#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

雨の金閣寺

2006-01-17 | Photo-diary
そのとき金閣が現れたのである。

雨の京都で訪れた金閣寺は
予想以上の存在感で、
霞む視界に金色の輝きを湛えていた。

25年ぶりに見る金閣。

息を呑んだ。


それは私と、私の志す人生との間に立ちはだかり、
はじめは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくなり、
私をかこむ世界の隅々までも埋め、
この世界の寸法をきっちり満たすものになった。

巨大な音楽のように世界を充たし、
その音楽だけでもって、
世界の意味を充足するものになった。

時にはあれほど私を疎外し、
私の外に屹立しているように思われた金閣が、
今完全に私を包み、その構造の内部に私の位置を許していた。


…そのままだ。

溝口の心をわしづかみにし、
その美しさゆえに現実とのはざまに常に介在した
あの金閣が、そのままの姿で、そこに、在った。

…これは現実なのか。

世界を変えるのは、行為ではなく認識だと
溝口は炎燦めく金閣を眺めながら、想った。

…その存在を眼前にしながら、私もまた、
私自身を内包する世界の再認識を迫られている…と想った。
Comment (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ギルドギャラリーでの展覧会 | TOP | 楠葉センチュリータウン »
最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (おりこうしんや)
2006-01-18 17:21:20
bozzoさんの眼を通してみると、自分が思っていたモノとは、

また別のモノに見えるのがとっても不思議です。面白いです。



ぼくは写真のことに関して、技術的なコトはわかりませんが、

先日、手にした本のなかに



カメラは、見ようと思うものを見るための道具なんです。

「この人が撮ると、ただのランプじゃないなぁ」とか、

心がざわざわするのは、写真家が、「個人の思い」で、

見たいように見てるから、なんです。



とありました。ここで紹介されているものを見ていると、

不思議だなと思ったり、面白かったりするのは、

bozzoさんの思いを、何かしら感じてるのでしょうか。



詳しいことは、さっぱりわかりませんが、

なんだかおもしろいなーって思いました。



ぼくも、otomatsuさんに引き続き、

事後報告になりましたが、勝手にリンクを貼っちゃいました。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Recent Entries | Photo-diary