本日、金環日蝕。
「日蝕」と書くと、なんだか厭世的な印象が伴う。
「日食」のあっけらかんとした表層的な捉え方より、
「日蝕」の含みを持った字面が、本来はふさわしいのではないか。
2009年7月22日の「日蝕」のときは沖縄だったので(写真はその時のモノ)
字の如く太陽が蝕まれ、晴天なのに雨雲に覆われたような光の喪われ方で、
体感温度も2度ほど下がったような感じになり、「おお、天誅なり!」と
思わず太陽神に祈りを捧げたものだけど、
今日の朝、ビル清掃の合間を縫って見上げた東の空は、
3年前同様、減光フィルターをかけたような色気のない情景となり、
東京のグレイッシュな街並とあいまって、その天誅度は増したように思えた。
それはやはり東日本の震災の情景を思い出させた。
人間の営みなんてものは、自然の猛威に比べれば露程のものでもなく、
太陽がこうして一瞬たりといえど暗黒に転化するだけで、決定的となる。
「天体ショーだ、日食だぁ」と、ひとつのイベントとして捉えれば、
それは過ぎ去っていくものでしかないのだけれど、
その背景にある宇宙のスケールと、摂理の不可思議さに思いを巡らせれば、
人間なんてものは、己の運命すら天任せな存在なのだ…と、
謙虚な気持ちに立ち返られるというもの。
まさに震災で思い知らされた人間の営みの「うたかた」さ加減は、
身の丈を弁えて日々を積み重ねることに尽きるのだ…と受け止めることでしか、
体得しえないたぐいの、現実であった。
…太陽が蝕まれる。
天体ショーではなく、現実として、そこに在る。
…午前7時30分からほんの数分の出来事…と予定調和に感ずるのではなく、
「マウンダー極小期」として来年から70年間は、気温が2度下がるのだ…という氷河期のイメージも膨らませて、
自分がいまここに存在するのは、希有なことなのだ、とその僥倖を噛みしめる。
そのような視野で世界を見渡せば、
世の中の歪みの根本はすべて、人間のその傲慢さに依るものだ…と、わかるはずなのに。
読売新聞主筆の渡邉恒雄は語る。
「そもそも日本が脱原発をしたところで、隣の中国は今後、
黄海から東シナ海沿岸にかけて二百基もの原発をつくるという。
中国高速鉄道の事故の例を引くまでもなく、中国の技術力の限界というのは想像がつく。
もし、中国の原発が事故を起こせば、その放射能は偏西風に乗って黄砂とともにニッポンにやってくる。
その事実に眼をつぶって、脱原発を叫んだところで意味はあるまい。
それよりは、日本が開発したより安全な原発を中国に輸出するほうが、
日本の安全保障上はるかに有効ではないだろうか」(文藝春秋4月号101pより)
ナベツネは今日の「日蝕」を楽しんだのだろうか?
「日蝕」と書くと、なんだか厭世的な印象が伴う。
「日食」のあっけらかんとした表層的な捉え方より、
「日蝕」の含みを持った字面が、本来はふさわしいのではないか。
2009年7月22日の「日蝕」のときは沖縄だったので(写真はその時のモノ)
字の如く太陽が蝕まれ、晴天なのに雨雲に覆われたような光の喪われ方で、
体感温度も2度ほど下がったような感じになり、「おお、天誅なり!」と
思わず太陽神に祈りを捧げたものだけど、
今日の朝、ビル清掃の合間を縫って見上げた東の空は、
3年前同様、減光フィルターをかけたような色気のない情景となり、
東京のグレイッシュな街並とあいまって、その天誅度は増したように思えた。
それはやはり東日本の震災の情景を思い出させた。
人間の営みなんてものは、自然の猛威に比べれば露程のものでもなく、
太陽がこうして一瞬たりといえど暗黒に転化するだけで、決定的となる。
「天体ショーだ、日食だぁ」と、ひとつのイベントとして捉えれば、
それは過ぎ去っていくものでしかないのだけれど、
その背景にある宇宙のスケールと、摂理の不可思議さに思いを巡らせれば、
人間なんてものは、己の運命すら天任せな存在なのだ…と、
謙虚な気持ちに立ち返られるというもの。
まさに震災で思い知らされた人間の営みの「うたかた」さ加減は、
身の丈を弁えて日々を積み重ねることに尽きるのだ…と受け止めることでしか、
体得しえないたぐいの、現実であった。
…太陽が蝕まれる。
天体ショーではなく、現実として、そこに在る。
…午前7時30分からほんの数分の出来事…と予定調和に感ずるのではなく、
「マウンダー極小期」として来年から70年間は、気温が2度下がるのだ…という氷河期のイメージも膨らませて、
自分がいまここに存在するのは、希有なことなのだ、とその僥倖を噛みしめる。
そのような視野で世界を見渡せば、
世の中の歪みの根本はすべて、人間のその傲慢さに依るものだ…と、わかるはずなのに。
読売新聞主筆の渡邉恒雄は語る。
「そもそも日本が脱原発をしたところで、隣の中国は今後、
黄海から東シナ海沿岸にかけて二百基もの原発をつくるという。
中国高速鉄道の事故の例を引くまでもなく、中国の技術力の限界というのは想像がつく。
もし、中国の原発が事故を起こせば、その放射能は偏西風に乗って黄砂とともにニッポンにやってくる。
その事実に眼をつぶって、脱原発を叫んだところで意味はあるまい。
それよりは、日本が開発したより安全な原発を中国に輸出するほうが、
日本の安全保障上はるかに有効ではないだろうか」(文藝春秋4月号101pより)
ナベツネは今日の「日蝕」を楽しんだのだろうか?