紹介の順番は北海道新聞社発行の「道南・道央の建築探訪」(2004年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあり
岩内町で確認したところ6軒の掲載があった
うち4軒が神社仏閣で今回はパスした。
ほかに、探索中に見つけた気になる建物を追っていきます。
「簗瀬家住宅」 *道南・道央の建築探訪NO79
ナビ「住所」
「簗瀬家住宅」は住宅街にあり、一般住宅なので近寄って敷地内の撮影は辞めた。
簗瀬氏はもと会津藩家臣で、維新後に北海道開拓使に出仕、岩内町行政の基礎を作り上げた町の偉人であり、その後の生涯を岩内町で遂げた。
昭和29年の岩内大火は町の8割を焼失したといわれ、多くの古建築物が焼け落ちた
その中で焼け残った貴重な住宅であり岩内町最古の住宅である。
内部は非公開となっており外観しか見れないが、玄関を中央に両側が同じようにせり出している
屋根は桟瓦でこれは岩内町の別所でも見た
尚、お向かいも同じような感じの和風邸宅があり、最初は間違って撮影までしてしまった。
2024年11月3日撮影
「知恵光院本堂」 *道南・道央の建築探訪NO80
ナビ「」
未訪問
「全修寺本堂」 *道南・道央の建築探訪NO81
ナビ「」
未訪問
「帰厚院本堂」 *道南・道央の建築探訪NO82
ナビ「」
未訪問
「同、庫裏」
建築年 明治37(1904)年
未訪問
「同、鐘楼」
建築年 明治37(1904)年
未訪問
「光照寺本堂」 *道南・道央の建築探訪NO83
ナビ「」
未訪問
「岩内町役場ポーチ」 *道南・道央の建築探訪NO83
ナビ「㈲太田製麺」
太田製麺さんの真向かいにあるのでナビで使用させてもらった
「岩内町役場ポーチ」とは旧岩内町役場の玄関ポーチ屋根のことで
有名な昭和29年の岩内大火で焼け残ったもの。
これだけを見ると確かにアンバランスなドーム型だが
旧役場ではお洒落で近代的なものだったようだ
まだ当時の写真を見ていないので探してみたい。
現在は万代三角広場(旧岩内場所本陣跡地)に移築保存されている
身近な歴史的建造物の一部として町民には親しまれているものだろう。
2024年11月3日撮影
「浮世湯」
ナビ「」
「浮世湯」は詳しくは調べていないが「うきよ公園」「うきよ通り」などの名前があるが現在の地名では無かった?
以前の地名から銭湯名を付けたのだろうと推察。
ネットで検索しているとあるブログに他の銭湯さんの情報があった
「岩内町内で最後の銭湯だった小松湯が、平成24年3月31日をもって営業を終了しました 新聞によると、小松湯ができたのは、1939年(昭和14年)。50年~60年台は、岩内町には10軒以上の銭湯が存在していたようです」
とあるので小松湯の前、平成24年3月までには閉業していたと思う。
とりわけ古い建物ではないが、ファサードがやはり歴史を感じたので撮影した
詳細は不明です
銭湯は今はどこも無くなり、閉業した建物を見て往時をしのぶことしか出来なくなったか。
2024年11月3日撮影
「敷島内の煉瓦倉庫」
ナビ「なし」
岩内町の海沿いを寿都町に向けて車を走らす
そろそろ民家も少なくなったころ、潰れかけた住宅と倉庫を見る
岩内町はここから先が断崖絶壁が続く難所である。
この倉庫の特徴は煉瓦造りの出隅に軟石を使用していることだ
また住宅の山側も煉瓦造りで屋根に桟瓦が使用されている。
残念ながら空き家で管理をする人もいないらしく、住宅の一部は崩壊している
2024年11月3日撮影