夕張市は北海道の市町村の中でもとりわけ廃校が多い市だ
南北に長く山間の谷間にある街だが山々に石炭が多く取れた有数の街でもある。
いくつも炭鉱が出来、そこに新たに街が出来、閉山で人がいなくなる。
一時は12万人近くいた人口が現在は6800人
それは学校が閉校になって当然だろう。
夕張市の閉校(小学校) ※赤字はレポート済
- 夕張市立真谷地小学校(1975年真谷地西小へ統合)
- 夕張市立夕張第二小学校(1975年統合により旭小へ)
- 夕張市立丁未小学校(同上)
- 夕張市立福住小学校(同上)
- 夕張市立鹿島東小学校(1978年鹿島小へ統合)
- 夕張市立鹿島小学校奥鹿島分校(1956年桜ヶ岡小から改称、1978年鹿島東小から移管、1980年6月30日鹿島小へ統合)
- 夕張市立夕張第一小学校(1983年旭小と統合し夕張小へ)
- 夕張市立旭小学校(1983年夕張第一小と統合し夕張小へ)
- 夕張市立若菜小学校(1983年若菜東小と統合し若菜中央小へ)
- 夕張市立若菜東小学校(1983年若菜小と統合し若菜中央小へ)
- 夕張市立沼ノ沢小学校(1985年真谷地西小と統合し緑小へ)
- 夕張市立真谷地西小学校(1985年沼ノ沢小と統合し緑小へ)
- 夕張市立紅葉山小学校(1986年統合によりのぞみ小へ)
- 夕張市立登川小学校(同上)
- 夕張市立楓小学校(同上)
- 夕張市立清水沢小学校〈初代〉(1989年清陵小と統合し清水沢小〈2代目〉へ)
- 夕張市立清陵小学校(1989年清水沢小〈初代〉と統合し清水沢小〈2代目〉へ)
- 夕張市立南部小学校(1990年遠幌小と統合し幌南小へ)
- 夕張市立遠幌小学校(1990年南部小と統合し幌南小へ)
- 夕張市立鹿の谷小学校(1997年)
- 夕張市立鹿島小学校(1998年)
- 夕張市立富野小学校(2001年)
- 夕張市立幌南小学校(2008年清水沢小へ統合)
- 夕張市立清水沢小学校〈2代目〉(2011年統合により夕張市立ゆうばり小学校へ)
- 夕張市立夕張小学校(同上)
- 夕張市立滝の上小学校(同上)
- 夕張市立若菜中央小学校(同上)
- 夕張市立緑小学校(同上)
- 夕張市立のぞみ小学校(同上)
中学校
- 夕張市立若菜中学校(1949年11月25日鹿ノ谷中と統合し若鹿中〈1950年千代田中へ改称〉へ)
- 夕張市立鹿ノ谷中学校(1949年11月25日若菜中と統合し若鹿中へ)
- 夕張市立真谷地中学校(1952年沼の沢中と統合し向陽中へ)
- 夕張市立沼の沢中学校(1952年真谷地中と統合し向陽中へ)
- 夕張市立北陵中学校(1979年東山中へ統合)
- 夕張市立夕張第一中学校(1983年東山中と統合し夕張中〈初代〉へ)
- 夕張市立東山中学校(1983年夕張第一中と統合し夕張中〈初代〉へ)
- 夕張市立登川中学校(1987年向陽中と統合し緑陽中へ)
- 夕張市立向陽中学校(1987年登川中と統合し緑陽中へ)
- 夕張市立鹿島中学校(1996年)
- 夕張市立夕張中学校〈初代〉(2005年)
- 夕張市立幌南中学校(2008年清水沢中へ統合)
- 夕張市立緑陽中学校(2010年統合により夕張市立夕張中学校〈2代目〉へ)
- 夕張市立清水沢中学校(同上)
- 夕張市立千代田中学校(同上)
高等学校
- 北海道夕張真谷地高等学校(1967年)
- 北海道夕張登川高等学校(1971年)
- 北海道夕張東高等学校(旧北海道夕張鹿島高等学校、1983年閉校)
- 北海道夕張南高等学校(1992年北海道夕張高等学校へ統合)
- 北海道夕張北高等学校(1992年夕張高へ統合、1994年閉校)
- 北海道夕張緑ヶ丘実業高等学校(旧北海道夕張工業高等学校、2003年閉校)
※wikipediaより
「旧夕張市立富野小学校」
※夕張市史より
開校:明治45(1912)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年竣工
夕張市富野63
今回の閉校巡りのルートは札幌を出発して長沼~由仁~栗山から夕張へ入るルート。
道道3号札夕線沿いに旧学校がある。
最初の訪問先が現在は「富野ふれあい会館」になっている「旧富野小学校」。
学校が非常に多かった夕張市だが栗山から夕張までの間はこの学校だけだった。
校門、プレート、校舎、体育館、記念碑など大体揃っているが
校舎と体育館は改築をしたようだ。
この学校の閉校記念碑は二宮像と一体化させており
これはどこかでも見たがそんなに多いわけではない
だが、いいアイデアだと思う。
2022年11月撮影
「旧夕張市立丁未小学校」
※夕張市史より
開校:明治41(1908)年
閉校:昭和50(1975)年
校舎:昭和27(1952)年最終増改築
夕張市丁未
次に夕張市を南北に貫く38号線を一気に北上する。
右手に旧石炭の歴史村を見ながら北上を続ける
その先には栗沢町まで通じる峠があるが、その手前のUの字カーブが続くところ。
閉館したが建物が残っている
「めろん城」の手前に石段があるのでそこに路駐する。
石段を上るとそこが旧丁未小学校跡であった
メロン城やレストランの廃墟が寂しいが、その以前に校舎はここにあった
段差があるのでよくわからないが校舎は大きなものだったらしい。
一段高くなった奥右手に閉校記念碑が立っている
さすがにこのくらいの場所でもクマに対して神経を使う
当時はこの周りの斜面にもびっしりと炭鉱住宅があったようだ。
※あの頃の炭都 夕張より
プレートは無い
過去に一度だけ見学をしたが「めろん城」も寂しい施設になった
旧めろん城の駐車場に校舎があった。
2022年11月撮影
「旧夕張市立福住小学校」
※立ち入り禁止区域で入れず
※夕張市史より
開校:昭和31(1956)年
閉校:昭和50(1975)年
校舎:昭和31(1956)年竣工
夕張市福住
福住小学校と北稜中学校は上下に並んで建っていて、小学校が一段高いところにあった。
旧夕張第二小学校の生徒の激増により急遽増やした学校だ
だが新設しても最盛期には手狭だったらしい。
北稜中学校とグラウンドは共通で使用した。
先に福住小学校が閉校したが校舎解体は後になる。
「旧夕張市立北稜中学校」
※立ち入り禁止区域で入れず
※夕張市史より
開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和54(1979)年
校舎:昭和22(1947)年竣工
夕張市福住
斜面の町であったが、炭鉱が全盛の時は炭鉱住宅が斜面にびっしりと
並んで建てられた。
その中で学校は校舎が大きいので目立つしグラウンドなどでの運動会など
地域の住民にとっても大事な場所であったろう。
北稜中学校の閉校記念碑が現存しているらしいが
それを見ることが出来る日を待ちたい。
福住小学校の方が先に閉校し、北稜中学校は福住小学校校舎を使用して校舎を解体した。
1960年代の福住地区 中心の「+」下側が北稜中、上が福住小 炭鉱住宅がびっしりとある ※国土地理院より
1970年代後半 北稜中は解体され炭鉱住宅が無くなってきている
現在 学校も炭鉱住宅もすべて無くなり、すっかり自然に戻っている ※グーグルマップより
「旧夕張市立第二小学校・旭小学校」
※夕張市史より
開校:明治37(1904)年 旭小:昭和50(1975)年
閉校:昭和50(1975)年 旭小:昭和58(1983)年
校舎:昭和50(1975)年竣工
夕張市福住10
丁未小学校跡から市内へ向けてUターンする。
旧夕張石炭の歴史村を左に見下ろしながら車を走らせると
右の山側に大きな建物が現れる。
これが「旧旭小学校」「旧夕張第二小学校」跡である
旭小学校は旧夕張第二小学校校舎を使用し、福住小学校と丁未小学校の合計3校を統合した学校だ。
旧第二小学校は昭和27年に52学級、2,827名の記録があり、おそらくこれが夕張市の最大生徒数か?
裏山に次々と校舎を増築して第七校舎まであったようだ。
そこで福住小学校を昭和31年に開校させ生徒を転校させたが昭和35年でも49学級、2,534名がおり
夕張一のマンモス校であった。
それが炭鉱の閉山もあり昭和43年には20学級、713名まで生徒が減った
同じような丁未、福住両小学校を統合し、旭小学校を新築したがこの頃には13学級、351名まで減少していた。
閉校後は「ファミリースクールふれあい」が再活用したが
これも平成18年に閉鎖している。
改めて間近で見ると痛みが激しい
崩れ落ちた体育館が嫌でも目に入る
教室と思われる窓のガラスは割れており、たくさんの児童が通ったと思われる玄関への階段付近は草ぼうぼうだ。
いかにも廃墟マニアの入り込みそうな建物であるが
これは危険だ。
今後の利用は考えられないので何とかきれいな更地に出来ないのかなと思った。
2022年11月撮影
「旧夕張市立東山中学校」
※夕張市史より
開校:昭和13(1938)年
閉校:昭和58(1983)年
校舎:()年竣工
夕張市本町2丁目68
今度は宅地のある谷部を超えて対面の東の山を登っていく
結構な高さまで登るものだ
いかに平地が少なく子供が多かったとはいえ、生徒は大変だったろうに
ほぼ登り切ったところが「旧東山中学校」跡地である。
昭和13年、夕張高等小学校として開校
昭和22年から東山中学校となる。
この当時、独立校舎を持った中学校は東山中学校だけで
他は小学校に併置されていた。
雑草が生い茂る中に閉校記念碑があった
この場所から奥地へ向かってが学校の敷地で、手前がグラウンド・前庭で
校舎は最奥の山際にあった
近くに教員住宅らしい廃屋があった。
当時はコの字の校舎に中庭があり体育館で蓋をする形だった。
※明治/大正/昭和/ 夕張より
雑草だらけで先が見えず怖いくらいだった
通学路の坂の途中から旧第二小学校(旭小学校)が見えたが体育館の崩落が痛々しい
2022年11月撮影
「旧夕張市立夕張小学校」
※夕張市史より
開校:昭和58(1983)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:昭和59(1984)年竣工
夕張市本町5丁目54
旧東山中から市内中心部に降りてくる
「夕張共生型ファームらぷらす」の看板があるのが「旧夕張小学校」
元「第一小学校」であった
1983年に旭小と統合し夕張小学校になった。
ここはなんとか他の再活用が出来ているようだ
「夕張」の冠が付いた小学校であるが、現在の住民の中心部は清水沢のようで新たに清水沢に「ゆうばり小学校」として
夕張市唯一の小学校になった。
明るい絵が描かれている校舎と校門、プレート、グラウンドなどが残されている。
共通のグラウンドの向こうに第一中学の体育館を見る
2022年11月撮影
「旧夕張市立夕張・夕張第一中学校」
※夕張市史より
開校:昭和58(1983)年 第一中:昭和22(1947)年
閉校:平成17(2005)年 第一中:昭和58(1983)年
校舎:昭和59(1984)年竣工
夕張市6丁目16
前記の「旧夕張小学校」とグラウンドを隔てて建っているのが「旧夕張中学校」。
旧夕張第一中学校と東山中学校が統合して出来たのが夕張中学校で
校舎は第一中学のを使用した。
ここも校舎、校門、プレート、そして第一中の閉校記念碑があった。
かつては夕張の中心として多くの生徒が通った学校であったが炭鉱の閉山などで現在は清水沢に立派な「夕張中学校(2代目)」が建った
だがその夕張中学校も市内で唯一の中学校である。
旧夕張小学校を見る
2022年11月撮影
「旧北海道立夕張北高等学校」
※夕張市史より
開校:昭和14(1939)年
閉校:平成6(1994)年
校舎:昭和48(1973)年竣工
夕張市鹿の谷山手町18
鹿の谷山手町の山の上に「合宿の宿ひまわり」がある
ここが「旧夕張北高校」の校舎である。
校門にプレート、前庭には閉校記念碑もあるが、一般企業の現役施設なのでゆっくりと撮影はしずらい
早々に撮影を切り上げて退出する。
ここは現在クラブやサークルの合宿や活動に使用されており
勝手に内部へは入れないと思う
だが後で知ったが館内に資料室があり、旧夕張北高に関しての資料や展示物があった。
機会があれば見学できるか聞いて見てみたいものだ。
2022年11月撮影
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