさん自身、転居の際、農薬散布といった定期的に実施している実情を知って、できるだけ松林から離れた位置に住居を構え、住宅の構造に配慮したり、散布期間中は逃避するなど、いくつか被害回避の方法をとっておく必要があったかもしれません。

 化学物質過敏症は、より本質的な問題は、多種の特定できない大量の化学物質汚染によって発症するという点ではないかと思います。その意味で、特定の化学物質だけに着目する判断では限界があります。ただ、私が担当した東京都杉並不燃物中継所事件で、公調委の原因裁定は、原因物質を特定せず、また、閾値を超える濃度であったかを問わず、因果関係を認めています。今後このような科学的な議論が深まるといいのですが。