【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見
る
京都 竜安寺 (2019年8月に訪れる。記事は2021年)
竜安寺といえば、石庭です。
外国人向けのガイドブックに、どのように紹介されているのか知りませんが、いつ来ても外国人が大勢すわりこんで、石庭に見入っています。禅が、何か神秘的なものにみえるのでしょうか。
昔、当時は大勢の組合員がいた造園組合の研修旅行で、竜安寺を訪れたことがあります。
この石庭を見て、誰かがつぶやきました。
「これではゼニがとれんでかんわ」
「ほやのー」
時は、造園ブーム。
マツなんて、値段があってないようなもの。庭石に至っては、これはどこそこの石で、値段はいくらいくらしたということが、庭の良し悪しになっていました。
砂利の上に、そこら辺の石にしか見えない石を配置しただけの庭では、確かに請求書が書きにくい。
今回、有名な銭形蹲(つくばい)の前で、その謂れをじっくり読んで、初めて石庭とのかかわりを知ることができました。
まず、鉢に彫られた文字ですが、知らない人には、“五”以外の漢字は読めません。しかし、水鉢の口を利用して読むと、吾唯足知(吾唯足るを知る)という仏の教えになります。
足るということを知っている人は、心に富を持ち、足るということを知らず、すべてを手にしないと満足でいない人は、貧しい心を持つという意味です。西洋のことわざにもある、「持てば持つほど、欲しくなる」 というあれに似ています。
話を戻しますが、先ほどの石庭は、15の石からなっています。
ところが不思議なことに、どの角度から数えても、石は14しか見えない。どれか一つが、ほかの石の陰になるからです。
お釈迦様はこう言っています。「14の石が見えれば、それでもう充分だと思いなさい」
【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見
る
る
京都 竜安寺 (2019年8月に訪れる。記事は2021年)
竜安寺といえば、石庭です。
外国人向けのガイドブックに、どのように紹介されているのか知りませんが、いつ来ても外国人が大勢すわりこんで、石庭に見入っています。禅が、何か神秘的なものにみえるのでしょうか。
昔、当時は大勢の組合員がいた造園組合の研修旅行で、竜安寺を訪れたことがあります。
この石庭を見て、誰かがつぶやきました。
「これではゼニがとれんでかんわ」
「ほやのー」
時は、造園ブーム。
マツなんて、値段があってないようなもの。庭石に至っては、これはどこそこの石で、値段はいくらいくらしたということが、庭の良し悪しになっていました。
砂利の上に、そこら辺の石にしか見えない石を配置しただけの庭では、確かに請求書が書きにくい。
今回、有名な銭形蹲(つくばい)の前で、その謂れをじっくり読んで、初めて石庭とのかかわりを知ることができました。
まず、鉢に彫られた文字ですが、知らない人には、“五”以外の漢字は読めません。しかし、水鉢の口を利用して読むと、吾唯足知(吾唯足るを知る)という仏の教えになります。
足るということを知っている人は、心に富を持ち、足るということを知らず、すべてを手にしないと満足でいない人は、貧しい心を持つという意味です。西洋のことわざにもある、「持てば持つほど、欲しくなる」 というあれに似ています。
話を戻しますが、先ほどの石庭は、15の石からなっています。
ところが不思議なことに、どの角度から数えても、石は14しか見えない。どれか一つが、ほかの石の陰になるからです。
お釈迦様はこう言っています。「14の石が見えれば、それでもう充分だと思いなさい」
【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見
る