ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  091

2009年12月14日 00時13分21秒 | Weblog
 先ほど、しんちゃんのおしりスタイルをしていた息子です。
 ドラえもん大好き少年です。

 さてさて、宮之城線の建設が滞ってしまったこの時代は、世界的に金の価値をどうするかで揺れていました。
 経済の話になると、私自身はとても弱いのですが、いろいろなデータを読んでいると、結局、金の増産が当時の日本経済の安定にとって重要だったということなんですよね、読者のみなさん!

 どうして、このような話をするかと言うと、実は、宮之城線や山野線沿線には金山がいくつもあるからです。

 山野線では菱刈ですが、ここは1920年代に開通し、金山との関係が始まっていました。
 宮之城線沿線では、線路がまだ延びていない所に永野金山がありました。

 いったん、中止に近い停滞が生じた宮之城線の建設が復活したのは、実はこのあたりの話と関係があるのではないかと私は考えているのです。
 つまり、金の採掘・運搬を円滑に進めるために宮之城線の構想は「再スタート」を切ったのではないかと。

 これは、あくまで勝手な推測ですよ、みなさん!

 ですから、いわゆる15年戦争によって、戦争遂行のための資金獲得、つまり外貨の獲得の手段として普遍的な価値を持つ金を増産する必要性が生じたのではないかと考えるわけです。

 そうしたら(そうしないでも)、八代~出水~鹿児島のルート争いに敗れた宮之城線が息を吹き返したように国費が欠乏していく中で、この後、宮之城線の建設が急ピッチで進められることになるとは理解ができないのです。

 1934(昭和9)年7月・宮之城~薩摩鶴田が開通。
 1935(昭和10)年6月・薩摩鶴田~薩摩永野開通。
 1937(昭和12)年12月・山野線全線と同時に薩摩大口駅まで宮之城線が全線開通。

 そして、どうしようもない泥沼となる日中戦争へと突入していきました。 
 
 

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