今年もあと2日になりました。
あっという間の1年でしたね。
今年も、大切な時間を私と共有してくださった皆様に心より感謝しております。ありがとうございました。
来年は、新しい企画もいろいろやっていけたらと思っておりますので、よろしくお願い致します。企画に関しては公式LINE等でお知らせ致します。
これから、ますます寒さ厳しくなって参りますので、くれぐれもご自愛くださり、よいお年をお迎えください。
私たちは、誰しも「才能」という宝を持ってこの世界に来ていると言われています。
ただ、それを引き出せているか、いないかだけのようです。もちろん、突出した才能を持った人もおりますが、それは少数のようです。
「才能」というと、ほとんどの人が、「得意分野」というように感じられると思います。
私もそう感じていました。
しかし、ある時お世話になったセラピストから「問題を才能に変えれる」という言葉をいただきました。自分の痛みを変容させれると言われました。
そのセラピスト自身が、昔からコンプレックスを感じていた事を克服して、見事に才能に変えていました。
当時の私は、たくさんの問題を抱えていました。
今の私を知っている人は、まづ信じてもらえないのですが、20代の頃、悲惨な環境に長年閉じ込められていた為、一時期、「対人恐怖」特に「視線恐怖」に苦しんでいました。
人を前にすると緊張してしまい、人の目が怖いので、まともに顔を上げれない為、生活に支障をきたしていました。それを改善するために、いろいろな書物を読んだり、「森田療法」という心理療法を受けたりしていましたが、少しは改善するものの完治には至りませんでした。そんな時期を耐えた後、「ビジョン心理学」という世界に出会いました。
セラピストの言葉を深く感じているうちに、問題が才能ならば、自分は人が怖く関われない私は、本当は誰よりも人に興味があり、人と深く関われる才能が秘められているのかもしれない、、それをいろいろな環境により、封印しているだけかも知れないなぁと気づいたのです。それからの私は、人への怖れよりも、たくさんの人の話を聞かせていただく事が大好きになっていったのです。
才能に気づくために、あへて、正反対を体験するというのは、まさにバランスであると思うのです。私が出会った方達もそのような方がとても多かったように思います。
ですから、今もし、かっての自分のように苦しんでいる人がいたとしたら、その問題の奥に、才能が埋もれているかもしれないという視点をもってみてくださいね。
14年ぐらい、ソウルメイトリーディングをさせていただいております。
スピリチュアルブームと言いますか、ツインレイについての情報がネット上でも、増えてきました。
私たちには魂の片割れがいます。この地上に同じ時期に産まれることは稀で、ほとんど、片割れは違う次元から私たちをサポートし、愛してくれております。
では、私たちは何故、ツインレイを求めるのでしょうか?
それには幾つかの理由があるように感じます。
ツインレイとは、もともと一つの魂だった存在であり、ある時期を境に切り離されてしまった自己です。
切り離されてしまったもう一人の自分と再び一つに戻る旅をしています。切り離してしまった自分が、再び戻ってきて統合された時の自分に、今の自分が出会いたいのかもしれません。
ツインレイとの関係がとても、ロマンチックで素晴らしいものかもしれない、出会えたら、今以上に全てにおいて満たされると感じられるようにイメージされる方も多いと思います。
ほとんどの場合、出会うことができないように設定されているし、出会えたとしても、切り離されてしまった自分との再会は、想定外の体験になると言えます。
ツインレイとの出会いが、想定外の体験になる理由は、切り離されてしまった自分は、ほとんどの場合、自分が持ち合わせていない、資質、感性を表現してくれるからです。
わかりやすく言うと、完全なバランスの相手になります。
例えば、自分が温厚な性格を表に表現していたら、ツインレイは自分が抑圧していた、激しい性格を表に表現しますし、自分が、正直で真面目さを表現していたら、相手は嘘つきでいいかげんだったりします。
バランス、足して百になります。
私たちは実は表現していないだけで、全ての資質を潜在的には有しています。表現するかしないかは、育った環境や親からの遺伝などが大きいです。
本当のツインレイに出会った時には、あまりの違いに愕然としたり、何故こんな人に惹かれてしまうのか、もっと他に素敵な人はいるのにと思ってしまうはずです。
この惹かれる感覚は、理性で抑圧が不可能な圧涛Iな感覚だったりもする為、混乱を来す場合が多いでしょう。
自分の完璧なバランスの相手は、自分が最も表現していなかったり、抵抗し嫌い続けてきたエネルギーを纏っていたりします。
私自身も、レイに出会った時に、たくさん学びました。