有代麻里絵 舞踏ソロ公演『左に虹-揺り戻し』@ギャルリーパリ
明治44年に建てられた日本初の全鉄筋コンクリート造りである
旧三井物産ビル1Fにあるギャルリーパリにて、
重厚なWhiteCubeを舞台にしたソロ舞踏。
『左に虹』という意味深なタイトル。
3部構成で生と死の淵につま先立つ。
ただ一点をみつめ、タンゴの調べに合わせて開脚を繰り返したかと思うと、
百合の花を握りつぶしひたすら痙攣したあと、昇天する。
幼少の記憶と心の闇を祓う儀式のような舞。
文字通り全身全霊で臨んだ公演。
すざまじい求心力で歪んだ時空間。
幾重にもこの切り口を積み重ねて欲しい。
存在の続くまで。
明治44年に建てられた日本初の全鉄筋コンクリート造りである
旧三井物産ビル1Fにあるギャルリーパリにて、
重厚なWhiteCubeを舞台にしたソロ舞踏。
『左に虹』という意味深なタイトル。
3部構成で生と死の淵につま先立つ。
ただ一点をみつめ、タンゴの調べに合わせて開脚を繰り返したかと思うと、
百合の花を握りつぶしひたすら痙攣したあと、昇天する。
幼少の記憶と心の闇を祓う儀式のような舞。
文字通り全身全霊で臨んだ公演。
すざまじい求心力で歪んだ時空間。
幾重にもこの切り口を積み重ねて欲しい。
存在の続くまで。
ミコラボ@石神井特別支援学校
今日は支援学校の中1の子どもたちと最後の授業。
渡り廊下に暗幕つけてミラーボールにプロジェクター当てての手作りステージで、
ひとりひとりミコ先生とデュエット!
それぞれの子どもたちに寄り添うダンスが、胸キュンでした〜〜!
やはり無垢な気持ちを秘めてる子ばかりだから、
衣裳で気持ちも上がって、照明でスポットに当たって、
ガンガンノリノリの音楽に乗って、
自閉症の子もダウン症の子も知的障害の子も重度障害の子も、
短い時間だったけど精一杯のダンス!
ミコ先生と対面して触れあって導かれての、カラダコミュニケーション!
分刻みのタイムテーブルでミコ先生大変だったけど、皆のハートを掴んだと思うな〜!
もっともっと特別支援で拡がれば良いね!
今日は支援学校の中1の子どもたちと最後の授業。
渡り廊下に暗幕つけてミラーボールにプロジェクター当てての手作りステージで、
ひとりひとりミコ先生とデュエット!
それぞれの子どもたちに寄り添うダンスが、胸キュンでした〜〜!
やはり無垢な気持ちを秘めてる子ばかりだから、
衣裳で気持ちも上がって、照明でスポットに当たって、
ガンガンノリノリの音楽に乗って、
自閉症の子もダウン症の子も知的障害の子も重度障害の子も、
短い時間だったけど精一杯のダンス!
ミコ先生と対面して触れあって導かれての、カラダコミュニケーション!
分刻みのタイムテーブルでミコ先生大変だったけど、皆のハートを掴んだと思うな〜!
もっともっと特別支援で拡がれば良いね!
初カムヰヤッセン。北川さんこういう本書くのね。
第14回公演『淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について』
殺人事件を軸に犯人と刑事とのやりとりから
各々の「人となり」が浮かび上がるのだけど、犯人役は不在。
つまり刑事の会話の端々から思慮の深さ浅さが読み取れて…
その想像の外れたところに「淵を越えた」犯行の背景が見えてくるという演出。
お見事。
そして、その想像の外れた世界…というのが、
認知症の親を持つ独身息子という、非常にリアルな、
そんでもって「殺人=淵を越える」まで社会が手を差し伸べ得ない…という、
現代社会の弱者排除のシステム…セーフティネットの不在を浮き彫りにしていることが、
あまりにも痛々しく、日曜の昼から感情の揺さぶりでぐわんぐわん云ってしまった。
人間、思慮の端緒となるのはやはり生活ベースでの出来事なわけで、
どれだけ思考の枠組みを拡げてみようとも、
触れ得ぬ世界の居住者には思い到らない…というか。
そういう死角が、モグラたたきゲームのように、はたまた白内障のように、
どんどん加速度的に視界から抜け落ちていってるのが、現代じゃないか?と、
沖縄に思いを馳せながらも考えてしまう。
そんなことを深読みさせる戯曲。ずっしりきました。
第14回公演『淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について』
殺人事件を軸に犯人と刑事とのやりとりから
各々の「人となり」が浮かび上がるのだけど、犯人役は不在。
つまり刑事の会話の端々から思慮の深さ浅さが読み取れて…
その想像の外れたところに「淵を越えた」犯行の背景が見えてくるという演出。
お見事。
そして、その想像の外れた世界…というのが、
認知症の親を持つ独身息子という、非常にリアルな、
そんでもって「殺人=淵を越える」まで社会が手を差し伸べ得ない…という、
現代社会の弱者排除のシステム…セーフティネットの不在を浮き彫りにしていることが、
あまりにも痛々しく、日曜の昼から感情の揺さぶりでぐわんぐわん云ってしまった。
人間、思慮の端緒となるのはやはり生活ベースでの出来事なわけで、
どれだけ思考の枠組みを拡げてみようとも、
触れ得ぬ世界の居住者には思い到らない…というか。
そういう死角が、モグラたたきゲームのように、はたまた白内障のように、
どんどん加速度的に視界から抜け落ちていってるのが、現代じゃないか?と、
沖縄に思いを馳せながらも考えてしまう。
そんなことを深読みさせる戯曲。ずっしりきました。