恋愛における天国と地獄は、その感情が深まれば深まるほど、エゴが私たちに様々なお試しを仕掛けてきます。
その中でも、嫉妬という感情や、見捨てられてしまうという浮黷フ感情は、そのプロセスを卒業するまでしつこくつきまとう感情です。
恋愛において地獄を見た方の多くはこの感情を昇華することに多くの時間を費やすことになります。おそらく、今回の人生だけでなく、何転生もそのテーマと向き合っているかもしれません。
私たちのセルフ、つまりエゴは、相手の気持ちを自分だけに向けようとしたり、コントロールすることによって安心感を得たりしようとしてしまいます。
この時、私たちの中に生まれている感覚は、相手を自分の思い通りにしたい、そうであれば、生き延びる事ができるという思い込みであり、そうでなければ、もう生きる事が出来ないのではないか、といったようなオールオアナッシングのような感覚でもあるようです。
実はこの感覚は、私たちがまだ物心がつくまで、つまり親の庇護を受けなければ1日も生き延びる事ができない時期に、親に物理的及び心理的に見捨てられてしまうのではないかといった恐れの感覚がベースにあります。もう、すっかり自立した大人であるにもかかわらず、潜在意識のレベルでは幼子が怯えている感覚と変わりはないのです。
大人である私たちは、こんな事を言うと、そんなバカなと思うかもしれません。エゴは何歳になっても、「自分が大切だと感じるものから見捨てられたらお前は生きれないのだ」と潜在意識のレベルでは脅かしてきます。さらに、厳しい親や保護者に育てられた人は、「いい子でないといけない、相手のご機嫌を損ねてはいけない」という思いからその思いを増幅させてしまいます。
執着を捨てましょう、相手の自由を尊重しましょうと、いくら教えられて頭でわかっていても、心はそれには簡単に従えないのです。幼子と全くかわらない意識のままで恋愛をした場合、相当な地獄を見るのはある意味仕方がない事でもあります。
心を育てていく時間が必要です。まづ、自分の感じている執着や浮黷ノ対して、私たち自身がそれを理解してあげること、幼子のような意識の自分がいることを否定するのではなく、ありのままそうなんだと認めてあげること、感情が穏やかな時に、その幼子のような自分と寄り添い、仲良くしてあげる事。感情の嵐に呑み込まれてしまうとそんな余裕は全くなくなりますから、平静な時にその存在とのラポールつくってみてください。
いつもお話させていただくのですが、エゴは嫌えば嫌うほど増幅してしまいます。エゴの目的は恐れから自分の身を守ることです。見捨てられたら価値がないと、バカにされたら悲しいと感じているエゴの言い分もしっかり聞いてあげてください。エゴと仲良くなると恋愛においても余裕ができてくると思います。