久しぶりに歩いた高山帯、御嶽のダケカンバとナナカマドの黄葉は葉を落とした後であり、必ずしも上出来のものではありませんでした。
しかし、そこが高山帯という特別な場所のことですから、見た景色は印象深いものでした。
今回は最終記事ということで、朝登って来た道を真っ直ぐ引き返して行く道中のレポートです。
朝の登りはじめは早朝のことで、暗闇の中をヘッドライトを点けて登りましたので、あたりの景色が判りませんでした。
下りでは高山帯から亜高山帯へ移行する植生の変化などに興味を持ちながら進みます。
ナナカマドの紅葉 ↓

女人堂までの道を戻っています。ナナカマドの木が多いので、最盛期でしたら、さぞかし染まっていたことでしょう。
対面する山肌 ↓

対面する山肌はダケカンバの林で、これも葉が落ちていなければ夢見心地になるような黄葉の世界が広がっていたことでしょう。
オブジェ ↓

大木が雷かそのほかの要因で枯れてしまったのでしょうね、「死してなお骨を遺す」という言葉が、ふと頭に浮かんできました。
女人堂 ↓

道を回り込んで女人堂の見えるところまで戻って来ました。写真では確認できませんがあたりはすっかりガスに包まれています。
女人堂 ↓

ここから先は下る一方です。ここにこの有人の小屋があることによって、ハイカーたちにとっては、どれだけ心強いことか計り知れないものがあります。
ハイマツの道 ↓

時刻は12時12分で、ここには写っていませんが、下からどんどん老若男女が登ってきます。
聞くと、バスツアーで45人ほどのグループだそうです。
折角の木曽御嶽ですが、時間が遅いのでガスってしまっていて、周りの眺望が得られなくなっていることはお気の毒です。
ダケカンバとハイマツ ↓

ここで見るダケカンバは背丈が低くて、みな葉を落としてしまっています。
九月ごろに立て続けにやって来た台風はこの山に、風の力の面では相当な影響を与えたようです。
七合目までの下り ↓

ハイマツは高山植物帯の代表選手で、そんな環境では地を這って生育しています。名前の由来はその姿から来るのでしょう。
今回2500m付近の高山帯から行場小屋までの高度差は約370mほどあり、この間に植物相は高山植物帯から亜高山性の植物帯に移行していきます。
つまり高山植物の代表選手のハイマツがどのあたりから見られなくなるのか、その点にも興味があります。
下がって来るにしたがって、ハイマツは這わずに、立ち上がってくるようになりました。
亜高山性の針葉樹林帯 ↓

ハイマツの最後のところを「ここだっ!」と特定できないうちにハイマツが姿を消し、あたりはすっかり針葉樹林帯に入ってしまいました。
下に行くと木段の敷かれた道になって来ます。
七合目行場小屋 ↓

八合目の女人堂から40分でここまで来ました。決して速い速度ではありませんので、休まずに通過していきます。 ここの小屋では名物「ちから餅」があるそうですが、この時は食指が動きませんでした。
ロープウェイ駅への分岐点 ↓

小屋の少し先にロープウェイの駅に通じる道があります。小生はそれを使いませんので、登山道を真っ直ぐに下って行きます。
無人の建物 ↓

途中で無人の小屋が出て来ました。誰にも聞けないので、小生が勝手に推測しますが、ここは木曽御嶽の「お百草」の販売所だったようです。まだ小生が子供のころはお腹を痛めるとこの苦い薬のお世話になったものです。
針葉樹林 ↓

亜高山帯に特有の針葉樹林帯をどんどん下って行きます。
ここでも廃屋の址 ↓

ここでも建物の廃材が解体されてまとめられていました。おそらくこの場所でも何らかのご商売がかつては行われていたのでしょうね。
樹林帯 ↓

背丈の高い針葉樹林帯内を下って行きますが、傾斜はややなだらかになり、明るさも増し、時々色付いた広葉樹も見られるようになります。
オオカメノキ ↓

オオカメノキもきれいに紅葉するはずですが、ここでは葉がまだ青くて、赤い実も僅かに残っているだけです。
中の湯 ↓

登山口の中の湯に着きました。往時はにぎわったことでしょうが、今は廃屋となっています。
時代の流れ、交通機関の発達や、世代間の価値観の相違によって、情け容赦もなく、新陳代謝が進んでいくのですね。
中の湯の前面 ↓

さぞや賑わったであろう昔を偲んで、寂しい気持ちを持ちながらここを後にします。
駐車場へあと少し ↓

中の湯の建物からほんの少しで駐車場に着きます。
駐車場 ↓

駐車場には車が何台か並んでいました。到着時刻は13時46分でした。
歩行数 ↓

こんな数字でも今の小生には相当の疲れを与えてくれました。
ストレッチを入念に行ってから家路につきます。
しかし、そこが高山帯という特別な場所のことですから、見た景色は印象深いものでした。
今回は最終記事ということで、朝登って来た道を真っ直ぐ引き返して行く道中のレポートです。
朝の登りはじめは早朝のことで、暗闇の中をヘッドライトを点けて登りましたので、あたりの景色が判りませんでした。
下りでは高山帯から亜高山帯へ移行する植生の変化などに興味を持ちながら進みます。
ナナカマドの紅葉 ↓

女人堂までの道を戻っています。ナナカマドの木が多いので、最盛期でしたら、さぞかし染まっていたことでしょう。
対面する山肌 ↓

対面する山肌はダケカンバの林で、これも葉が落ちていなければ夢見心地になるような黄葉の世界が広がっていたことでしょう。
オブジェ ↓

大木が雷かそのほかの要因で枯れてしまったのでしょうね、「死してなお骨を遺す」という言葉が、ふと頭に浮かんできました。
女人堂 ↓

道を回り込んで女人堂の見えるところまで戻って来ました。写真では確認できませんがあたりはすっかりガスに包まれています。
女人堂 ↓

ここから先は下る一方です。ここにこの有人の小屋があることによって、ハイカーたちにとっては、どれだけ心強いことか計り知れないものがあります。
ハイマツの道 ↓

時刻は12時12分で、ここには写っていませんが、下からどんどん老若男女が登ってきます。
聞くと、バスツアーで45人ほどのグループだそうです。
折角の木曽御嶽ですが、時間が遅いのでガスってしまっていて、周りの眺望が得られなくなっていることはお気の毒です。
ダケカンバとハイマツ ↓

ここで見るダケカンバは背丈が低くて、みな葉を落としてしまっています。
九月ごろに立て続けにやって来た台風はこの山に、風の力の面では相当な影響を与えたようです。
七合目までの下り ↓

ハイマツは高山植物帯の代表選手で、そんな環境では地を這って生育しています。名前の由来はその姿から来るのでしょう。
今回2500m付近の高山帯から行場小屋までの高度差は約370mほどあり、この間に植物相は高山植物帯から亜高山性の植物帯に移行していきます。
つまり高山植物の代表選手のハイマツがどのあたりから見られなくなるのか、その点にも興味があります。
下がって来るにしたがって、ハイマツは這わずに、立ち上がってくるようになりました。
亜高山性の針葉樹林帯 ↓

ハイマツの最後のところを「ここだっ!」と特定できないうちにハイマツが姿を消し、あたりはすっかり針葉樹林帯に入ってしまいました。
下に行くと木段の敷かれた道になって来ます。
七合目行場小屋 ↓

八合目の女人堂から40分でここまで来ました。決して速い速度ではありませんので、休まずに通過していきます。 ここの小屋では名物「ちから餅」があるそうですが、この時は食指が動きませんでした。
ロープウェイ駅への分岐点 ↓

小屋の少し先にロープウェイの駅に通じる道があります。小生はそれを使いませんので、登山道を真っ直ぐに下って行きます。
無人の建物 ↓

途中で無人の小屋が出て来ました。誰にも聞けないので、小生が勝手に推測しますが、ここは木曽御嶽の「お百草」の販売所だったようです。まだ小生が子供のころはお腹を痛めるとこの苦い薬のお世話になったものです。
針葉樹林 ↓

亜高山帯に特有の針葉樹林帯をどんどん下って行きます。
ここでも廃屋の址 ↓

ここでも建物の廃材が解体されてまとめられていました。おそらくこの場所でも何らかのご商売がかつては行われていたのでしょうね。
樹林帯 ↓

背丈の高い針葉樹林帯内を下って行きますが、傾斜はややなだらかになり、明るさも増し、時々色付いた広葉樹も見られるようになります。
オオカメノキ ↓

オオカメノキもきれいに紅葉するはずですが、ここでは葉がまだ青くて、赤い実も僅かに残っているだけです。
中の湯 ↓

登山口の中の湯に着きました。往時はにぎわったことでしょうが、今は廃屋となっています。
時代の流れ、交通機関の発達や、世代間の価値観の相違によって、情け容赦もなく、新陳代謝が進んでいくのですね。
中の湯の前面 ↓

さぞや賑わったであろう昔を偲んで、寂しい気持ちを持ちながらここを後にします。
駐車場へあと少し ↓

中の湯の建物からほんの少しで駐車場に着きます。
駐車場 ↓

駐車場には車が何台か並んでいました。到着時刻は13時46分でした。
歩行数 ↓

こんな数字でも今の小生には相当の疲れを与えてくれました。
ストレッチを入念に行ってから家路につきます。