札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 旧栗沢町の閉校 ※旧岐阜、北斗小学校2校を追加しました

2022-10-12 22:34:46 | 木造校舎・廃校

旧栗沢町は万字や美流渡の鉱山に小中学校が出来、広大な平地には移住者が開拓に入り
学校も出来た。
山も平野もあり地形に変化のある街であった
その後、過疎化が進み2006年(平成18年)に岩見沢市と統合した。

 

旧栗沢町の閉校(小学校)

  • 栗沢町立上美流渡小学校(1970年美流渡小へ統合)
  • 栗沢町立岐阜小学校(1970年岩見沢市立栗沢小学校へ〈当時:栗沢町立〉へ統合)
  • 栗沢町立由良小学校(同上)
  • 栗沢町立東豊小学校(1972年栗沢小へ統合)
  • 栗沢町立茂世丑小学校(1974年栗沢小へ統合)
  • 栗沢町立上幌小学校(同上)
  • 栗沢町立宮村小学校(1983年美流渡小へ統合)
  • 栗沢町立万字小学校(1990年美流渡小へ統合)
  • 栗沢町立北斗小学校(1992年栗沢小へ統合)

中学校

  • 栗沢町立上美流渡中学校(1970年美流渡中へ統合)
  • 栗沢町立栗沢中学校〈旧〉(1970年統合により岩見沢市立栗沢中学校〈当時:栗沢町立〉へ)
  • 栗沢町立北斗中学校(同上)
  • 栗沢町立茂世丑中学校(同上)
  • 栗沢町立万字中学校(1979年美流渡中へ統合)

wikipediaより

 

「旧栗沢町立岐阜小学校」

開校:1902(明治35)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町岐阜207-2

旧栗沢町岐阜はすぐ南に夕張川があり川向こうは南幌町である
「岐阜」という地区名から岐阜県からの入植者の作った街ではとネットを探してみたが不明だった。

学校があった敷地には現在は地区集会場があるが、これは校舎利用ではない
校舎他はすでに解体されていて、なんとか閉校の碑だけが残っていた。

平地が広がり水稲の盛んな農地に
異様に背が高い校門が印象的な旧校舎の写真が残っていた。

 

 

 

 

 

 


2022年9月撮影

 


※栗沢町史より

 

 

 

「旧栗沢町立北斗小中学校」

開校:1898(明治31)年
閉校:1992(平成4)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町北斗601-1

前記の岐阜小学校とは隣地区の学校かと思う
ここも廻りは見渡す限り畑だ。

なんと古い校門が残っていた!
当然劣化が激しいが校名プレートまで付いており
裏面には開校50周年記念、昭和23年のプレートもあった。

体育館、トーテムポール、二宮像、卒業記念のモニュメント、時計塔まで残っていた
校舎部分は体育館に比べて小さすぎるので解体してから新築したものと推測する。
(現在は西地区文化センター)


それでも、これだけでもかなりのボリュームなのに極めつけは綺麗な閉校記念碑がある。

残念ながら土台の劣化があるが碑自体はピカピカだ
欲をいえば木造校舎が現存していたら言うことなしだが、それは贅沢というものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年9月撮影

 


※栗沢町史より

 

 

 

「旧栗沢町立美流渡小学校」

 

開校:1904(明治37)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町美流渡栄町58

美流渡中学と隣り合わせの小学校で、中学と一緒に閉校した。
これは石狩の幌の学校と同じだ

門は綺麗なままで遠目に見る正面玄関が素敵だ
校舎もレンガ造りでお洒落に見える
屋根に一部歪みなどの劣化が見られる

中学と併せて他の活用を検討中のようだ
このまま朽ちていくには惜しい建物である
なんとか生まれ変わってほしい。

 

同じ2021年の10月に通りかかったときに中学校の敷地でイベントが
そして小学校の玄関や窓がペイントされていた!

ぜひ再活用してほしい


2021年7月、10月撮影

 

 

 

「旧栗沢町立美流渡中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2019(平成31)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町美流渡栄町58

 

閉校してまだ数年のため遠目見だが校舎は比較的きれいに見えた
いくつかの学校を統合したあと、他校に統合された。

閉校の碑が近くの美流渡神社にあるのを家に帰ってから知った→後日探したが無かった…

2回目に通ったときに地元移住者さんたちのイベント会場になっていた
実行するほうも貸し出すほうも素晴らしいじゃあないか。


2021年7月撮影





「旧栗沢町立上美流渡小中学校」

 

開校:1920(大正9)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町美流渡東町48-1


美流渡小学校からさらに奥へ進む
コッペパンのミルトコッペを過ぎて右側に工芸館があり駐車する

上美流渡小中学校は、その隣の空き地に閉校の碑と門柱がある
車道から見るとこんな感じだ

 

 

見づらいか左右にそれぞれ小中学校のプレートがあった

 

 

その先は草ぼうぼうでわずかに右手に人物の碑が見える
奥へ進みやっと閉校の碑が見えた

 

 

 

 

先の工芸館側からも刈り分け道がある

 

 

この状態から見ると閉校記念碑までは管理がされているようだ
上美流渡小中学校は、かつてここに炭鉱があったので存在した
多くの産炭地域の学校がそうであるように閉山とともに人が居なくなり閉校となる。

かつては美流渡市内より専用鉄道が敷かれて石炭を運んでいたようだ
美流渡市内にはかつての万字線の資料展示館があるらしい。

校舎の裏にズリ山があるという話だ
現役当時の写真を見ると確かにある! 今回はまったく気づかなかったが…

2021年10月撮影

 


*栗沢町史より

 

 

 

「旧栗沢町立東豊小学校」

 

開校:1897(明治30)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町砺波78

砺波地区は富山県からの開拓者に拓かれた土地で学校は
砺波会館のある四つ角にある。

門には「栗沢福祉センター」のプレートが地面に落ちていたのでかつては学校の後に付け替えられたものだろう

正面玄関はちょっと変わった意匠であり、もしかすると改装したのかも知れない これはこれで素敵だと思うが…


体育館は綺麗なので改装後と思われる
校舎と体育館を繋ぐ連絡通路のところに福祉センターの標示があるので主に体育館利用なのだろう
また玄関から右手が新しく、工房として再利用されていて夏なのに煙突から煙が出ていた。

向かって左手側がきっと当時のままで未使用かと思う
裏側の車道から見る校舎のほうが良いかな。



2021年7月撮影

 

 

 

「旧栗沢町立上幌小学校」 

 

開校:1902(明治35)年
閉校:1974(昭和49)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町上幌350

 

木造の体育館は知らない間にいつ取り壊されるかわからない
廃校はその可能性が高いので現存しているうちに見に行った。
 
三角屋根の建物は校舎部分を取り壊し新築したのではと思う
現在は上幌地区の集会場として使われている
校庭を横切り正門まで行った 門柱はあったが崩れていて校名の表札は見当たらなかった


 
 
 
 
 
 
体育館が当時のものを活用していると思う。
 
 
 
 

2020年11月撮影

 


※栗沢町史より

 

 

 

「旧栗沢町立万字中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:1947(昭和22)年竣工

岩見沢市栗沢町万字錦町


旧万字中学校跡地へは、万字小学校閉校記念碑からさらに夕張岩見沢線を登りながら進む
やがてトンネルの入り口が見えるので手前未舗装の右手枝道に入る。




未舗装であるが路面はしっかりしていた ただ車高の低い車や車幅の広い車では止めたほうが良いだろう
少し行くと左手が開けて鳥居がある 旧万字炭山神社である

すでに山中であり、谷川の下に万字小学校があった。


すぐ先にさらに広い開けた土地が旧万字中学校であった

 

背の高い草が生い茂り奥の様子を見るのも難しい
ほとんど学校があったと思わせるものは見当たらなかった

わずかにパイプ柵や排水溝?が人工的なものだった

 

 

しかしここには確実に学校があった
小学校のように碑を設けなかったのはなぜか?

学校へは2方向から行けるようだが車で先へ行くとどんどん山中に入り
林道はゲートで立入禁止となった


徒歩での枝道が途中にあるはず なんでも以前は万字小学校の下に中学校の門柱があった現在は取り壊されたようだったが…
もう少し調査したいと思う

2021年10月撮影

 


*栗沢町史より








「旧栗沢町立万字小学校」

 

開校:1906(明治39)年
閉校:1990(平成2)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町万字寿町


万字小学校は他の産炭地区と同じく万字炭鉱に関連する住民と近辺農家のための学校であった。

夕張岩見沢線沿い旧栗沢町の最奥で、峠向こうは夕張市である
万字炭鉱は事業を引き継いだ北炭が創業家の家紋から「万字炭鉱」と名付けた。

1950年代には5000人の人口があったが1976(昭和51)年の閉山により人口は減り続け2013(平成25)年には100人を割り込んだ。

小学校はすでに閉校していたが、まず校舎が
次に住民用に使用していた体育館が解体され学校があったことを証明するのは閉校の碑と70周年記念碑がある。

多くの炭鉱学校のように木造2階建てで堂々とした校舎だったようだ。

 

 

 

 

 

2021年10月撮影

 


*栗沢町史より

 

 

 

 

「旧栗沢町立宮村小学校」

 

開校:1912(明治45)年
閉校:1983(昭和58)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町宮村566


志文から朝日へ向かう途中に右折し川を渡って旧栗沢町に入ると
広場と福祉センターがある
ここに宮村小学校があった

集会場は校舎を改築したものと考える
小さな学校だが当初は入口にあった校門が立派だ

場所を中に移し、閉校の碑と同じくしたのは正解だと思う

敷地にはシンボルツリーらしき大きな木
鉄棒とトーテムポールもある

校門は、ちょっと変わっており上部に付けた三角タイルがお洒落かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年10月撮影

 


※栗沢町史より

 

 

 

「旧栗沢町立由良小学校」

 

開校:1902(明治35)年
閉校:1970(昭和45)年
校舎:1915(大正5)年竣工

岩見沢市栗沢町由良419-1


産炭地区の山側から離れる 由良地区は農業が盛んな地区である

校舎はグーグルマップに表記されるので容易に見つかった
どうやら当時の校門をそのまま残しているようだ

校舎のあったところにセンターが建っている
その左手に閉校の碑
それと地域の碑とバックネットとシンボルツリーか

校舎は前校舎が火事で焼失したため大正5年に新築されたもの
すでに解体されている。

校庭に面してのベンチは多くの野球少年が使ったのだろう。

 

 




 

 

 

2021年10月撮影

 


*栗沢町史より

 

 

 

「旧栗沢町立茂世丑小中学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:1974(昭和49)年
校舎:(?)年竣工

岩見沢市栗沢町茂世丑309-1


この学校があった場所には
車でスロープを上がっていくと、閉校の碑と集会所があった

 

 

 

 


その奥にある体育館は改築されているにしろ現役小学校時代のものだろう
一部は破損しているが、それが説得力を持つ

体育館と並んだ一段高くなっている駐車スペースに校舎があったと思われる
その前には二宮像

さらに石段を登れば広い平坦地に出る
これはグラウンドだったのでしょう

農業地区は平たんな土地が多いため山間部では羨ましいほどの校庭を作ることがあるね

 

 

 

 

 

 

2021年10月撮影

 


※栗沢町史より

 


木造校舎・廃校 岩見沢市の閉校②

2022-10-10 18:03:59 | 木造校舎・廃校

岩見沢市の閉校(小学校)

  • 岩見沢市立孫別小学校(1971年1月1日岩見沢市立岩見沢小学校の一部と統合し岩見沢市立日出小学校へ)
  • 岩見沢市立北本町小学校(1972年西川向小と統合し岩見沢市立第一小学校へ)
  • 岩見沢市立西川向小学校(1972年北本町小と統合し第一小へ)
  • 岩見沢市立宝水小学校(1972年日の出小へ統合)
  • 岩見沢市立御茶の水小学校(1972年協和小の一部・上幌向小と統合し岩見沢市立第二小学校へ)
  • 岩見沢市立上幌向小学校(1972年協和小の一部・御茶の水小と統合し第二小へ)
  • 岩見沢市立協和小学校(1973年岩見沢市立志文小学校へ統合)
  • 岩見沢市立稔小学校(1988年大願小と統合し岩見沢市立北真小学校へ)
  • 岩見沢市立大願小学校(1988年稔小と統合し北真小へ)
  • 岩見沢市立毛陽小学校(1992年美流渡小へ統合)
  • 岩見沢市立朝日小学校(1999年上志文小と統合し岩見沢市立メープル小学校へ)
  • 岩見沢市立上志文小学校(1999年朝日小と統合しメープル小へ)
  • 岩見沢市立美流渡小学校(2019年メープル小へ統合)(旧栗沢町の閉校で記載)

(中学校)

  • 岩見沢市立東光中学校分校(1961年)
  • 岩見沢市立大願中学校(1970年岩見沢市立緑中学校へ統合)
  • 岩見沢市立栄中学校(1983年志文中と統合し岩見沢市立清園中学校へ)
  • 岩見沢市立志文中学校(1983年栄中と統合し清園中へ)
  • 岩見沢市立美流渡中学校(2019年清園中へ統合)(旧栗沢町の閉校で記載)

wikipediaより

 

「旧岩見沢市立協和小学校」

開校:明治32(1899)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:()年竣工

岩見沢市下志文町


岩見沢市の中心部から札幌寄りで近くに道央道が走る平地に学校があった。

その場所からは農家の子供たちが通った学校と推測できる
農業の近代化で機械化したこと 過疎が広がりその流れで人が減ったようだ。

現在は公園となっており一時はゲートボール場だけしか整地されていないように見えた
だが現在は草が生い茂っていた。

立派な閉校記念碑だけが学校があった証だ。

 

 

 

 


2022年9月撮影

 


※岩見沢市史より

 

 

 

「旧岩見沢市立(旧)東小学校」

開校:明治19(1886)年
閉校:昭和50(1975)年
校舎:昭和7(1932)年竣工

岩見沢市東町2条6丁目


古い歴史がある東小学校は昭和50年の移転までここに校舎があった
公園名と同じ「入徳学舎」としてスタートし尋常学校を経て東小学校となる。

園内にある重厚な石碑は昭和60年、校舎が移転して10年後に「学舎を偲び」と建てられた
現在の校舎は岩見沢市東町2条7丁目で130年を超える伝統を守っている。

 

 

 

 

 

 


2022年9月撮影

 

 

 

「旧岩見沢市立稔小学校」

開校:明治40(1907)年
閉校:昭和63(1988)年
校舎:()年竣工

岩見沢市稔町546


稔(みのり)小学校は岩見沢市北部にあり幾春別川を渡った田園地帯にある
周囲は平地で畑が広がる風景だ。

現在は「稔農村公園」の表示がありパークゴルフ場と駐車場がある
園内には閉校記念碑(80周年記念碑)と70周年の石碑が残されていた

かつては旧校舎の写真が貼られた案内板が立てられていたが
現在は剥がれていて何も無かったのは残念。

 

 

 

 

 

 

 


2022年9月撮影

 

 

 

「旧岩見沢市立大願小中学校」

開校:明治29(1896)年
閉校:昭和63(1988)年
校舎:()年竣工

岩見沢市大願町368


大願小学校は岩見沢市の北部にあり前記の稔小学校よりさらに北にある。
三笠市と旧北村に挟まれたような場所でほとんどが平地のようだ。

廻りが畑の中、校舎はすでに無いが校門とプレートが迎えてくれた
プレートの片方は割られており、先に1970年に閉校した中学校と小学校で対になっている。

他に地区の開拓の碑、学校の70周年記念碑、ポールなども残っていた
敷地内に「大願地区多目的研修会館」が建っており「つつじ公園」として
つつじも植えられている。

訪問時は9月だが、つつじは数本咲いていたように記憶している。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年9月撮影

 


※岩見沢市史より


内部見学ができる札幌の歴史的建築物② 旧北海道庁立図書館を追加しました

2022-10-06 09:39:06 | 内部見学

【旧北海道庁立図書館】 現、北菓楼札幌本館

建築年月:大正15(1926)年
住  所:札幌市北区北1条西5丁目
開館時間:10時00分~18時00分
観覧料金:菓子店なので見学だけは不可
休館 日:店舗に確認
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選


法事の引き物購入で北菓楼札幌本館に行きました
2階のカフェは利用しなかった コスパ的には砂川本店の方が良いと思う。

 


2022年9月撮影

 

 

 

【偕楽園水木清華亭】

建築年月:明治13(1880)年
住  所:札幌市北区北7条西8丁目
開館時間:9時00分~17時00分
観覧料金:無料
休館 日:年末年始
指定 等:札幌市指定有形文化財

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【北海道大学理学部本館】

建築年月:昭和4(1929)年
住  所:札幌市北区北10条西8丁目 北大構内
開館時間:10時00分~17時00分 (6~10月の金曜日は10時00分~21時00分)
観覧料金:無料
休館 日:月曜(月曜が祝日の場合は、連休明けの平日が休館)、12月28日~1月4日
※大学行事等で臨時開館・休館あり
指定 等:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【サッポロビール(株)開拓使麦酒記念館 博物館】

建築年月:明治23(1890)年
住  所:札幌市東区北7条東9丁目
開館時間:11時00分~18時00分
観覧料金:無料 ※プレミアムツアーは有料(500円)
休館 日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、臨時休館日
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【JR苗穂工場北海道鉄道技術館】

建築年月:明治43(1910)年
住  所:札幌市東区北5条東15丁目
開館時間:毎月第2・第4土曜日 13:30~16:00 ※都合により臨時休館する場合があります
観覧料金:無料 ※苗穂工場正門警備室で受付けを行いご入場ください。
休館 日:上記以外
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【琴似屯田兵屋跡】

建築年月:明治7(1874)年
住  所:札幌市西区琴似2条4丁目
開館時間:9時00分~16時00分
観覧料金:無料
休館 日:年末年始(12月29日~1月3日)
指定 等:国指定史跡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旧北部軍司令官官邸 つきさっぷ郷土資料館】

建築年月:昭和15(1940)年
住  所:札幌市豊平区月寒東2条2丁目
開館時間:10時00分~16時00分 4月~11月の水・土
観覧料金:無料
休館 日:上記以外
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【エドウィン・ダン記念館】

建築年月:明治20(1887)年
住  所:札幌市南区真駒内泉町1丁目
開館時間:4月1日から10月31日まで(午前9時30分から午後4時30分まで。毎週水曜日は休館日。)
     11月1日から3月31日まで(金曜日、土曜日、日曜日のみ開館。午前9時30分から午後4時30分
観覧料金:無料
休館 日:年末年始
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【有島武郎旧邸】

建築年月:大正2(1913)年
住  所:札幌市南区芸術の森2丁目
開館時間:9時45分~17時00分
観覧料金:無料
休館 日:11月4日~翌年4月28日までは冬季休館
指定 等:さっぽろ・ふるさと文化百選

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【旧黒岩家住宅 旧簾舞通行屋】

建築年月:明治5(1872)年
住  所:札幌市南区簾舞11
開館時間:9時00分~16時00分
観覧料金:無料
休館 日:月曜日(祝日の時は翌日)、祝日の翌日、年末年始
指定 等:札幌市指定有形文化財

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


木造校舎・閉校 奈井江町の閉校

2022-10-04 22:24:14 | 木造校舎・廃校

新十津川町から石狩川を渡り、国道12号線を滝川~砂川と南下すると次は奈井江町
産炭地空知の中心位置であり、やはり炭鉱で栄え閉山で衰退した。
現在は工業に力を入れており工業地区がある。

砂川市と似て西部は石狩川が境界の肥沃な平地
東部は美唄山地があり観光滝や登山路がある。

 

小学校の閉校 赤字が今回訪問

  • 奈井江町立白山小学校〈初代〉(1962年三井奈井江小と統合し白山小〈2代目〉へ)
  • 奈井江町立三井奈井江小学校(1962年白山小〈初代〉と統合し白山小〈2代目〉へ)
  • 奈井江町立東奈井江小学校(1971年10月1日休校、同年12月3日奈井江小〈旧〉へ統合)
  • 奈井江町立住友奈井江小学校(1973年奈井江小〈旧〉へ統合)
  • 奈井江町立高島小学校(1975年南小と統合し江南小へ)
  • 奈井江町立南小学校(1975年高島小と統合し江南小へ)
  • 奈井江町立白山小学校〈2代目〉(1988年奈井江小〈旧〉へ統合)
  • 奈井江町立奈井江小学校〈旧〉(2013年江南小と統合し奈井江町立奈井江小学校〈新〉へ)
  • 奈井江町立江南小学校(2013年奈井江小〈旧〉と統合し奈井江小〈新〉へ)

中学校の閉校

  • 奈井江町立東奈井江中学校(1966年奈井江町立奈井江中学校へ統合)
  • 奈井江町立南中学校(1970年奈井江中南分教室となり、1971年廃止)
  • 奈井江町立三井奈井江中学校(1970年奈井江中三井奈井江分教室となり、1971年廃止)

※wikipediaより

 

「旧奈井江町立旧白山小学校」

開校:明治31(1898)年
閉校:昭和37(1962)年
校舎:昭和38(1963)年竣工

奈井江町奈井江


白山小学校の始まりは明治31年になる
その後、この場所で白山小学校となり、昭和38年に別所で新生白山小学校となったので
この地での学校は昭和37年で終了した。

記念碑は、新生白山小学校が閉校するまでの沿革が彫られている
その新校舎のあった場所は、すでに学校の面影はなく
草地が広がっているだけと聞いた。

碑がある場所は奈井江ICのすぐそばにあり「白山連合区農業集落センター」と現在はなっている
閉校記念碑と沿革のほか奥に「白山開拓記念碑」と隣の木立の中に再建された二宮像があるようだ。

 

 

 


2022年8月撮影

 


※奈井江町史より

 

 

 

「旧奈井江町立住友奈井江小学校」

開校:昭和15(1940)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:昭和15(1940)年竣工

奈井江町宮村


かつて住友奈井江鉱は現在のこの地、新奈井江カントリークラブにて
1913(大正2)年開鉱、1972(昭和47)年閉山した。

またそれに合わせて小学校も建てられ閉山とともに翌年に閉校した
産炭地にとって炭鉱は雇用と生活を生む
学校や商店が出来て街が形成される。

だがひとたび閉山になると鉱山従事者、家族が引っ越してしまう
後には廃墟の建築物が残る。

住友奈井江小学校は綺麗に解体され、ゴルフ場から一歩出た道路沿いに
しかも夏場は草で埋もれた状態で記念碑があった。

なんとも寂しいとは思いながらも廃墟として残るよりは良いか?

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※奈井江町史より

 

 

 

「旧奈井江町立南小中学校」

開校:昭和23(1948)年
閉校:昭和50(1975)年 中学は昭和46(1971)年廃止
校舎:昭和23(1948)年竣工

奈井江町チャシュナイ


廻りに緑が多いが、国道12号線から道路1本東に入っただけでここに着く
目印は旧校舎を活用したと思える「茶志内連合会館」

その右隣に3つの碑があり一つが閉校の碑だ
中学校が先に閉校となり、その後に小学校も閉校となった。

過去の写真から、現会館~碑~隣の原っぱまで一直線に校舎があり
閉校後はまず碑の部分が解体され両翼が残された
続いて右側の原っぱに残っていた校舎部分が解体された。

現存しているのは会館部分のみだが、きれいに花が植えられており
この建物だけは残ってほしいものだ。

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※奈井江町史より

 

 

 

 

「旧奈井江町立奈井江小学校」

開校:明治29(1896)年
閉校:昭和49(1974)年
校舎:明治33(1900)年竣工

奈井江町奈井江28-1


国道12号線沿いの「道の駅ハウスヤルビ奈井江」
かつての奈井江小学校はここにあった。

街中心部側の駐車場出入り口に立派な閉校の碑がある
木々の中にさりげなくあるので、ほとんどの人が見過ごしているのではないか

国道に面し中庭のある広い校舎と広いグラウンドがあり体育館は北西の角にあったようだ
そして解体され道の駅と駐車場になった。

 

現在の奈井江小学校校舎はここから南西の位置にあり
昭和49(1974)年に新校舎が完成し旧校舎から引き継がれている。

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※奈井江町史より

 

 

 

「旧奈井江町立奈井江中学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和22(1947)年竣工

奈井江町87-35


旧奈井江中学校も小学校と同様に大きな校舎だったようだ
国道12号線沿いに記念碑があるが、かつては国道の反対側に校舎が、
少し住宅街に入ったところに記念碑もあった。

記念碑はその後、現在の地に移された
おそらく土地の利用により碑が置けなくなってここに来たのだろう
それにしても寂しい碑である。

現在の奈井江中学校は3校が統合されて奈井江小学校の少し南にある。

 

 

 


2022年8月撮影