knock knock

押し出されてイギリス生活開始。外人の旦那と娘と戦いながら、、、独り言発していhます。。。BGMは!CNBLUE。

気をよくして追加の写真

2008-04-16 10:11:09 | Weblog
写真数枚添付が成功したので気分がよくなり、もうすこしバルセロナのマーケットの写真を。

日本でもこの手のマーケットなら単品に力を入れてうるお店もあるのかとは思いましたが、見た目がおもしろかった、バナナ屋と卵屋。さすがスパニッシュオムレツ、、、卵は重要なのかもね、、、




前回の写真でタコやイカがうじょうじょとコメントを入れたわりには、カニと海老が大きくのっていた写真だったので、こちら、、、




こんな魚、どうやって料理するのかしら??塩焼きグリル??ちょっと見た目が怖い、、、けど、おいしいのだろうなあ、、、



マーケットの中で食べた赤ちゃんタコ。新鮮だろうからとやはりオリーブオイルが本場だからかなあ、、、なんだかおいしかった。これとビール3杯(旦那と友人とあたしの分)それにソーダ水で13ユーロ。2080円ぐらい?このときに盛り合わせを作るから28ユーロでどうだとふっかけられた。4480円!!ま、こんなやりとりありかな、、、とも思いきや、旦那の友人(もちろんイギリス人)は、こちらはスペイン語ぺらぺらなんだ、ただの観光客扱いするな!!っていきなり切れてましたが、、、

隣にひっそりすわった珍しく日本人かなあ、、、と思われる男子学生。ちゃんと会話をスペイン語でこなし、なんだかおいしそうな夕食を注文してたいらげておりました。スペインに旅行をお考えの方、おいしいものを食べるためにはちょっとスペイン語を勉強するのがよろしいかと思われます。わたしもさっそくNHKテレビスペイン語を覗いて見ます!!

バルセロナを歩いて思ったのは、きれいな人が多いなってことでした。バルセロナ大学の近くに泊まったので、基本的に若い人を多く見た、、、のは確かだったのですが、みんなお肌つるつるで、お化粧も上手にしていて、格好もなんだかおしゃれだったなあ。毛穴対策だなんてそんな言葉、スペインには無用なのでしょう。というか、、、あちらの人って毛穴少ないですよねえ、、、

いやあ、、、帰国して1週間たちました。
時間たつのって恐ろしい、、、(こんな自己満足旅行記に時間かけている主婦が恐ろしい、、、ですよね、、、)今度はいつヨーロッパが覗けるのか??まだ行ってみたいところいっぱいなんですけど、、、さて夢をいっぱいみながら洗濯物を干すことにします。

旅行写真数枚

2008-04-15 20:09:12 | Weblog


娘をとりこにしたスペインのグミショップ。いたるところにある。買っている人はみたことなかったけど。。。。



さすが海が近いバルセロナ、見たことない魚うようよしてた。イカとかタコもうじゃうじゃ。




サグラダファミリアの中。上に上る人の行列。そしてその人のための自動販売機。
まさにスターウオーズの世界。ユニバーサルスタジオのアトラクションにも見える。



イースタエッグハンティングは本場。お庭で実行。探せずにそのまま放置されたエッグもあるらしいのだが、隠した本人もどこに隠したか忘れてしまい、もうそのまま。今頃は何かの餌になっている模様。



イギリスではお行儀のいい娘。ラムはおいしかったと一人前のこと述べておった。
いたるところにアンティークが、、、

2週間はこれで終わり

2008-04-14 21:05:02 | Weblog
イギリス、ヘレンのお家に戻ったのが夜の9時過ぎ。夕方はバルセロナにいたのが嘘みたい。ヘレンは遅い夕食を食べていた。

翌日は旦那の親友とあう。旦那の親友のところには15歳になる息子がひとり。15歳というむずかしい年頃なのに、とても面倒見のいい子である。やさしいところは昔とちっともかわらない。そして今回は彼の友達も、うちの娘の相手をしてくれた。いい子達だあ、、、そしてなんといっても二人とも見た目がかわいい!!!うちの娘の目はずっと花模様となっていた。3年前にこの息子がいっしょうけんめい、うちの娘にルールを教えようとしていたカードゲーム、、今回は友達もいっしょに3人でできた。3人で大笑い。娘の目には星がいっぱい!!!

翌日は、、、、なんだか天から大きな白いものがぱらぱら、、、その一つ一つがかなり大きい、、、なんだろうか?と思ったら、、、雪。

4月なのにイギリスで雪が降った。それも雪のひとつひとつが本当に大きいものだからあれよあれよと降り積もり、海岸沿いにある芝生地帯には子供大人がわいわいでて、誰もが雪だるま製作に忙しい。

この雪のなか、今日は旅行最初にとまったハンプシャーに戻らなければならない、、、。しかし、うちの相変わらずのゆっくり朝食、ヘレンとのぐるぐるおしゃべりのおかげで、雪も小さくなりなんだか光も差してきた。

2週間の旅行、あっという間に終了である。

最後にもうひとつ、大笑いした話を。
バルセロナで食事をしたとき、パエリアのおいしい店に連れて行ってもらった。パエリアといっても魚介類が大得意とはいえないうちの家族。(うちは完全なる肉食)パエリアの何がおいしいのかうまく表現できず、、、。最後にデザートで、あたしはプリンを、旦那の友人はクレーム・ブリュレを、うちの旦那はチョコレート・バニラアイスクリームを注文した。あたしのプリンは評判とおりナイス!!クレーム・ブリュレは、うーん、まあまあ。びっくり仰天だったのが旦那のアイスクリーム!そこには白いお皿に ”マグナム ”という、イギリスでは誰でも知っている(ヨーロッパのものなのか?)棒つきアイスクリーム(100円ぐらいでどこでも買えるような)がのっているではないか!絶句とはこのとこであった。

イギリスと成田、12時間の飛行。娘はほとんど寝ることなく。あたしはおもしろくない日本映画になんとなく中途半端な思いであったため、ゲームを始めたらとまらなくなり、そのまま12時間。あたしはピンポンゲームで負けまくった、、、、声まででそうになりながらの12時間であった。無事、成田につき、娘はその日の午後にあるバレエのクラスに行きたいとかなり元気。そして何もなかったようにバレエのクラスに行った娘。あなたは全くあっぱれじゃ。



フィゲラスからバルセロナそしてイギリスへ

2008-04-13 20:51:43 | Weblog
高校のときにかなりダリにはまった。名古屋で初めて見た美術展がダリのものだったような、、、。ダリが愛人であったガラのことをずっとモチーフとして描いていたのがとても好きであった。30年たってやっと結婚という形をとった二人。夢見る夢子のあたしにとってはこういう話、いまだどきどきしてしまう。

急いで特急をつかまえてバルセロナまで戻るまえに腹ごしらえ。ビールとファンタレモンとハムサンドイッチ、そしてピザ。持ち帰りでと頼んだつもりが、、、。ファンタレモンはファンタオレンジとして登場。それもガラスのグラスつき。あのおおお、もって帰りたいんだけど、、、ビールはプラスチックの入れ物に、、、ピザはただいま温めなおし!4時30分の特急をつかまえたいよおおお!!ビールをすすりながら、駅まで走る、走る、走る!!!待っている電車に飛び乗ったら、電車が動き、、、せーーーーふうううううう。

スペイン語が話せないってものすごく不都合。食べたいものが注文できない。何をいわれているのかさっぱりわからない。。。天下の英語もこの大陸では役立たず。英語ができないことに小さくなってしまう日本にいる自分が恥ずかしくなるぐらいの勢いでまくしたててくるスペイン人。英語なんてなんじゃ!!って感じで。

バルセロナではものすごくおいしいものを!と期待していたのだが、ユーロが強いこととと言葉の壁で思い切ったものが頼めず。おいしいとおもったのが、帰りの空港で試食を薦められた生ハム。ナッツだけを食べて育った健康なブタさんの肉だそうだ。こんなもの店でたべたら、3000円はくだらない、、、とても手に届かないしろものであった。

翌日は完全な観光客となり、ツアーバスにのる。どこで乗ってもどこで降りてもいいというツアーバス。イヤホンを渡されて、日本語の説明も聞ける。天気もよくてロンドンバスの二階部分に座ると、もう気分は最高!!!終日ずっときょろきょろしていたわたしたちである。

バルセロナ最後の日の朝にサプライズが、、、あのミシクーでしりあった方がわざわざわたしたちの泊まっているホテルに来てくれた!!!ホテルの朝食が8時から11時ということで、朝一番に競って出かける旅行者が少ないのをいいことに、朝は思い切り食べておこう!!とバルセロナ最後の日にもかかわらず、大名朝食をとっていたわたしたちのところにミクシーのMさんが来てくれたのである!!びっくりいいい、あえないと思っていたので、本当にびっくりいいいい!!あたしは二杯目のハーブティを作りにテーブルにいたところを発見されてしまった。お会いするのは初めて、、、でもミクシーを通して何度もメール交換をしていたので、なんだか何年も前から知り合いだったような感じが、、、(ってあたしだけでしょうかあ、、、なれなれお話しすぎでしたかあ??)チャンスミーティングってすごいなと感激の朝。バルセロナ最後の日にして、これからサグラダファミリアなり、グエル公園に行こうとしていたわたしたちであった。

ガウディが設計したグエル公園。粉砕タイルでくねくねと作られた公園は夢の国そのもの。まあ、よく、ここまで発想の自由を許された!パトロンの彼とはいい仲だったのか??とにかく広い。娘が走り回りだした収集がつかなくなる。時間はどんどんすぎて、、、買い物はしていない、、、見たいサンタマリア教会までは無理か??まだサグラダファミリアもみてないよおおお、どうするううう??

結局、ものすごい急ぎ足でもやはりサグラダファミリアは一応見ておこうとやっと一致。(こんな決断に時間をかけるだなんて、、、)思ったよりも小さくてびっくり。思ったよりも何もできてなくてびっくり。入り口にはスターウオーズにでてきた悪い役のような彫刻がいっぱい、、、ええ、、これって絶対にぱくりだああああ、スターウオーズだあああああ!!(もちろん、ジョージ・ルーカスがパ食ったんだ!!!)中にはいってみると、うわあああ、本当に子供のやりかけの砂の城状態。それでも中には上に上れるようにエレベータが。それを待つ行列。その観光客のために教会の中に飲みものの自動販売機が。1時間ほどの列でやっとエレベータまでたどりつく。エレベータ自体狭いのに、係りの女の子が常時のっていてエレベータに乗った時点で一人あたり2ユーロを徴収。エレベータの中にはエアコンまで。なんだか段取りわりぃなあ。。。あっというまに上にたどりつく。上までくると、教会の上のほうがよく見えた。これまた粉砕タイルによるおとぎの世界。下にいるダースベーダーの手下とはちょっとミスマッチって感じ。このあとはぐるぐる階段を急いで下る下る、、目がまわるまわる、、、、

あっというまにホテルに急ぐ時間。急いで空港までのバスを捕まえなければの時間になってしまった。空港までのバスのチケットはその場で買えたのだが、これまた怪しい人が売っている。自分たちの前に並んでいたスペイン人までもが、この人は正規のバス会社の人なのか聞いていたほど。見た目がちょっとジプシー風なんだもの、、、。

あああーーー足りん、足りん!!まったく足りない!!
3泊4日ではちっとも足りないバルセロナであった。次回は女友達と旅行したいいいい!!神様におこられそうだけど不完全燃焼!!!!

飛行機にのってまた2時間、イギリス。
電車、タクシーを乗り継いで、ヘレンの待つお家へ。

バルセロナからフィゲラスへ

2008-04-12 20:42:45 | Weblog
イギリスからたった2時間でいける場所なのに、噂とおり暖かかったバルセロナ。
光が違う!朝イギリスをでてホテルに着いたのが3時すぎ。うろうろとホテルの周りを散策。

細い路地に重い感じの石の建物があちらにもこちらにも。壁に彫刻してあったり、絵が書いてあったり、窓には繊細な鉄細工が施されてある。スリの多い国。かばんには注意しなければいけないのだが、顔は上を向いたまま、ついついきょろきょろしてしまう。

古い町並みに”スターバックス”は上手に溶け込み、お客も結構はいっている。驚いたのは、甘いものをうるお店の多いこと。グミだけの専門店や、パンやの一押し商品は砂糖のかかったような甘いパンのようである。寄ってみたマーケットの入り口にはいきなりグミの専門店。扱っているのはグミやチョコレートのかかったナッツなのであるが、その量といったら、、、。向かえ側にあるのはフルーツ屋。卵だけを売る店や、バナナだけを売る店など。おもしろそうじゃないかああああ
マーケットの奥には、日本で言う一杯飲み屋が、、さっそくすわってみる。ビールと小さなタコのオリーブオイルいためを食す。おいしいいいいいいいいい
バルセロナの人は仕事の帰りにこんなところで一杯するのおお??いいんじゃないいいい!!!!!

次の日は電車にのってちょっと遠出。ダリの美術館を訪ねる。バルセロナから2時間弱のフィゲラスへ。プラットホームで電車を待っていると、電光掲示板には  ”FRANCE” の文字が、、、。そっか、陸でつながっているのだから隣の国へは電車で移動が可能なのだ、、、当たり前のことなのだが、とても不思議に思った。北アフリカからスペインにはいってヨーロッパを移動すると思われる黒人の人もいっぱい。スペインの電車はイギリスのと比べてとてもきれいであった。日差しがやはり強いようで電車の窓ガラスは遮光ガラスとなっている。外からは見る窓ガラスは真っ黒であった。適当な席にすわり、少しすると車掌さんが。大人2人と子供1人での旅行なのだが、日本と同じ様に6歳の子供は無料ということに勝手に解釈してチケットは2枚のみ所持していたわたしたち。車掌さんは何度も娘の顔を見る。何かとてもいいたそうに何度も見る。何度も何度も見たのだが、観光客まるだしのスペイン語ゼロのあたしたちには質問もせず、2枚のチケットのチェックでおわった。そのあとは、北アフリカから来たと思われる黒人の人達のチケットは念入りに確認して、不足金を全員から没収していたようである、、、。スペインはアパートやマンションのような建物に住む人が多いようであるが、都市から外れると戸建の家も見え始める。スペインもイタリアも似た感じだなあというのが感想。建物がみんなオレンジ色っぽく、光に当たると本当にきれいにマッチしていた。そしてついたのが、フィゲラス。すべてがダリ美術館のためにできたような駅であった。美術館は彼自身が設計したとのことで、迷路のような遊びありの美術館。1989年になくなっているダリ自身、ここに埋められている。

ブライトンからバルセロナ

2008-04-11 10:26:31 | Weblog
ブライトンはわたしがOLをやめてから語学学校に通うのに選んだ場所。
ブライトンがよかったのは当時みた映画の影響。「さらば青春の光(原題・Quadrophenia)」。そこで旦那とであった。マーガレットにもお世話になった。

ブライトンでは旦那の親友の一人のお家に泊めてもらう。
独身の彼には、年をとったお母さんがいる。ヘレン 81歳。
そのうちに他の仲間が集まってディナーをいっしょにとった。

ヘレンはぼけがきているようで、その彼女をお世話する息子としてはとても大変な環境にいる。親を捨てるわけにもいかないし、老人ホームにいれるようなお金はないし、一人っ子の彼としては母親を無視もできないし、でも彼も彼の生活があるし、、、。

ヘレンと話すと話が何度も何度もまわる。
”わたしの母親はフランス人で父親はギリシャ人だったのよ。”
からはじまって、”なんといってもあたしの母親はフランス人だったので、フランスに里帰りしたときは、自分が8歳ぐらいからランチにワインを飲んだものよ。”それから” ロンドンに住むのは好きではなかったわ。ブライトンのこの部屋からは海も見えるし、、、でも天気がねえ。海を越えればフランスで南に下ればすばらしい天気に恵まれているのに、、、、””ギリシャではクリスマスランチをお庭でとれるのよ。”何を話していても、急に ”なんといっても、わたしの母はフランス人で父はギリシャ人だったのよ。 ”の話に戻ってしまう。

数日お世話になったのだが、ヘレンの話はずっとぐるぐる回ってた。

そして、今回の旅行の大イベント!
スペイン、バルセロナ!!!
たまたま旦那の親友が出張でスペインに行くということから、バルセロナいいんじゃない!!となったのだが、バルセロナは行ってみたかった場所のひとつである。

わたしの大ヒーロー、フレディ・マーキュリーが歌った”バルセロナ”がバルセロナオリンピックで使われ、火のついた矢が聖火台までとんで聖火がともった瞬間をいまだ忘れられないわたしである。
わたしの大ヒーローその2、画家のダリ。ダリはスペインの人であり、バルセロナから2時間ほどの電車で彼の育った場所に行け、そこには彼が設計した美術館がある。フレディのバルセロナといい、ダリのバルセロナといい、人生後半が始まった今、自分の原点を振り返るようにと天の上からアドバイスが来ているのでは?と思わずにいられないほどの流れ。そうだ、バルセロナ、、、バルセロナに行ってみよう!と、私の中では大盛り上がり。

そして盛り上がった理由にはもうひとつ。
ミクシーサイトであたしのほうから無理やりメールをして、メール交換を始めた方がおられるのだが、その人が偶然にわたしたちがバルセロナにいるときにバルセロナにいると言われる!会ったこともない人にそれもバルセロナで会う???

イギリスからバルセロナは2時間の飛行。1時間の時差がある。
次の日の午後はバルセロナを歩くことになる。この距離感。
ああ、、、ヨーロッパ!!

マーガレット

2008-04-10 17:51:39 | Weblog
会いに行ったのは、この夏で92歳になるあたしの命の恩人と85歳になるその妹。

OLをやめて思い切ってイギリスの語学学校に通っていた頃のこと。

英語力なんてちっとも上がらないし、性格上友達を作るのも上手でないし、イギリスでの生活がハッピーなのかどうなのかわからなくなってきて、あたしは連日のようにイギリス生活の不平を日本の友人あてに長い手紙にしていた。そのため郵便局によって手紙を送るというのが、わたしの中でものすごく大切な行事となっていた。

この命の恩人、91歳のマーガレットはまさにその郵便局でしりあった、イギリス人のおばあさんである。これは後から聞いた話なのだが、マーガレットはあたしの送ろうとしていた手紙をなんとなく覗き込み”Japan ”あての手紙を持っているアジア人だから、日本人なのだろうと確信したそうなのだが、彼女から” 日本の秋はどんなですか? ”みたいなことを聞かれたのがきっかけで郵便局で話をし、そのときに彼女の住所・電話番号を持たされて、いつでも遊びにいらっしゃいと言われたのがすべての始まり。

それから18年のつきあいとなる。

見た目もちょっと変わった感じのおばあさんであったため、電話をすることが正しいことかどうかちょっと迷ったのだが、電話をして遊びにいってみて、学校以外でイギリス人と話ができたことが最高の満足につながり、そのあと3ヶ月の間、彼女のアパートにいそうろうすることになる。言葉ができないことでものすごく暗かったイギリス生活に光がともったのはすべてマーガレットのおかげである。

農場で育ったマーガレットは、殺されて売りに出されるブタの鳴き声がつらくてつらくて、ベーコンは食べられなくなったと言う。学生のときはよくダブルデートということで、妹にお金を払ってはつきあってもらったとか、第二次世界大戦のときはイタリア捕虜兵をトラックで移動させたとか、死ぬのことは選ばなかったイタリア兵たちは自分たちの入る予定のテントつくりを競って手伝ってくれたとか、、、ロンドンでは舞台をよくみて、ローレンス・オリビエを舞台裏口で待ち伏せしたとか、、、。妹といっしょにヒッチハイクしながらヨーロッパを旅行した話とか、、、今となっては書き留めておかなかったことを後悔するほど、おもしろい昔話をしてもらった。当時、マーガレットはさびつくほど古い薄い水色のフォルクスワーゲンに乗っていて、わたしの語学学校の授業が終わるころ、あたしの学校まで迎えにきてくれて、そのまま海岸までドライブ。海岸で彼女の手作りチーズサンドイッチを食べながらその日の話をしたものである。マーガレットいわく、車は便利だけど、どこに駐車したのか忘れてしまうのが困る、、、と、止めた車を探し回ったことも何度もあった。一人暮らしであったマーガレットには話相手が必要であったし、英語が話せないあたしは我慢強い先生が必要であったわけである。二人の生活は問題なくはじまり、お互いに助け合いながら3ヶ月とてもスムーズにすごした。

日本に戻ったわたしは手紙を書いた。マーガレットもよく返事をくれた。

そしていま、妹とともに宗教団体が運営している老人ホームにいる。

マーガレットに別れをつげて目指したのは南にくだってブライトン。

ハンプシャーからバースへ

2008-04-09 22:45:50 | Weblog
イギリスに着き、初めてのレンタルカー。まよって開港前のヒースローターミナル5に入り込んでしまい、そのあとは工事現場の車に先導してもらいながら出口まで。やはりイギリスは緑だなあ、、、と(と、後ろ座席で思っていた。。。)1時間30分ほどの運転で、目的地に到着。ここはイギリスのハンプシャー地方。

そこには2年ぶりの従兄弟たちがうちの娘を待っていた。娘より1歳上の男子と6ヶ月下の女子。2年前とちがって3人で普通にコミュニケーションがとれるようになった子供たち。2年という時間の壁など感じることなくさっそく遊びに入りだす。12時間のフライトも嘘のような感じである。

ここでの最大のイベントはイースターエッグハンティング。(キリスト教・復活祭)8歳になった男子はしきりにイースターバニーがすでに庭にきたかどうかを気にしている。おいおい、8歳ってこんなにナイーブなの??バニーがエッグを隠していくっていうわけなのね。まだ信じてる??かわいいんだけどちょっとびっくり。

家の裏側にちょうどいい大きさの庭がある。その素敵な庭を舞台にイースターエッグ(卵は復活を意味する。そしてエッグといっても基本的に中が空洞となっているチョコレート。小型のエッグはナッツクリームなどがはいっている場合も。大型のエッグは中が空洞ではあるのだが、その中にまた小さなエッグ型のチョコがはいっていたり、、、とにかくチョコレート)を探すのである。3人はそれぞれにバスケットをもち、それぞれにエッグを探す。

大きなエッグ、小さなエッグ、ウサギ型の大型チョコレート、、、なんだかかなりの量のエッグが発見された。チョコを食べる楽しみ+チョコを探す楽しみがある、このエッグハンティング。このあと何度 ”隠す・探す”をやり直したことか。

娘は時差ぼけなどなんのその。従兄弟たちと遊べるだけ遊んだ。
男子とはサッカーを、女子とは家族ごっこを。(これって万国共通の遊びなんだな、、、。うちの娘はいつでもどこでも、赤ちゃん役が多いのだが、、、)
サッカーに関しては、この家の前は芝生になっていてちょっと広く、なんとサッカーゴールが、、、。こうなるとちょっと本格的にやってみたくなるものである。

従兄弟と数日過ごした後は、わたしが娘を妊娠中からの知り合いである家族を訪ねて ”バース”へ移動。友人家族にはうちの娘の親友とその弟クンがいる。車から一番に出て走って玄関に向かったのは娘であった。弟クンもこの夏で4歳である。娘の名前を何度も呼んでくれ、喧嘩しながらも3人で遊んだ。

ここでの最大イベントは、娘の親友の学校に1日体験入学!!朝、小雨の降る中、親友がいつも通る道をその日は二人で手をつなぎながら、20分ほど歩いた、歩いた。男女同じくらいの数の子供がいる。30人いないぐらいだったような、、、そこに先生が補助を含めて3人しっかりとついている。クラスは小さなグループに分かれてできており、朝一番に自分のファイルを持ってきてさっそく、スペリングのテストのようなことを始めていた。娘はちょっと圧倒されている様子ではあったが、いろんな子供が娘に興味を示し集まってきた。娘はセレブ状態!!読み書きが完全にできるクラス。最初にはじめたのが、、、” 詩を作ってみよう!” 、、、ポエム?? もうこれだけであたしの口はアングリ状態。先生は最新のホワイトボードにネットからひいた情報をうつして、子供の気を上手にひく。うるさくする子供には、とても冷静な言い方で問いかけ正す。語順を間違って話す子供にはその場で言い直しさせる。てきぱきてきぱきと子供をひっぱり、最後はグループにわかれて子供に詩を書かせた。娘は親友と相談しながら、すべて彼女のものを写して書いたと嬉しそうに説明してくれた。この学校の様子は、あたしにとってショックという感情で処理されたほど、それはそれは衝撃的であった。

土曜には旦那の思い出たっぷりの場所、ブライトンへ移動。
でもその前にあたしの思い出の人に会いに行く。

なかなか始まらない旅行の旅行記

2008-04-08 23:53:58 | Weblog
今朝、2年ぶりのイギリスから2週間ぶりに戻りました。

2年ぶりの海外旅行で繊細なあたしは緊張していました。まず、成田にどう移動するかで旦那と衝突。こんなことで衝突して、最後までニコニコやっていけるのか???、、、ハラハラで始まった旅行です。

移動手段で意見が食い違ったものの、スーツケースは宅配で送ろう(あたし案)、ちょうどいい時間のリムジンバスがないから電車で行こう(旦那案)の組み合わせでスムーズに成田入り。しかし時間に余裕をもったものの、やはりどたばたでの到着であったため、チェックインする人の行列が、、、、、

そこで便利なのが ”子供 ”。
すみませええん、子供がいるので、、、スピードボーディングでお願いします!
ものすごい行列の横をスイスイ。おおっつ、ラッキー!

さて、旦那の機内持ち込み荷物チェックで赤ランプが。
指摘されたのが、彼の愛用ボディクリームの入れ物が大きすぎるということ。歯磨き粉のサイズが大きすぎること。時間があるのなら、旅行用の入れ物にクリームを入れ替えたら持込み可能とのこと。彼のかばんにあった香水なども、ジップロックバッグにいれないと持ち込めないとのこと。そんなああああ!久しぶりの飛行機、いろいろな新しいルール、、知りませんでしたあ。

なんとか、娘の持ち込み品につかっていたジップロックバッグに、旦那の洗面道具をいれて、ボディクリームと歯磨き粉にはその場でバイバイをいい、なんとか出国に、、、

なのに旦那が青い顔をしている、、、。娘の分の帰りの旅程がない!確かにカウンターでは家族3人分のものをもらったのに、あの荷物チェックのばたばたでチケットがなくなったんだ!!と、真っ赤になり始める旦那、、、。

結局、あたしが階段あがり、事情を話し、荷物検査の横から出してもらい、飛行会社のカウンタに入れてもらい、また事情を話し、幸いに最初に相手をしてくれたグランドスタッフがわたしたちを覚えていてくれたので、話がスムーズに進み、再度、娘の分の旅程をプリントアウトしてもらう。あたしはそれをもらって走って荷物検査に戻り、手をふって横から入れてもらい、出国検査の列におさまる。もうこの時点で飛行機出発時間はすぐそこ。。。。

出国検査は幸いにもスムーズに。その先には寂しいながらの免税店が。さきほどあれほど、機内に持ち込めるクリームの大きさや液体の量を厳しく指摘されたのに、新種の香水を薦められる。これは矛盾してないか?と、また赤くなりだすうちの旦那。

ようやく機内。座れたわたしたち家族3人。飛行機は無事、空の上。さてお楽しみのエンターテイメントの始まり始まり。12時間のフライトでも十分に満足できる映画の選択肢。そのほかにテレビのコメディや子供むけの番組やゲームが楽しめる、、、はずが、、、、映画を見始めたわたしに、またまた赤い顔のうちの旦那から、無視できないほどのおいおいというボディランゲージが飛んでくる。。。どうやら、彼のスクリーンが壊れているらしい。。。何度もキャビンアテンダントを捕まえては、自分のスクリーンが操作できないと訴えるうちの旦那だったが、やはり結論としては、壊れているようであった。

キャビンアテンダントとあーだ、こーだで、結局、わたしたち家族3人がすぐ後ろの席に移動することに。あたしの真後ろにいた人が一人移動することで話が済むようである。そしてようやく旦那も映画を見始めたのだが、、、新しく彼の隣になった人がかなり具合が悪かったようで、飛行中ずっと咳をしていたらしい。

2年前の旅行で娘はまだ4歳。今回は6歳。目の前のスクリーン操作は誰に教わったわけでもないのに、ちゃんとやっていた。いやはや、12時間のフライト中、彼女はいったいどれだけ寝たのか、、、?

瞬間湯沸かし器のような旦那にして、この火の玉のような娘。このさき、旦那からどれだけ派手はボディランゲージがこようとも、気がつかないふりをして、映画を見続けたわたし。神様は許してくれるでしょう。。。なにせフライトは12時間なのだから。

その後無事に平和にイギリスにやっと到着。

今回は初めてのレンタカー使用の2週間。さっそく道をまちがえて開港直前のターミナル5(問題続出の!)にはいってしまったうちの旦那は、工事現場の車に誘導されて元の道に戻る。

さてさて、、、続きはまだまだ。

目が悪いということは、、、、

2008-03-22 23:15:07 | Weblog
ソフトコンタクトレンズにしたのはいいのだが、、、、、

今回、2週間ほどの旅行に出るにあたって、荷物をつめているときに手がとまってしまった。

さて問題は、2週間分の両目のコンタクトレンズはどこに詰めるべきか?

スーツケースにいれて、運悪くスーツケースが紛失したら?

2週間分って両目で28個のレンズ!

そんな大量でかさばるものを普通のかばんにいれる??

以前のハードコンタクトのときは、レンズケースと洗浄液の小型を1セットもてばよかったので、化粧ポーチに入れていたのだが、今回は、、、、

目が悪いって事は本当に余計なことを考えなければならないようで、ものすごく損している気がしてならない。