「北海道ユースホステル協会」の役員に建築家、田上義也氏の名前が出てくるのは
昭和40年度(1965年)の役員として常任理事に名前がある。
昭和45年(1970年)から会長となった。
日本ユースホステル協会が直営する全国第一号は「支笏湖ユースホステル」だ
昭和35(1960)年に田上氏設計で全面改修され地表まで届くような三角屋根が印象的。
支笏湖ユースホステルは最古のユースホステルだが、令和3(2021)年の解体まで
林間に建物が現存していた。
田上氏は全国に14か所のユースホステルを設計されたと記載があるが
手持ちの資料と数が合わない
もしかして設計だけで建築しなかった物件があるのだろうか
もしくは軒数を「協会直営」のユースに限定したのか不明だ。
ユースホステルは全盛期には道内に108か所あったが現在(令和5年1月)では24か所に減少している
旅行者の意識や動向が変わっているのでやむを得ないだろう。
田上氏のユースホステル設計としては
「北のまれびと」現代美術社 1977年発行を参考にすると
昭和35(1960)年 宮ヶ丘ユースホステル(札幌)、支笏湖ユースホステル(千歳)
昭和36(1961)年 玉川ユースホステル(網走)
昭和37(1962)年 北湯沢ユースホステル(大滝)
昭和39(1964)年 日本ユースホステル協会功労賞を受賞
昭和40(1965)年 この年に常任理事になる
富良野ユースホステル(富良野)、美幌ユースホステル(美幌)
昭和42(1967)年 定山渓ユースホステル(札幌)
昭和43(1968)年 ライオンズユースホステル(札幌)(日本ライオンズ青年の家)
昭和44(1969)年 標津ユースホステル(標津)
昭和45(1970)年 日本ユースホステル小清水中山記念館(小清水はなことりの宿ユースホステル)(小清水)
昭和46(1971)年 室蘭ユースホステル(室蘭)、イクサンダー大沼ユースホステル(大沼)、
摩周湖ユースホステル(弟子屈)
昭和49(1974)年 留辺蕊ユースホステル(留辺蕊)、北海道青年会館(札幌ハウスユースホステル)(札幌)
昭和51(1976)年 サロマユースホステル(佐呂間)
上記の記録がある
古い建築物ゆえ、すでに解体されている建物が多く
またユースホステルとして閉館しているのも多い。
一応、解体された建物は各出版物の写真と、現存の建物はストリートビュー
ほか、なんとか撮影に間に合ったもので構成した。
写真転載出版物
※青春の落葉様(ブログ)
※北のまれびと様(現代美術社 1977年発行)
※北海道新聞社様
※75‘北海道ユースホステル様(㈶日本ユース・ホステル協会監修)
※札幌オリンピック施設様(㈱工業調査会 1971年発行)
「昭和35(1960)年 支笏湖ユースホステル(千歳)」 解体
全国で第一号のユースホステルで2021年まで現存していた
撮影は、解体年にラストチャンスで内部撮影が出来たので嬉しかった
印象的な螺旋階段は同様の形状を「網走市郷土博物館」でまだ見ることが出来る。
※2021年4月14日撮影
「昭和35(1960)年 宮ヶ丘ユースホステル(札幌)」 解体
ネット検索で他の方のブログがヒットし所在地がわかった
現地には敷地を一段高くした後の石垣が残っていた
それ以外にはここにこんな建物があったとは思えないだろう。
※2021年5月6日撮影
「昭和36(1961)年 玉川ユースホステル(網走)」
確認中
「昭和37(1962)年 北湯沢ユースホステル(大滝)」 解体
航空写真では閉館後も建物が現存している
これは田上氏設計の建物を解体しての2代目のようだ
そう遠い場所ではないので確認してみたい。
昭和40(1965)年 富良野ユースホステル(富良野)
確認中
「昭和40(1965)年 美幌ユースホステル(美幌)」 閉館現存
「昭和42(1967)年 定山渓ユースホステル(札幌)」 解体
国道230号に近く、定山渓小学校の裏手にあったようだ
「昭和43(1968)年 ライオンズユースホステル(札幌)」 解体
田上氏はライオンズクラブメンバーとして他のメンバーの自宅や記念碑
その他の設計も多い
このユースホステルは当初「ライオンズ青年の家」として
オリンピックが行われた「宮の森ジャンプ競技場」のすぐ下に建てらえた。
現在は空き地になっている。
「昭和44(1969)年 標津ユースホステル(標津)」 解体
「昭和45(1970)年 日本ユースホステル小清水中山記念館(小清水)」 閉館現存
「昭和46(1971)年 室蘭ユースホステル(室蘭)」 現存
クラウドファンディングなどで営業をしているが客数が戻ったかが気がかり
早いうちに撮影したい1軒だ。
「昭和46(1971)年 摩周湖ユースホステル(弟子屈)」 現存
現在もユースホステルとして営業しているのは上記「室蘭ユースホステル」と
この「摩周湖ユースホステル」だけ
早いうちに見てみたい。
※HPより
「昭和46(1971)年 イクサンダー大沼ユースホステル(大沼)」 2022年解体
函館旅行への道中に立ち寄り撮影した
この後に解体されたので、まさにギリギリで間に合った
正面両側の太い柱や軒下の三角の換気口に個性を見る。
※2022年6月20日撮影
「昭和49(1974)年 留辺蕊ユースホステル(留辺蕊)」 解体
※2012年ストリートビューより
「昭和49(1974)年 札幌ハウスユースホステル(現:北海道青年会館)(札幌)」 現存
ビル型のユースホステルは珍しいと思ったが建物の一部を利用してユースにしていたようだ
現在は青年会館として宿泊を受けている。
※2021年2月16日撮影
「昭和51(1976)年 サロマユースホステル(佐呂間)」 2021年閉館現存
コロナ過での閉館となった 建物も現在は未使用のため痛みが早くなるかもしれない
解体される前に見に行きたいが遠い……
全貌は見えないが軒下の換気口が田上氏らしい?
※2023年ストリートビューより
1960,70年代のユースホステル建築で、それ以前にはリゾート地での
ホテルも設計している
それよりは小さめの宿泊施設になるが、氏らしいと思わせる特徴が外観にあり。
ほとんどが解体され、現存していても閉館しており中を見ることが出来ない
唯一「支笏湖ユースホステル」の撮影は幸運の何物でもなかった。
ユースホステルだけではなく設計された建物の多くは現存していない
数少ないユースホステルも現存しているものは何とか外観だけでも見に行きたいものだ。