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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Apr_10】シェアをデザインする

2014-04-10 | UNITE!NIPPON


「シェアをデザインする」猪熊純・成瀬友梨・門脇耕三編著


いま、私たちの社会は確実にパラダイムシフトを起こしている。
そのことを実感させるのがこの【シェア】という概念である。

【シェア】とは「分ける」「分かち合う」「分担する」という意味であるが、
同じ「分ける」でも「分業」はシェアではない。

「分業」こそは20世紀の高度経済成長期における象徴的なワードだ。
「分業」とは労働の分割による作業の固定化であり断片化のことで、
仕事本来のもつ、全体としての面白さ、楽しさから人を疎外するやり方である。

でも考えてみれば、効率化合理化の名の下に様々な物事を「分業」化してきたのが、20世紀の歴史だった。
増える一方の人材を「適材適所」に留まらせようと固定化するのが「分業」であり、
自ら考え、行動を起こすことの必要を失わせることで、コマのように代替可能な状態を維持する仕組みだった。

拡大社会の都市計画も見事に「分業」化されている。
郊外のベッドタウンから都市のオフィス群へとゾーニングがなされ、鉄道がそのふたつを繋ぐ。
サラリーマンは長い通勤時間を費やし、その間を行き来する。
すべては経済成長の効率化に則って集約され、人々が移動を強いられる。
それでも「成長神話」が信じられていた時代では、疑問の余地はなかったのだろう。

拡大社会から縮小社会へ。

震災以後、成長神話が綻び始め、ゾーニング分けされた都市計画も机上の空論で、
都会の理屈に地方が貶められている…といった本音が噴き出し始め、
地方都市だけでなく東京ですら、賃貸物件が常時12%空きの状態である…といった事実が、
開発ばかりを推し進める政府・企業のやり方に疑念を与える結果となった。

思考がシフトできているか、否か。

シフト出来ていない人間は、いまだに「成長神話」に郷愁を覚え、
【ニッポンを取り戻せ!】とばかりに東京五輪、リニアモーターカー、原発再稼働の
カネ、カネ、カネが踊った高度経済成長期の夢を描こうとしている。
64年の五輪よ再び…と「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ!」と焚きつける姿勢などは、まさに。

【シェア】とは、固定化から流動化へのパラダイムシフトである。

インターネットの発達から端を発して、震災で決定的なものとなった感がある。
非常事態におけるネットの情報共有は、固定化した役割分担から、
フレキシブルに対応する「役割が変えられる社会」を意識させた。
ボランティアによる急場の大胆な対応は、まさに生きるためのクリエイティブ力だった。
余剰の賃貸物件を共同でシェアする…という【シェアハウス】の発想も、
言ってみれば「役割が変えられる人間関係」というベースがなければ生まれ得ないもの。

【シェア】とは、コチコチに固まって形骸化した20世紀の枠組みを、
ひとつひとつの固有な要件に対してひとりひとりが意見を出し合い、価値観を共有し、
場所性や地域性を鑑み、持続可能なものへと変容させていくための、
その都度都度で「自ら考え、自ら解決させる社会」の方法論である。

社会が【シェア】を志向してきた…とは、
ひとりひとりが考え、ひとりひとりが社会を築く世の中へ
シフトしてきたことへの、顕れなのだ。




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