初カムヰヤッセン。北川さんこういう本書くのね。
第14回公演『淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について』
殺人事件を軸に犯人と刑事とのやりとりから
各々の「人となり」が浮かび上がるのだけど、犯人役は不在。
つまり刑事の会話の端々から思慮の深さ浅さが読み取れて…
その想像の外れたところに「淵を越えた」犯行の背景が見えてくるという演出。
お見事。
そして、その想像の外れた世界…というのが、
認知症の親を持つ独身息子という、非常にリアルな、
そんでもって「殺人=淵を越える」まで社会が手を差し伸べ得ない…という、
現代社会の弱者排除のシステム…セーフティネットの不在を浮き彫りにしていることが、
あまりにも痛々しく、日曜の昼から感情の揺さぶりでぐわんぐわん云ってしまった。
人間、思慮の端緒となるのはやはり生活ベースでの出来事なわけで、
どれだけ思考の枠組みを拡げてみようとも、
触れ得ぬ世界の居住者には思い到らない…というか。
そういう死角が、モグラたたきゲームのように、はたまた白内障のように、
どんどん加速度的に視界から抜け落ちていってるのが、現代じゃないか?と、
沖縄に思いを馳せながらも考えてしまう。
そんなことを深読みさせる戯曲。ずっしりきました。