下品・卑劣な自称「愛国者」のふるまいから、人権について考えるコラムです。
他の記事がすべて埋まり、いよいよこのコラムを書こうとしていたところに、東京都議会での女性都議へのセクハラ暴言事件というニュースが飛び込んできました。妊娠・出産や不妊に悩む女性への支援を訴えた女性都議に対し、議員席にいた男性都議が「自分が早く結婚したらいい」「(子どもを)産めないのか」などのヤジを浴びせかけたというものです。女性都議の所属する会派の抗議とともに、多くの人々からの批判が殺到したことから、発言者が所属すると思われる政党の幹事長が「早く名乗り出ろ」と促し、数日後にようやく、都議の一人が「自分が言った」と認めて女性都議に謝罪するという事態となりました。
この事件は、女性に対する差別やセクハラは許されないことであるという常識が、未だに社会に定着していない、という実態を浮き彫りにしました。東京都民の幸福を実現するために先頭に立って働かねばならない都議が、女性たちの置かれた現状を理解せず、このような無神経発言をする、ということが、そのことを如実に物語っています。ヤジを飛ばした都議の本音は、「女が社会に進出してえらそうなことを言ったりやったりするのは生意気だ。家でおとなしく家事と子育てをしていればいいんだ」ということなのでしょう。そういう人物が、よりによって選挙で議員に選ばれてしまうという社会の現状も、同時に見えてきます。
この事件を引き起こした都議は、当初は「自分ではない」と否定していました。この都議はいわゆる「愛国者」を自負していて、「日本人」であることに強い誇りを抱いている人のようです。私は、日本人のよい性質として「謙譲の精神」「謙虚な態度」があると思っています。「自分が強い・優れている」と声高に言いつのるのは見苦しい行為であり、また、自分の行為に誤ったことがあれば、潔く認めて反省するのがまともな人間のすることだ、と教えられてきました。とすると、この都議は、差別発言を公の場で平然と行い、しかも、その差別性を強く批判されると、少なくとも初めのうちはうやむやにしてごまかそうと考えたわけですから、その態度は私の知っている「日本人の美徳」からはかなり遠い、と指摘せざるを得ません。
最近の自称「愛国者」には、そういう「下品」で「卑劣」な人が多すぎるのではないでしょうか。真の「愛国者」なら、他者の痛みへの想像力と共感をもつことは必須条件だと思うのですが。人権同和教育・行政がまだまだ必要な理由は、こういうところにもあるのだな、としみじみ思います。
【新潟県人権・同和センターニュース31号 2014年7月号 より】