※wikipediaより 赤字は今回レポート
小学校
- 寿都町立政泊小学校(1976年[145]寿都町立寿都小学校へ統合)
- 寿都町立美谷小学校(1989年寿都町立歌棄小学校へ統合)
- 寿都町立樽岸小学校(1991年新設の寿都町立潮路小学校へ統合)
- 寿都町立湯別小学校(同上)
- 寿都町立歌棄小学校(同上)
- 寿都町立横澗小学校(同上)
- 寿都町立磯谷小学校(同上)
中学校
- 寿都町立寿都中学校〈旧〉(1979年統合により寿都町立寿都中学校〈新〉へ)
- 寿都町立樽岸中学校(同上)
- 寿都町立湯別中学校(同上)
- 寿都町立歌棄中学校(同上)
- 寿都町立磯谷中学校(同上)
「旧寿都町立湯別小学校」
開校:明治16(1883)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:昭和55(1980)年
寿都町湯別町下湯別
ナビ「寿都町農村活性化センター」
ここで海沿いから内陸部に向けて移動する
国道229号線は積丹半島の海沿いをぐるりと廻り岩内、寿都町の海沿いを南下して一旦内陸部に入る
そして再び寿都湾を海沿いに行く。
寿都町で内陸部に入り、ナビに従い枝道に入る
目印はこの看板なので迷わない。
湯別の町自体はもう少し先だが、先に体育館~校舎が見えてきた
体育館は見た目新しく校舎もRC鉄筋コンクリート造のようだ
玄関前のイチョウの黄色が眩しい
この校舎はなんと言っても玄関右側上部にあるアーチ状のデザインだ
これがあるとないとでは随分と印象が変わる
特に面白いなと思うのはこのアーチは正面玄関の真上じゃなくて
右に一つずれている
おそらく中は階段室だと思うのでちょっとずれたのでは?と思う
表面は汚れ、金属部分のサビやカビだろうか これが閉校としていい味を出している
ポールの台座に「新校舎落成記念」とある 昭和55年10月
2024年11月3日撮影
「旧寿都町立樽岸小学校」
開校:明治14(1881)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:(確認中)年
寿都町樽岸町
ナビ「北海道樽岸臨海実験所」
次の閉校は湯別から国道229号線に戻り、再び日本海を目指す
その手前にあるのが「北海道樽岸臨海実験所」でここが旧樽岸小学校と樽岸中学校があった場所。
校舎も現存しており、プレート付の校門や二宮像も残っている
この日は日曜日だったからか誰もおらず、校内の駐車場(校庭の一部)をお借りした。
体育館もあるのでほぼ学校として機能出来るように見えるが
雑草が生い茂った校庭はいたしかたないだろう
閉校からもう30年は経っているのだ。
なんて書いてあるかわからず
バックネット いい味出している
うんていがあった
2024年11月3日撮影
「旧寿都町立政泊小学校」
※寿都歴史写真集より 1930年ころ
開校:明治16(1883)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:(確認中)年
寿都町寿都町
ナビ「弁慶岬休憩所」
政泊小学校の跡地は確証がない
ネットで、ある方がここではないかと紹介していた場所へ行って見た。
確かに古い航空写真には小さな校舎状の建物が写っており
現地では平地が少ないが、そこにはまずまずのスペースがあった。
帰途に寿都町の図書館で閉校記念誌でも無いかと探したが無かった
ただ当時の写真は札幌の中央図書館で見つけた
それが一枚目の写真。
なのでこの周りに以前は民家があった漁村だとすると
海に近い場所に学校があるだろう
このような写真もあった
※寿都歴史写真集より
これは1970年代の運動会の様子
「当日が近づくと、校長と教員二人、保護者たちが総出になって、学校から道路を隔てた草原を整備した~
右手奥には弁慶岬灯台が見える 現在の赤と白の塗装になる前は真っ白の灯台であった」
とある
灯台の見える位置で道路を隔てた草原の平地であること
次の写真は閉校式の写真
※寿都歴史写真集より 1976年
後ろに写る山
現在の写真の右側の山と思われる
ただ角度は、わからない
それでも2点の写真から学校があった有力な場所と思われる。
一応目印は先に見える廃屋の手前
向かいは海が臨める
政泊地区は寿都湾の南側のツメのような部分で
そこには「弁慶岬」がある
また上からは見えないが漁港も下にあるのだ。
このような場所探しは楽しいし、現地に住人がいたら聞くのも楽しいのだけどね。
2024年11月3日撮影
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