10月05日快晴。石垣島。
そもそも
垂見健吾さんとのつながりは
10年前の仙台まで遡る。
ボクが沖縄行きを心で決めたのが
1998年の春。
その年の夏に七ヶ浜国際村で
椎名誠さん、中村征夫さん、垂見健吾さんの写真展が開かれる…ということで
当時のクライアントだった西洋土地開発(株)から依頼を受け、取材をしたのが最初だった。
そのころからコーラルウェイで憧れだった
垂見健吾さんを取材するとあって、
ものすごく緊張したことを覚えている。
写真展の主旨や3人の関係など
ざっくばらんにお伺いしながら、
最後に「9月から沖縄へ移住するんです」…と
垂見さんにお伝えしたのだ。
そのとき垂見さんは気持ちよく
「ほほ、じゃあ連絡をちょうだい」
…と名刺を渡してくれた。
その懐の深さに感動して、
それ以来、垂見健吾さんには
お世話になりっぱなし。
沖縄=垂見健吾
そんなあたたかな気持ちをもって
沖縄という土地をイメージしてきた。
10年間この土地で
いろんな障害を乗り越えて来れたのも
ベースには沖縄のあたたかな土地柄があったから。
そして、その象徴として
垂見健吾さんが居たからだ。
そのシメのお仕事を
垂見健吾さんと出来て
とても幸せに思う。
垂見健吾公式web
そもそも
垂見健吾さんとのつながりは
10年前の仙台まで遡る。
ボクが沖縄行きを心で決めたのが
1998年の春。
その年の夏に七ヶ浜国際村で
椎名誠さん、中村征夫さん、垂見健吾さんの写真展が開かれる…ということで
当時のクライアントだった西洋土地開発(株)から依頼を受け、取材をしたのが最初だった。
そのころからコーラルウェイで憧れだった
垂見健吾さんを取材するとあって、
ものすごく緊張したことを覚えている。
写真展の主旨や3人の関係など
ざっくばらんにお伺いしながら、
最後に「9月から沖縄へ移住するんです」…と
垂見さんにお伝えしたのだ。
そのとき垂見さんは気持ちよく
「ほほ、じゃあ連絡をちょうだい」
…と名刺を渡してくれた。
その懐の深さに感動して、
それ以来、垂見健吾さんには
お世話になりっぱなし。
沖縄=垂見健吾
そんなあたたかな気持ちをもって
沖縄という土地をイメージしてきた。
10年間この土地で
いろんな障害を乗り越えて来れたのも
ベースには沖縄のあたたかな土地柄があったから。
そして、その象徴として
垂見健吾さんが居たからだ。
そのシメのお仕事を
垂見健吾さんと出来て
とても幸せに思う。
垂見健吾公式web