日特工場前からの登り坂は勾配がきついことは、(1)の写真でも明らかです。
その坂を登り切り、下りにかかるこの場所からは正面奥のはるか遠方に霧島の韓国岳が見えていましたが、ここを訪れた日には霞がかかり見ることは叶いませんでした。
新しいアスファルトは妙に好きな私なのですが、左車線の下に線路跡がありました。
現役時代の姿は私の手元にはありませんが、2010年2月16~17日のこのブログをご覧になればその姿を追うことができると思います。
下り坂のアスファルトが切れたところから側道に入ります。
路盤は削られてかつての車道と同じ高さぐらいになっていました。
ここは踏切跡です。
2010年2月17日には、謎のてすりの施設の写真を掲載しましたが、その施設はなくなり、踏切の遮断機の基礎部分もなくなっていました。
田んぼの中の道路から見ると、かつての築堤は削り取られ、ずいぶん低くなっています。
真っ直ぐに伸びた築堤の姿は大好きな場所の一つでしたが、時の流れに押されて、遂に姿を消しました。
真っ直ぐな築堤が左にカーブをとり、佐志駅に向かおうとする場所に踏切があります。
そこからかつての築堤跡を振り返って撮りました。
手前の側溝が車道と線路跡の境目です。
これからは歩道と車道を区切る所がそれにとって変わることになります。
かつての車道も半分残りますが、線路跡はすっかり新しい車道として生まれ変わっていることが分かると思います。
quo-taさんと薩摩永野駅から先の探検をした時、ここにも立ち寄ったのですが、わずか1週間で工事はさらに進んでいました。
明日はそのことを述べたいと思います。
その坂を登り切り、下りにかかるこの場所からは正面奥のはるか遠方に霧島の韓国岳が見えていましたが、ここを訪れた日には霞がかかり見ることは叶いませんでした。
新しいアスファルトは妙に好きな私なのですが、左車線の下に線路跡がありました。
現役時代の姿は私の手元にはありませんが、2010年2月16~17日のこのブログをご覧になればその姿を追うことができると思います。
下り坂のアスファルトが切れたところから側道に入ります。
路盤は削られてかつての車道と同じ高さぐらいになっていました。
ここは踏切跡です。
2010年2月17日には、謎のてすりの施設の写真を掲載しましたが、その施設はなくなり、踏切の遮断機の基礎部分もなくなっていました。
田んぼの中の道路から見ると、かつての築堤は削り取られ、ずいぶん低くなっています。
真っ直ぐに伸びた築堤の姿は大好きな場所の一つでしたが、時の流れに押されて、遂に姿を消しました。
真っ直ぐな築堤が左にカーブをとり、佐志駅に向かおうとする場所に踏切があります。
そこからかつての築堤跡を振り返って撮りました。
手前の側溝が車道と線路跡の境目です。
これからは歩道と車道を区切る所がそれにとって変わることになります。
かつての車道も半分残りますが、線路跡はすっかり新しい車道として生まれ変わっていることが分かると思います。
quo-taさんと薩摩永野駅から先の探検をした時、ここにも立ち寄ったのですが、わずか1週間で工事はさらに進んでいました。
明日はそのことを述べたいと思います。
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