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松本城と石川数正

2021年08月09日 | 日記
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松本城


石川数正の出奔

これまでに、数回訪れていますが、その時はまだ石垣にいまほど関心がなく、みなさん同様、国宝のお城を見る程度の訪問でした。

今回は、石川数正の築城した石垣を、じっくり見てみたいと思って、張り切ってやってきました。

さて、その石川数正ですが、徳川家の重臣で、家康が今川に人質のころから仕えていた、生粋の家臣です。石川数正の出奔については、いまだに諸説があり、私も昔から、知りたかったのですが、今回城を見て私なりに推察したことを書いてみたいと思います。

石川数正は、無骨な徳川の家臣団の中で、時世を読む知略に長け、武功も多く、諸国に一目置かれた武将でしたが、秀吉との交渉役を任された折、秀吉に気に入られ、ついには徳川家を出奔し、秀吉の家臣になりました。

当時、家臣の引き抜きは珍しいことでありませんでした。徳川家が召し抱えた他国の武将はたくさんあるけれど、団結心の強い徳川を出たのは、後にも先にも石川数正ただ一人だけで、それが謎に謎を呼んだのでありました。また一族郎党を引き連れ、三河をこっそり抜け出し、大阪までやすやすと旅ができたことが、謎の二つ目です。

誰もが、これは家康との同意のもと、あるいは密命を帯びて、秀吉のもとに行かせたというのが、歴史好きのみんなが考えることで、私もそう思っていました。

しかし、そんな見え透いたことを、秀吉が気が付かないわけはなく、ここはやはり、好条件で調略したのではないかとも思えてしまい、やはり、歴史上の謎です。

秀吉は、石川数正に松本の地に城を築かせ、東の徳川勢を牽制することになります。

そこで、私の推測はこうです。

家康と秀吉は,共に傑出した人物であったから、お互い口には出さないし、書面も残さないけれど、腹の中では話しあっていたのです。

戦をすれば、どちらが勝っても、負けても、せっかく築き上げた味方や基盤を損なう。隙を狙う新たな秀吉や家康が出てきて、世の中がまた乱れる。それよりも手を組んで、ひとつになった方がいい。
しかしお互いに戦で決着をつけようとする家臣を抱えているので、そうもいかない。

そこへ、知恵者の石川数正が交渉役にやってきたのを幸いに、秀吉は数正に、調略を持ち掛けるので、それに乗ったふりをしてくれと、頼み込む。数正はそれを家康に伝え、家康も同意した。数正は、永久に裏切り者のそしりを受けることになるが、徳川のため涙を呑んで引き受けた。

秀吉は数正に、徳川をどのように扱えばいいか相談しているように見せかけ、家康は、数正が徳川の意を汲んで、色々動いてくれているのを知っていたが、家臣の手前、数正の出奔を怒っているふりをした。

秀吉は、数正に松本城を与えて厚遇しているポースをとり、家康は、数正の知る徳川方の軍事機密が秀吉側に知られてしまうので、これまでの戦法をすべて新しいものにつくり変えた。もちろんこれも家臣を納得させるポースであった。

こうして、石川数正への調略、出奔劇は、それらしくなった。

その後の秀吉と、家康の関係が、うまく進んでいったのは、この石川数正の陰の力が大きい、というのが、私が松本城を見ながら推理した、「ポーズ説」です。

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