自分、果たして自分というものは形なのだろうか?
なんだか、ふと、こんな疑問が浮かんだ。。
今、自分としているものは、姿形ある自分だと思っていたが、
この精神が無くても、心臓は脈を打つことができるし、息をすることもできる。
身体が生きるためには栄養となるものを取り込む必要がある。
そこで思う。
実は身体の要求に私(精神)は動かされているのでは?と。
私はその要求にこたえる代わりに、快楽を得る。
快楽を手に入れるには身体に動いてもらわなければいけない。
身体と私は実は分離されていて、私は身体に寄生しているようなものでは??
身体が死んでしまうと、この精神は生きるのか?とまた考える。
死んだ事が無いのでわからない、
だけど、精神は身体と分離しているが、2つが一体となって生まれるものだと思うので、身体が死ぬと同時に精神も死ぬと思う。
そう考えた方が与えられた宿主を大事にするかな、、、と不思議な事を考えてみた。。