エッセイアーカイブの13本目は、顧問エッセイの補遺です。おヒマな折にでもお読みください。
豊栄高校文芸同好会誌「凪」、新潟東高校文芸部誌「簓」に書いた顧問エッセイはこれで打ち止め。次回からは、新潟県人権・同和センターニュースに書いた編集後記をアップしていく予定です(あくまで予定)。そちらもよろしければお付き合いください。
顧問エッセイ 補遺
12本にわたる顧問エッセイにお付き合いいただき、ありがとうございます。
顧問エッセイは、21世紀初頭に、当時勤務していた豊栄高校で文芸同好会を発足させ、同好会誌「凪」を発刊してから、そこの巻末に書き始めたのが始まりです。「凪」では3年間、第6集まで、新潟東高校に異動してからも、「簓」という文芸部誌を新創刊してそこでも3年間、第6集まで、欠かさず書き続けました。
紆余曲折を経て高校教員となったわたしは、どうせなら文芸部の顧問になりたいと思っていたのですが、1校目・2校目では残念ながら文芸部そのものがなく、3校目の豊栄高校で、だったら作ろうと思い立ち、めぼしい生徒さんに声をかけ、文芸同好会を立ち上げました。まさかそれが、教員生活の終わりまで続く、新潟県の高校文芸部員とのお付き合いの始まりになろうとは、その時は思いもしませんでした(その後、新潟東高校に異動した私は、希望通り文芸部の顧問になると同時に、新潟県高等学校文化連盟文芸専門部の委員長になっちゃったのです)。
豊栄高校文芸同好会には、意外にも(といったら大変失礼ですが)文芸センスを持った生徒が多数集まりました。勢いのある学園もの小説や、設定に凝った探偵小説を書く生徒、言葉の力にあふれる詩を書く生徒など、驚くほどの才能を発揮する会員たちのおかげで、そこそこ面白い文芸誌を作ることができました。予算はないので、文化祭で配分される予算と私のお小遣いで紙や製本テープ、大型ステープラーなどを調達し、私がパソコンで版下を作り、学校の印刷機で印刷した後、休日の学校で部員総出で製本作業を行って作り上げました(新潟東高校でも全く同様に制作しました。東高校にも才能を感じるユニークな部員が多数いたことは言うまでもありません)。
さて、顧問エッセイは、そんな生徒さんたちと比較してもどうにも大したことなど書けない私が、それでも顧問として、高校生の皆さんに多少なりとも伝わることを書こうと、私自身のしょうもない経験のあれこれを元ネタに綴ったものです。書いた内容は、多少の整形を施してはいますが、基本的にすべて事実です。実際、高校のときも高卒後の勤め人のときも大学のときも大卒後の勤め人のときも、それはそれはいろいろみっともなくふがいなく面目ないことが多々あったわけですが、そういうネガティブなことは簡単に済ませ(「もてない人になる方法」で、ちょっとその片鱗を書いています)、できれば、読み物として楽しく読んでもらいたい、で、もし何なら自分の創作の参考にしてもらいたい、と思って書きました。ただ、そもそも、教員だからといって、何かエラそうなことなど書けませんし、そもそも書く気もありません。しかし何しろ高校生向けの文章なので、高校の文芸誌にはちょっと書けないネタは封じてあります。そういう文章は、また機会を改めて、noteに書いていきたいと思っています。
それでも、顧問エッセイを書くのは、私にとってはとても楽しいことでした。これを書いていると、昔のことが、ふしぎに思い出されてくる。その経験は、私にとってはとても心地よいものでもありました。そんな文章が、もし、ここの読者の皆さんのお気に召したなら、とてもうれしく思います。