久しぶりに「地上の天使たちへ」というメッセージを書いてみたくなりました。
最近のセッションを通して、私はバランスという話をよくしています。
地上の天使の多くが知らず知らずにとる立ち位置は、目の前にいる人が表している立ち位置と、正反対の立ち位置をとってしまいます。
例えば、目の前にいる人がとても我がままな相手であったとしたら、我慢してしまう立ち位置に自分を置いてしまいます。
目の前にいる人が大きなケーキの一番美味しいところを全部食べてしまったとしても、残りを黙って感謝しながら食べるような感じかもしれません。
私たちが誰かに対して我慢すればするほど。相手はわがままになりますし、配慮的になればなるほど、相手は自己中になってしまうのが、バランスの世界です。
いつか相手がわかってくれるかもしれないからと、相手の立ち位置に合わせ続ける限り、いつまでたっても自己犠牲の思いから抜け出せないようです。
本当の無償の愛の境地に立てているのであれば、苦しみはありませんが、もし、今のパートナーとの関係性が苦しくて仕方ないのであるならば、自分がどのようなバランスの中にあるのかを点検する必要があります。 自分一人ではなかなかそのバランスにきづけないかもしれません。
地上の天使たちは優しいが故に、傷を負います。傷ついた羽を癒すには、その傷の意味をしらなければ、癒すことはできないのではないでしょうか。
自分にとって本当に心地よい立ち位置に自分がいれるようになった時に、目の前の相手も同時に変化していくのではないかと思います。
最近のセッションを通して、私はバランスという話をよくしています。
地上の天使の多くが知らず知らずにとる立ち位置は、目の前にいる人が表している立ち位置と、正反対の立ち位置をとってしまいます。
例えば、目の前にいる人がとても我がままな相手であったとしたら、我慢してしまう立ち位置に自分を置いてしまいます。
目の前にいる人が大きなケーキの一番美味しいところを全部食べてしまったとしても、残りを黙って感謝しながら食べるような感じかもしれません。
私たちが誰かに対して我慢すればするほど。相手はわがままになりますし、配慮的になればなるほど、相手は自己中になってしまうのが、バランスの世界です。
いつか相手がわかってくれるかもしれないからと、相手の立ち位置に合わせ続ける限り、いつまでたっても自己犠牲の思いから抜け出せないようです。
本当の無償の愛の境地に立てているのであれば、苦しみはありませんが、もし、今のパートナーとの関係性が苦しくて仕方ないのであるならば、自分がどのようなバランスの中にあるのかを点検する必要があります。 自分一人ではなかなかそのバランスにきづけないかもしれません。
地上の天使たちは優しいが故に、傷を負います。傷ついた羽を癒すには、その傷の意味をしらなければ、癒すことはできないのではないでしょうか。
自分にとって本当に心地よい立ち位置に自分がいれるようになった時に、目の前の相手も同時に変化していくのではないかと思います。