ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

2/14日 知立から安城のおもに農地付近を歩いて周回

2022-02-16 04:15:41 | 草花
14日はドクターイエローの下りが通るというのに合わせて、昼食後にカメラを持って歩いて出掛けました。
来てみると川岸の堤防の上にギャラリーが10人ほどそれぞれの撮影位置に付いていました。
今回はのぞみ運行と言うことで、ドクターイエローはあっという間に通り過ぎていきました。それを見終わってから、例によって、付近を周回して家に戻りますが、その日は曇り空の下でしたが、風もなく歩きやすい天気でしたので精力的に歩き回りました。
14日朝の雀 ↓

この朝やって来た雀たちは活気ある姿を見せていました。

昼食後にドクターイエローの見える川岸に来ます。そこでは雀たちがおよそ200羽ほどでしょうかたくさん群れていました。

群れ雀 ↓

一種のコロニーなのでしょうか? 何のために群れるのか? ススキや葦の実を食べるのでしょうか?



ドクターイエロー ↓ ↓



ドクターは定刻通りにやって来て、さっさと視野から消えていきました。

ここから気ままな周回が始まります。まずは久しぶりに遍照院(弘法様のお寺)を目指しますが、その前に建っていた銅像に寄っていきます。

内藤魯一公の銅像 ↓

このお方の名前すら存じ上げてはいませんでしたが、(1848生まれ-1911没)明治の御代に活躍した政治家のようです。
明治の初期には藩政改革に携わり、のちに自由民権運動に目覚め、板垣退助の自由党の幹部として活躍、衆議院議員でもありました。
この銅像は二代目であり、最初のものは太平洋戦争の時に金属供出されてしまったのでしたが、昭和27年に造り直したものでそうです。



遍照院(このあたりでは”弘法様”と呼びます。) ↓


見返り弘法大師の幟 ↓

弘法大師がこの地に逗留したときにカナメモチの木で自像を彫ったそうで、それを本尊としてこの寺を自身で創建しました。
御本尊の彫像は土地の人との別れを惜しんでやや右を向いており、それがために長らく「見返り大師」と呼ばれてきました。



別の場所の弘法様 ↓

そんなご本尊がモチーフでしょうか? こちらは別の場所ですが、この石像も心持ち右を向いています。



桜の木 ↓

境内に花の付いた”か細い”桜の木がありました。



ジョウビタキの雄 ↓

”弘法様”を出るときにジョウビタキ君が別れを惜しんでご挨拶してくれました。今年初めて撮る♂でした。



水が張られた田にサギたち。 ↓










帰宅後雀に餌やり ↓




深夜に見た月 ↓

夕刻から見えるはずだった月が雲の向こうでなかなか見えて来ません。 深夜11時過ぎにやっと雲の切れ目から出てきました。
14日晩で月齢13.3でした。  もうほとんど円く見えています。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする