風に吹かれてburabura日記

今日も、いつもの暮らしの出来ることに
感謝です。

「高槻セレクトシネマ・閉館」です。

2011年09月30日 | 日記

朝日新聞にも取り上げられましたが、高槻センター街の映画館「高槻セレクトシネマ」が今日、9/30日で閉館します。

この映画館は、女性映画特集とか時代劇特集とか、往年の名作を上映してくれる、私のお気に入りの映画館でした。

商店街で入口はカラオケボックスと共用、9/30日で閉館かいな、と通りかかったおじさんが残念そうに見てます。

今夜の最終上映は「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花」 マドンナは極めつけ、浅丘ルリ子さんです。

 

思い出に残るのは、高峰 秀子さんの「浮雲」を見たとき、そのすさまじい女の生き方に、場内が明るくなっても

しばらく席を立てないほどでした。 (1955年 キネマ旬報ベストテン第一位)

加東 大介さんの「大番」(四部作)は、今見ても面白く、公開当時リアルタイムで見たという、母親の話しを思い出し

さぞ、面白かっただろうと思ったものです。

1955年 成瀬 巳喜男監督作品「浮雲」  1957~1958年 千葉屋泰樹監督作品「大番・風雲篇・怒涛編・完結編」

 

「高槻セレクトシネマ」様、長い間、ありがとうございました。そして、ご苦労様でした。


「切り絵作品展」です。

2011年09月29日 | 日記

切り絵は小学生でもできる技法ですが、滝平 二郎さんとか、プロの作家が居るのは

それだけ奥が深い世界、という事でしょうか。

「黒田峰子 切り絵作品展」を見てきました。 (マサゴ画廊 ~10/1日まで)

 

 女性作家らしいやさしさと、するどい感性があります。

 「マイフェアレディ」など、映画に題材をとった作品もありますが、写真撮影できないので、お見せできません。残念です。

切り絵をはじめてまだ、6年とか言われてましたが、年月ではなく、どれだけ自分の感性を磨いたか、なのでしょう。

こういういい作品を見た後は、冷たいビールがまたおいしいのです。


「だんだん近ずく運動会」です。

2011年09月28日 | 日記

秋の運動会も近まり、練習にも熱が入ってきました。

我が家のベランダ席からでも、よく解ります。

左は組体操・ピラミッドでしょうか、上の児童はちょっと怖そうです。 右はソーラン節「どっこいしょう、どっこいしょう、ソーラン、ソーラン」の

元気なかけ声です。 使われているのは「伊藤多喜雄さんのソーラン節」のようです。

 

 私は二十年くらい前から、この伊藤多喜雄さんのライブを、何回か聴きに行きました。

伊藤多喜雄さんの生のステージは、和太鼓、津軽三味線、尺八などのTAKIO BANDの迫力と、

舞台狭しと、汗を飛ばしながら「どっこいしょう、どっこいしょう」と歌うソーラン節に、心を揺さぶられます。

休憩時間、サンケイホール(旧)のトイレで、となりに居る大柄な兄ちゃんをみると、河島 英五さんでした。

秋の運動会、本番は10月1日土曜日、後3日です。


「亀岡の彼岸花」です。

2011年09月27日 | 日記

植物や花には余り興味が無い、というか解らないのですが、お彼岸の時期に咲く、

彼岸花を見に行きました。

亀岡の穴太寺(あなおうじ)の近くに、自然に群生しています。

土地の人の話しでは「毎年25日頃から一斉に咲きだすんじゃが、今年はあっちでぽつり、

こっちでぽつり、すかすかじゃのう (まばらに咲いてる) 」 と言ってました。

  

先日の台風15号の強い風で、イネもなぎ倒されてました。  雲の間から、陽も射してきました。暑くもなく、いいお天気です。

 

 


「山内賢さん・ご逝去」です。

2011年09月26日 | 日記

私が高校生の頃、日活の青春映画で、吉永小百合さんの相手役といえば、浜田光夫さん、

和泉雅子さんの相手役といえば、この山内賢さんでした。

主役の弟役、友達役といった二番手、三番手の俳優だった山内賢さんが、初めて主役を張ったのは

鈴木清順監督「悪太郎」でした。

昭和41年ベンチャーズ作曲の、和泉雅子さんとのデュエット「二人の銀座」は大ヒットしました。

NHK「思い出のメロディー」で、三原綱木さんのギターをバックに、和泉雅子さんと歌う山内賢さん、

60歳すぎてなお、若い頃そのままの声が、忘れられません。

山内賢さん24日ご逝去、67歳 早すぎる死です。合掌。


「建築探訪・大山崎山荘美術館」です。

2011年09月25日 | 日記

建築家・安藤忠雄さん設計の建物が好きで、よく作品(建築物)を見に行きます。

安藤建築の中では、司馬遼太郎記念館、光の教会(茨木・春日丘教会)、そしてここ、大山崎山荘美術館のような

小規模で低予算の建築に、建築家として挑戦し、悩み、格闘する、安藤建築らしさが出てると思います。

 

本館は元々あった別荘をリニューアルして美術館にしたもの、新館は新たに設計されたものですが、古いものと

新しいもの、周囲の自然環境とうまく溶け合って、落ち着いた空間です。

モネの「睡蓮」などを展示している新館は、地面の中、つまり小さな地中美術館です。

 

左: 別荘をリニューアルした本館 中: 丸く見えるのが新館の天井部分と、美術館内部 (小さくて宝石箱のような美術館、と言われてます)

右:本館2Fのテラスでは自然の風に吹かれて、冷たいビールをいただけます。(チーズのおつまみも、ついてます)

   

ここは季節が変わったら、もう一度行ってみて下さい。秋には秋の、春には春の風景の変化を、楽しむことができます。

私のお気に入りの美術館ですが、最近は若い人向けの雑誌に、おしゃれなデートスポットとしても、紹介されているようです。(JR山崎駅 下車)

 

  

 

 

 

 


「カップヌードル発売40周年」です。

2011年09月24日 | 日記

日清のカップヌードルが1971年9月に発売されて、40周年になるそうです。

日清の創業者・安藤百福さんは1910年生まれですから、61歳の時の新製品です。

サラリーマンの定年60歳を考えると、経営者として第一線で頑張ってた事が解ります。

 

カップヌードルのパッケージデザインは、大阪で活躍してた大高猛さん、1970年の大阪万博の

シンボルマークのデザインで、一躍、脚光を浴びた人です。 (故人)

  

初めてカップヌードルを買った時は100円くらいで、高っ、と思いましたね。(まだ20歳をすぎた頃かな)

当時、インスタントラーメンが30円くらい、お店でラーメン食べても200円くらいでした。

友達と、カップヌードルを食べながら、町を歩いた事を思い出します。 

そんな食べ方が、あの頃は流行ってたんです。

 

 

 


「台風一過」です。

2011年09月23日 | 日記

台風15号は幸い、吹田近辺は大した雨風は無く、21日、昼過ぎには通り過ぎたようです。

翌22日から早速、東佐井寺小学校の運動会の練習も再開されました。

グランドでは紅白に分かれて、団体練習が続きます。

 

下の写真は組体操、「扇型」でしようか。私も小学生の時、「ピラミッド」とか「ブリッジ」をやったような気がします。

 

秋の運動会、本番は10月 1日土曜日、後1週間です。

 


「SFの世界・インベーダー」です。

2011年09月22日 | 日記

高校生の頃、、アメリカのテレビドラマで「インベーダー」というのがありました。

主人公は建築家・デビットビンセントである田舎町で、空飛ぶ円盤を目撃します。

侵略者=インベーダーの存在を知りますが、その事実を誰も信じてくれません。

インベーダーの外観は、地球人とまったく同じですが、左手の小指だけが、曲がらない

とか、ちょっとした特徴、証拠があります。

毎回、もうちょっとでインベーダーの存在を、みんなに知らせる事ができるという所で、

「この続きは、また来週」です。 (空飛ぶ円盤のデザインが、いかにも古いですね)

  

主人公(ロイシネス) と、声優の露口茂さんのしぶい声、雰囲気がよくあってました。

1年足らずの放映でしたが、忘れられないテレビドラマです。


映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」です。

2011年09月21日 | 日記

エイリアンが地球に侵略し、アメリカ海兵隊が地球を守るために戦う、というと、またか…

と言われそうな映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」を見ました。

エイリアンと飛行物体の造形デザインと、ラストはどうやって起死回生の反撃をするのか、

というのが見どころですが、上映時間2時間以内(116分)でうまく、ラストのオチまでまとめました。

うまい特殊撮影の技術(ハイドラックス) と、退役近い二等軍曹のがんばりに、星☆☆ふたつです。

 

地球侵略というテーマは昔からありますが、1996年の「インディペンデンスディ」が、新しい

形を作りました。巨大な飛行物体が地球に近ずく、という「影」だけで怖さを感じさせました。

圧倒的に強いエイリアンに対し「7月4日は侵略者から愛するものを守った、新しい

独立記念日(インディペンデンスディ)だ」という、大統領のスピーチは印象的でした。

「インディペンデンスディ」は続編が、前後編の大作で企画されているというから、これも楽しみですね。

 

 

 


「敬老の日」です。

2011年09月20日 | 日記

9月19日は敬老の日です。

聞くところによると、わが町、五月丘地区の敬老会対象者は75歳以上~ で

490人程、おられるそうです。 (ええ、そんな歳から…、そんなにたくさん…) と、思ったら、

吹田市の他の地区は、対象者が1,000人以上おられるそうで、五月丘は若いんですよ、と言われました。

敬老会に入れていただくまで、後14年もかかかるのか…75歳になった時には、対象年齢が80歳に

なってなければいいけど、と思いながら、公民館で反省会のお手伝いでした。

 


「スカイウォーカー父子の星」見つかる。

2011年09月19日 | 日記

二つの「太陽」を持つ太陽系外惑星が、米航空宇宙局(NASA)のケプラー宇宙望遠鏡の観測で見つかった、という

記事が朝日新聞に掲載されました。 (9/16日 夕刊)

映画「スターウォーズ」の舞台のひとつ、惑星「タトゥイーン」を思い起こさせます。

タトゥイーンは主人公スカイウォーカー父子の故郷とされ、砂漠のような風景の上に広がる空に、太陽が二つ

見えるシーンは印象的です。    左: 朝日新聞に掲載された写真 右: ブルーレイのジャケット

 

 

私は「スターウォーズ」シリーズの中で、一番好きなシーンは?と聞かれると、迷わず第一作「エピソード4」のルークが

本当の父親に思いを馳せ、二つの太陽が静かに輝くシーンと答えます。(ジョンウイリアムスの流れるような音楽も効果的です)

このシーンは最終作、第六作「エピソード3」のラストシーンにも、時代設定は違いますが、使われました。

つまり、あの壮大な映画「スターウォーズ」シリーズ全六部作は、私の好きな、この二つの太陽のシーンで、幕を閉じるのです。

監督・ジョージルーカスもこのシーンを、気にいってたのかも、知れませんね。

 


「韓国の家庭料理」です。

2011年09月18日 | 日記

韓国料理に特別、興味があるという訳ではありませんが、公民館の「韓国の家庭料理」教室に参加しました。

今日は~トッポギ(韓国の棒状の餅) と豆もやしスープ~を作ります。男子はふたりだけですが、ここで帰るわけにはいきません。

 

左: 赤いエプロンの、金田先生から作り方を習います。中: 豚肉とにんにくを炒めて、しいたけ、ニンジン、タマネギを入れて、更に炒めます。

右: 鍋に炒めた野菜とトッポギを合わせ出汁を入れ、コチジャン、砂糖、お酒などで味付けします。白いのがトッポギです。

  

左:トッポギを煮込む間に、豆もやしのスープを作ります。中:「豆もやしを煮てる間は、フタを取らないこと、これがおいしく作るコツね」と、先生。

右: 鍋の汁がなくなり、いい色に煮込んできました。味見をすると、ちょっと甘さの後に、おいしい辛さが広がります。

   

さぁ、できました。炊きたてのご飯とおつけものを付けて、試食しましょう。トッポギの辛さとシャキシャキ豆もやしのスープが、ご飯によく合います。

金田順子先生、ありがとうございました。 今回は「無印」でマイエプロンを買って、参加しました。 チャル モゴッスムニダ.(ごちそうさまでした)

 

 


「2011 ADC賞」です。

2011年09月16日 | 日記

ポスター、新聞広告、パッケージ、マーク&ロゴ、テレビCMなどのジャンルから、優秀な作品を集めた、

「2011 ADC賞」の展示会へ行ってきました。  (dddギャラリー  9/14-10/27日)

ADCとは東京アートディレクターズクラプ ADC賞は日本の広告、デザイン界の最も、名誉ある賞と言われてます。

 2011 ADC賞のポスターです。

今年のADC賞グランプリは、サントリーの企業広告テレビCM 「歌のリレー」シリーズが受賞しました。

これはサントリーのCMの出演者が「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」 2曲をワンフレーズずつ、歌いつぐCMです。

矢沢永吉、宮沢りえ、小雪、三浦友和、坂本龍一、松田聖子からトミーリージョーンズまで、71人の歌のリレーです。

このCMは、震災から2週間もしない、まだ余震の続くスタジオで収録され、途中、涙で歌えなくなった人もいたそうです。

震災報道の続く中、言葉ではなく、歌で被災地によりそう、このサントリーの企業広告は、放映されると、大きな反響を呼びました。

  

会場に流れるテレビCMを見て、改めて「歌の力」を感じ、これが「広告の力」だと感じ、今の若きクリエイターたちに、拍手を送りました。

 


「もう、運動会の練習」です。

2011年09月15日 | 日記

まだ30℃を越える、厳しい暑さが続いていますが、東佐井寺小学校では、もう、運動会の練習が始まりました。

グランドでは全体練習のまっさかりです。

体育館からは、元気よく「ドッコイショー、ドッコイショー」 のソーラン節も、聞こえてきます。

子供たちは熱中症に気をつけて、先生がたはご苦労さまです。

 

 私の娘が小学2年の時、あのグランドで、ぴーひゃら、ぴーひゃら と「踊るポンポコリン」を運動会で踊ったのは、

もう、20年も前になります。

たくさんの子供たちの中、わが子を探せるように目立つ赤いソックスをはかせた事も、父兄の応援席で、周囲に見つからんように、

缶ビール飲みながら応援したのも、今は、なつかしい思い出です。