真夜中の2分前

時事評論ブログ
「真夜中の5分前」→「3分前」→「2分前」に

安倍政権妄言録

2015-06-19 18:24:55 | 政治・経済
 最近の集団的自衛権をめぐる最近の政権関係者の発言は、目に余るものがある。そこで、それらのトンデモ発言のなかから特に印象深かったものをとりあげてここに記録しておきたい。将来日本がおかしな方向に進んでいったときに、誰がその原因を作ったのか、どのように国家の進むべき方向がゆがめられたのかをはっきりさせるためである。

稲田朋美政調会長「憲法に違反するかどうかという議論を、これ以上続けていくことにはそんなに意味が無いのかなと思う」
 6月11日の記者会見での発言。
 例によって砂川判決を持ち出し、砂川判決は自衛の措置を認めており、個別的/集団的の区別はしていないし、「一見明白に違憲という場合以外には、日本の存立に関わる安全保障は国会と内閣に任されている」から、集団的自衛権が違憲かどうかを議論するのには意味が無い、というのである。
 彼らしばしば「なにも書いていないからOK」というような言い方をするが、ほうぼうでいわれているとおり、これがそもそも間違っているだろう。まず大前提として、憲法9条は戦争放棄をうたっているのである。基本がNGなのだから、何も書いてないということはNGなのだ。この場合、最高裁がはっきり「集団的自衛権を認める」といっていないかぎり認められていないのはあきらかである。それに、稲田氏自身「一見明白に違憲という場合」には国会や内閣の勝手にはできないことを認めている。憲法学者の95%が違憲とみなしているような事態を「一見明白に違憲」でないというのなら、いったいどのような事態をそう呼べばいいのだろうか。


麻生太郎副総理「やれ憲法がどうとかわけのわからん話にとらわれているから、話がどんどんおかしな方向になるのは甚だ残念だとは思う」
 同じく6月11日、派閥の会合での発言。
 「抑止力」の重要性を強調しながら出てきたのがこの言葉。麻生氏によれば、抑止力の必要は「この50年で証明済み」なのだそうだ。高村自民党副総裁も「学者のいうとおりにしたら平和は守られなかった」というようなことをいっているのだが、私はそれ自体怪しいと思っている。
 そもそも日本が戦後七十年にわたって戦争をせずにすんだのは「抑止力」のおかげなのか。はっきりいって、そう考える根拠はどこにもない。このブログでたびたび書いてきたが、軍事力で戦争を抑止できるという考えは非常に疑わしい。軍事力を充実させることで戦争を抑止できるというのなら、たとえばベトナム戦争は起きなかったはずだ。70年にわたって日本が戦争をせずにすんだのは、抑止力のためではなく平和憲法があるおかげだと考えるのには十分な根拠がある(※)。
 それにしても、「憲法がどうとか」いうのは、「わけのわからん話」なのか。上の稲田発言にしてもそうだが、安倍政権の関係者に共通するのは徹底した憲法軽視の姿勢である。憲法のことなんか考える必要がない、と平気で口にする人たちが政権を担っているということが、おそろしい。


※ベトナム戦争勃発の五年ほど前から、当時の南ベトナムには米軍が駐留していた。北ベトナムの勢力が南に浸透してくるのを防ぐためである。軍事による抑止力が本当に機能するのなら、北ベトナムが攻撃してくることはなかったはずだ。
 また、ベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件については自作自演という見方もあるわけだが、仮にこれがアメリカの自作自演であったとするなら、もう一つの重要な側面が浮かび上がってくる。それは、ほとんどの場合アメリカは戦争をしかける側だということだ。イラク戦争がそうであるように、また、八十年代の中南米諸国の事例が示すように、アメリカは侵略する側なのである。
 しかし、アメリカが極東地域でなにか軍事行動を起こそうとしても、日本には憲法9条があり、集団的自衛権を容認していないために、なかなかそうはいかない。すなわち、平和憲法があるがゆえに、アメリカは日本周辺で無茶な戦争を起こすことができなかったといえる。
 いずれにせよ、ベトナム戦争の事例は、「米軍と同盟していて米軍が駐留しているから安全だ。攻撃されることも戦争に巻き込まれることもない」というような考え方がはっきりと間違っていることを示している。

公明党へ――連立を離脱せよ!

2015-06-17 19:55:45 | 政治・経済
 前回は、自民党の中堅・若手議員に対するメッセージを書いた。今回は、与党のもう一方である公明党に対してメッセージを送る。公明党がもし連立を離脱すれば、参院で過半数を割り、衆院で三分の二を割るという条件はクリアできる。これもまた見込みは相当に薄い話ではあるが、わずかな可能性に賭けて本稿を書く。
 公明党は、平和の党であるはずだ。これまでは、与党であるために自民党の保守反動的政策のいくつかをのんできた。そのために、第一次安倍政権のときには、自民党との確執も噂された。現在の第二次安倍政権は、第一次よりもさらにタカ派色を強めている。それでも公明党はずるずると自民党に引きずられていくのか。その先にはいったい何があるのか。

 与党に協力して、あくまでも連立与党を維持する――いまはそれでいいかもしれない。だが、5年、10年という長いスパンで考えたときにどうなるのか。いまここで安保法案をのめば、公明党は重い十字架を背負うことになる。いまでもアンチ公明党という有権者は少なくないだろうが、戦争法案への協力は国民の大多数に決定的なマイナスイメージを焼きつけることになり、後々まで「公明党はあのとき戦争法案に賛成したからな」といわれ続ける。
 はっきりいって、そもそも創価学会員以外で公明党を心情的に支持する人がいるとしたら、それは「平和」という党是に共感する人だろう(それ以外の理由があるだろうか?)。公明党自体は決して好きにはなれないけど、平和を掲げているから応援してもいい――といった人たちも、以前はそれなりにいたと思う。そのような微温的な支持も自民党と連立を組んだこの15年ほどでほとんど食いつぶしてきたが、今回の戦争法案によって世間のアンチ公明党有権者は爆発的に増加するだろう。「いろいろあるけど平和の党だからまあいいか」というような消極的な支持は完全に吹っ飛び、あいつらは許しがたいという強い反発だけが後に残る。すなわち、現在の与党の立場を維持するために、今後の公明党を衰亡の危機にさらすことになるのだ。いま与党であるという目先のことだけを考えて、将来世代にツケを回すことになっていいのか。逆に、いまここで戦争法案阻止のために動けば、一時的な不利益はこうむるかもしれないが、「公明党はあのとき戦争法案を身をもって阻止した」として、将来的にはプラスになる。
 目先のことにとらわれて「平和」という党是を捨てるか、あるいは、戦争法案阻止のために立ち上がって“平和の党”の矜持を示すか――どちらを選ぶべきかはあきらかだろう。
 また、未来と同時に過去にも目をむけてほしい。
 公明党の支持母体である創価学会は、戦前の軍事独裁体制下で弾圧を受けた。創価学会の公式サイトには、次のように書かれている。

 「第2次世界大戦中、戦争への動員強化のために国家神道を中心とする宗教・思想の統制を図った軍部政府に反対し、創価教育学会は牧口会長、戸田理事長をはじめ21人の幹部が捕らえられ、当時3000人だった組織は壊滅状態に陥りました。そして、牧口会長は1944(同19)年11月18日、最後までその信念を貫き獄中で殉教しました。」

 これまでにこのブログでは、現在の安倍政権がかぎりなく“戦前レジーム”に近づきつつあることを指摘したが、公明党は、いまここで戦争法案に協力して、軍部の弾圧に遭った先人達に対して、申し訳が立つのか。

 このように、過去をみても、未来をみても、公明党は安倍政権の戦争法案に協力することは許されない。
 これまで、党の根幹に触れるような核心部分は避けながらだましだましで維持してきた自公連立だが、現在の状況は、もう臨界点を超えている。ここで安保法案をのめば、公明党は平和の党として踏み超えてはならない一線を超えることになる。もう、これ以上自分に嘘をつくのはやめよう。“平和の党”の原点に立ち返り、ありのままの姿をみせるときだ。


《拡散希望!》安倍政権の暴走を止めるために、公明党の議員に働きかけようというのが今回の記事の趣旨です。この趣旨に賛同していただける方は、ブログでもツイッターでもなんでもよいので本稿の内容を拡散してください。安倍政権の暴走を止めましょう。

自民党の中堅・若手議員たちへ――造反せよ!

2015-06-17 19:20:26 | 政治・経済
 安保法案への反対の声は、日を追うにつれてますます高まっている。この成り行きには、安倍政権の側もさすがに同様を隠せない様子だ。
 しかし、どれだけ反対の気運が高まろうとも、政権はあくまでも撤回するつもりはなく、最終的には強行採決に踏み切るかまえだ。廃案に追い込むといっても、現実にはそうできる方法はかなり限定されている。
 それでももしこの戦争法案を葬り去ることができるとしたら、その数少ない経路の一つとして、自民党内から造反が出るということがあげられるだろう。
 一見、与党は数の上では圧倒的に優勢であるようにみえるが、実はそうでもない。衆参でそれぞれ十数人程度の造反が出れば、参院では過半数を形成できず、衆院で再可決に必要な三分の二も割り込むことになる。それぐらいならば、現実的にじゅうぶんありえる数字なのではないか。ということで、今回は自民党の、おもに中堅・若手議員に呼びかけたい。こんなブログを彼らが目にすることがあるかもわからないし、見たところでスルーされる可能性のほうが圧倒的に高いのは百も承知だが、それでもごくわずかな可能性と、彼らのなかにもいくらかの良識があることに期待したい。


 自民党の中堅・若手議員は、この戦争法案に対して造反するべきである。その理由を、以下に挙げる。

①ゴリ押しで強引に通しても、将来、違憲を宣告されて結果として無駄骨ということになる可能性が高い。
 政府の安保法案を、憲法学者のほとんどが、違憲といっている。具体的な数字についてはいろいろいわれているが、控えめに見積もっても憲法学者の95%ぐらいは違憲と考えているようだ。
 これが6対4とか7対3ぐらいならまだどちらに転ぶかわからないともいえるが、憲法学者の95%が違憲だといっているものを最高裁判所が合憲と判断する可能性は、常識的に考えて相当低いことは誰でもわかる。砂川判決のように憲法判断そのものを巧妙に避けるか、はっきり違憲と判断するかのどちらかだろう。合憲という判断が出ることは95%ないといっていいのではないだろうか。とすれば、いまこの一連の法案を通したとしても、将来的には結局無効とされて意味がなかったということになりかねない。

②時限爆弾を抱えることになる。
 ①で書いたとおり、今回の安保法案が将来違憲と判断される可能性は小さくない。ということは、これを通すことは、いずれ違憲判決というかたちで爆発する時限爆弾を抱えることになる。そして、その“違憲爆弾”が爆発するのは、実際に自衛隊が戦地に派遣されて戦死するなどの事態が起きて裁判になり、最高裁にまでもちこまれたときだ。それはおそらく、五年十年先のことになる。そのときには、いま政権中枢にいる連中は、もう大部分が引退しているか、最高顧問などといった長老的な立場になっているだろう。たとえそうなっても、彼らは原爆投下を正当化し続けたトルーマンやイラク戦争を間違いと認めようとしないブッシュのように、自分は間違っていなかったと言い張り続けるにちがいない。彼らはそうして呆れられるだけですむが、憐れなのはそのとき自民党の要職にいるものたちである。違憲の判断が示されれば、そのとき自民党の中枢にいるものたちが矢面に立たされることになる。
 すなわち、頭のネジが吹っ飛んだいかれた国家主義者たちの自己満足で将来ダメージを受けるのは、いま中堅若手の議員達である。非常に損な役回りといわなければならない。
 
③本当にこの国のためを思うなら反対すべき。
 最後に、そんな損得計算などなくとも、本当にこの国の行く末を思うならこの法案はとめるべきだ。憲法学者たちも指摘するとおり、ことはもはや安全保障云々のレベルを超えている。憲法と政府との関係という、もっと大きな、根源的な問題としてとらえなければならない。仮に法案の内容自体を是とするとしても、このようなやり方を認めれば、圧倒的な反対を押し切って憲法を恣意的に解釈するという先例を作ることとなり、将来看過しがたい逸脱を許すことになるだろう。こんな無茶苦茶な暴走を止めるのが、真にお国のためというものである。あなたがたが忠誠を尽くすべきなのは、憲法であって党の執行部ではない。あなたがたがおそれるべきなのは、安倍晋三でも高村正彦でもなく、国民である。


《拡散希望!》安倍政権の暴走を止めるために、自民党内の議員に働きかけようというのが今回の記事の趣旨です。この趣旨に賛同していただける方は、ブログでもツイッターでもなんでもよいので本稿の内容を拡散してください。安倍政権の暴走を止めましょう。

無血虫の陳列場――安倍・橋下会談は、民意無視の極致

2015-06-16 17:05:59 | 政治・経済
 安倍総理が、橋下大阪市長と会談したという。
 その中身はあきらかにされていないが、安保法案への協力をもとめたものとみられている。このニュースに、私は「やはり」と思った。というのは、これこそまさに、前回書いた山県有朋のやり方なのだ。
 また歴史ネタになるが、安倍総理の維新への働きかけが事実とすれば、これは記念すべき第一回の国会で山県総理大臣が野党の一部に働きかけて切り崩しにかかった一件を思い起こさせる。歴史シリーズの一環として、以下そのことについて書きたい。

 現在の日本では、選挙で多数を得た政党がその議席を基盤にして政権を作る。だが、日本ではじめに国会ができたときは、そうではなかった。そもそも日本の場合は政府が先にでき、国会はその後にできた。初代総理である伊藤博文と二代目の黒田清隆のときには、政府だけがあって国会はなかった。そして、その状態で選挙が行われて国会が開会されることになるのだが、第一回の衆院選では、「吏党」、つまり政府側の政党は過半数を得ることができなかった。政府が先にあるので、選挙の結果がどうあれ藩閥中心の政府が今後も政権を握ることはもう確定している。ところが、その与党は、過半数を得ていない――という状況が生じてしまったのである。
 当然、国会運営は困難なものになることが予想された。
 それまでは政府だけが存在していたから、国会に諮ることなしに自分たちの好きなようにやれた。しかし、政府側ではない「民党」が多数を占める国会ではそうはいかない。そのような状況では綱渡り的な政治が要求される。では、その綱渡り的な政治をやってのけたのは誰かというと、山県有朋なのである。
 第一回の通常国会では、「民力休養」を掲げる民党が政府の提出した予算案に対して大幅な削減をもとめた。数のうえで多数である民党は政府に攻勢をかけたが、ここで山県が動く。山県は、野党である自由党の土佐派に裏側から工作をしかけて切り崩し、吏党側に引き込むことに成功した。これによって、野党から突きつけられていた予算削減の要求をはねのけて政府は予算案を通すことに成功した。権謀術数政治家・山県有朋の面目躍如である。
 これ以後の国会も、“初の本格的な政党内閣”とされる原内閣成立までは、だいたいこんな感じだった。吏党は常に過半数を得ておらず、政府はそのときどきで民党の一部を自分の側に取り込んで国会を乗り切った。基本的に民党を排除しているにもかかわらず板垣退助や大隈重信といった民党側の人たちがときどき入閣しているのは、そういう事情による。政府は重要法案を通すために民党の一部の協力を必要とし、板垣や大隈らは協力の見返りとして自分たちの要求を政府に呑ませる。戦前の日本では、それが“政治”だった。国会よりも憲法よりも先に政府が存在し、憲法ができてからも基本的に閥族中心の政府は存続し続けた。存続させるために、憲法に抜け道を用意していたようなものだ。藩閥政府ありきで制度が組み立てられているのである。これでは立憲主義が機能しないのも当然だろう。

 こう書いてくると、安倍総理が橋下大阪市長と会談したというのが、山県有朋が自由党土佐派を切り崩した故事と重なって見えてくるだろう。
 もちろんいまの自民党は国会で過半数をもっているが、しかし自分たちの重視する法案を通すために野党の協力を得るべく切り崩しにかかるという構図は同じだ。批判的な世論が拡大している状況に対して、「野党の側も協力しているから、与党だけのごり押しではない」というアリバイ作りをしようとしているわけだ。その背後にあるのは、国会は政府に従属するもので、法案を通すにあたって数合わせさえしておけばいいという根本的な国会軽視である。そしてそれはまた、民意軽視、あるいは無視という姿勢のあらわれでもある。
 前回の記事では、上杉慎吉―岸信介―安倍晋三という「全体主義の系譜」について書き、そこに山県もつらなると書いたが、まさにここで山県有朋から安倍晋三までが一本の線としてつながる。安倍首相は山口の出身であるわけだが、前時代的な藩閥政府が現代に甦ったのが安倍政権なのである。そのような“国体論”が戦前の日本の針路を誤らせたというのは、前回も書いたとおりだ。
 ここで本稿のタイトルの意味であるが、「無血虫の陳列場」というのは、「東洋のルソー」とも呼ばれた自由民権家・中江兆民の言葉である。
 山県が自由党土佐派への切り崩し工作を成功させたとき、国会議員の一人であった中江兆民は、これに憤慨して「竜頭蛇尾の文章を書き前後矛盾の論理を述べ、信を天下後世に失することとなれり(竜頭蛇尾の文章を書いて、矛盾した論理を述べ、将来にいたるまで国会の信頼を失墜させた)」と痛烈に批判し、このような国会を「無血虫の陳列場」と呼んだという。この言葉がそっくりそのままいまの国会にあてはまってしまうところに、日本の政治風土が抱える病根の深さがうかがえる。


追記:石原・橋下の二枚看板で出発した維新だが、いまやその看板は二枚ともなくなり、党は消滅の危機にある。もしここで安倍首相の裏工作にのって安保法制に協力するようなことがあれば、次の選挙でほぼ確実に維新は壊滅するだろう。維新の議員たちは、すでに政界引退を表明しているゾンビ市長の口車に乗って党を壊滅させるような愚をおかすべきではない。

全体主義の系譜――“戦後レジームからの脱却”の先にあるのは全体主義国家

2015-06-14 21:14:04 | 政治・経済
 11日に開かれた憲法審査会で、民主党の枝野幸男幹事長は、あらためて安保法制に突き進む安倍政権を批判した。そこで枝野氏は、戦前の美濃部達吉の例を出して、憲法学者の指摘を無視しようとする政府与党の姿勢を批判している。たまたま最近このブログでは歴史ネタを扱っていて丁度いいタイミングでもあるので、今回はこの美濃部達吉のことをとりあげたい。

 美濃部のいう「天皇機関説」というのは、ごく大雑把にいえば「主権は国家にあり、天皇はその最高機関である。主権は天皇という一個人にあるのではないし、また、その権限も絶対的・超越的なものではなく、あくまでも憲法の枠内で制限される」といったような考え方だ。
 これはその当時の憲法学会では広く支持されている“通説”だったが、軍部や国家主義者たちはこの天皇機関説を自分たちにとって邪魔なものと考えた。そして、満州事変、5.15事件を経て、日本が戦争に突き進みつつあった1930年代になって、本格的に排撃にかかる。
 1935年(昭和10年)、退役軍人の菊池武夫は、美濃部の説を「反逆」と攻撃し、処分を要求。その効果あってか美濃部の著書3タイトルが発禁処分となり、さらに当時の岡田啓介内閣はいわゆる「国体明徴声明」を発し、天皇機関説を「万邦無比なる我が国体の本義を愆(あやま)るもの」と批判した。この一連の排撃運動によって、美濃部は貴族院議員辞職を余儀なくされる。日中戦争が勃発し、その後の太平洋戦争にまでつながる泥沼に日本が足を踏み入れたのは、その二年後のことであった……
 こう書いていると、これはいったいいつの話なんだろうと奇妙な感覚にとらわれてくる。
 憲法学会で通説となっている解釈を国家主義者が攻撃し、国家を泥沼の戦争に導いていく――これは、まさに今われわれの目の前で起きていることではないか。このデジャヴ感にそらおそろしくなってくるのは私だけだろうか。

 さて、ここで少し話題を変えて、天皇機関説に対する当時の反対意見について紹介しよう。
 「天皇機関説」を唱えた美濃部に対して「天皇主権説」を唱えて激しく対立したのが、上杉慎吉だった。
 主権は国家にあり天皇はその最高機関であるとする美濃部に対して、上杉は天皇を絶対的な主権者とした。この上杉の思想から導き出されるのは、当然ながら絶対王政的な専制国家である。まさに、右翼的な国粋主義の思想だ。
 しかしながら、私が真に問題だと考えるのは、実際にはその「天皇主権」さえ仮の姿だということだ。
 実際には、その天皇の威光を借りて、黒幕が事実上の支配者として君臨しているという構図がある。いわゆる「統帥権干犯問題」が示しているように、軍部の人間が自分たちの意のままに国を動かすために天皇を利用しているのである。
 明治憲法そのものにもあれこれ問題はあったろうが、憲法による権力の制約が及ばない“天皇”というエアポケットを作ったことがなにより問題だと私は考える。このエアポケットがあるおかげで、戦前の日本では天皇はあたかも水戸黄門の印籠のように機能し、それを持ち出せばなんでもごり押しすることができた。その一例は、たとえば昭和3年の治安維持法改正である。これは、悪名高き“特高警察”の設置につながるものであったが、じつはこの法案は、国会の会期中には成立させることができなかった。審議未了で廃案になるところを、天皇の緊急勅令で成立させたのである。国会の定められた手続きを踏まなくても、「天皇が通すといってます」といえば通せてしまうのだ。天皇を持ち出すことによって権力に架せられた制限をスルーすることができる、結果として、天皇の威光をかさにきた一部の人間が黒幕として自分の好き勝手に国を操れる――というこの仕組みに大きな問題があった。
 明治日本が近代国家として出発した当初は、実質的に維新の元勲たちがその黒幕だった。この酸いも甘いもかみわけた連中が国を動かしているうちはまだよかったが、最後の黒幕といってもいい山縣有朋のあたりから、次第におかしくなっていく。元勲世代がいなくなり、ろくでもない人間が事実上の最高権力者の地位につくようになると、その暴走を止める仕組みが存在しないことが致命的な結果を生んだ。実際、戦前の軍国主義化を進める制度の多くは、緊急勅令という形で作られたといわれている。「天皇機関説」と「天皇主権説」の対立という点でいえば、結果として、上杉慎吉の「天皇主権説」は国を滅ぼす元凶となったのである。

 ここで、本稿のタイトルの意味を説明しよう。
 上杉慎吉は、東大で一つの学閥を作っていたが、その門人の一人に、岸信介がいた。岸は、必ずしも上杉の天皇主権説に全面的に賛同していたわけではないようだが、その全体主義的な国家観には共鳴していた。そして周知のとおり、岸は安倍晋三・現総理大臣の祖父にあたる。これが、タイトルにある“全体主義の系譜”である。天皇主権説を唱えて美濃部の天皇機関説を否定した上杉慎吉からその門人である岸信介、そして岸の孫である安倍晋三――と、全体主義の系譜が連なっているのだ(※1)。そして、その安倍政権が、憲法学会で通説となっている解釈を手前勝手な屁理屈で攻撃するという、かつて美濃部の天皇機関説を攻撃した軍部や国家主義者と同じことをしている。おそろしい歴史が繰り返されようとしているのである。
 安倍政権は“戦後レジームからの脱却”を唱えているが、戦後レジームを脱却した先にあるのは、上杉=岸の全体主義国家である(※2)。その眼目は、憲法という最高規範の制約をないがしろし、黒幕として君臨する影の最高権力者が自分の思いのままに国を動かすということだ。敗戦にいたるまでの歴史は、そのような制限の及ばない権力を作るということ自体の危険性を示している。安倍政権という明治日本の亡霊のような政権をこのままにしておいては、この国の立憲主義は壊死してしまうだろう。


※1…もう少しいうと、上杉慎吉は山縣有朋ともつながりがあり、この系譜は黒幕政治の立役者である山縣にまで行き着く。

※2…本文でも書いているとおり、岸は必ずしも上杉の国体論に全面的に同調していたわけではなく、北一輝、大川周明などのさまざまな国家主義思想を寄せ集めて自分の思想を形成している。ここでいう上杉=岸の国体論というのは、広い意味で、美濃部の天皇機関説に対立する全体主義的国家観というほどの意味に理解してもらいたい。