往復路含めて約5日間、主な滞在は3日間となった今回の日本帰国。
短期間だけに、無事に行って、帰ってこれるか!?という最大の不安もありました。
航空券に関しては、往路ケアンズ空港で4時間の待ち合わせがあったにしろ、スーツケースも無事着いて、久しぶりの日本の地を踏んで、まずは一安心。
さて、復路便ーそんなこともあろうかとは予測していたけど、やはり予約していたゴールドコースト経由便が急な変更になり、急遽復路便の取り直し…
オーストラリア政府より、東北・関東エリアへの渡航禁止勧告の為、空港到着時間等々含め
成田(夜)~香港(乗務員入れ替え)~シドニー~メルボルンへとなんと丸一日かかって、無事自宅へ帰還しました。
日本へ到着した夜、早速余震を体験。そんなに大きくなく、少し揺れている程度でした。
何度も余震が続くので、友達は「もういつも揺れている感じだよ」って笑って言ってましたが…。
7日の夜、ホテルのコンビニへいた時に店員から「揺れてますよ、気を付けてください」っと言われ気付いたのですが、確かに大きく横揺れが…。この余震は本震後初の大きな揺れだったそうです。
しばらく立ちくらみのような感じがしました。
500mlの水のペットボトルは自販機で買えました。子供さんのいる家庭では、2Lのペットボトルや、食品を少し多めに買っていると、【買占め】ている人だと思われているようだよ。っと口を揃えて言っていました。
水のペットボトルは大人一人一本までと決められているようです。必要な子供の分は!?
東京の駅はほぼどこの駅もエスカレーターは動いていませんでした。
電車の運行はほとんど通常に動いていました。
新宿駅歌舞伎町周辺ー夜10:30PM。まだまだたくさんの人々が行きかい、カラオケや居酒屋のティッシュ配りの人もいたり、帰宅を急ぐ人、学生、グループ…相変わらずの光景が懐かしかった。
新宿西口より
高層ビル群
元同僚、友達、同級生…みんな多くの不安を抱えながらも通常生活を送ろうと心がけている一生懸命な姿、まだ収束を見せない状況の中、支えあっている姿に逆に元気をもらえたような気がします。
あの震災後、約1ヵ月経過していましたが、大きな地震、直後の混乱、なんとか家路に辿り着こうと奮闘した様子、そして、現在も続いている原発の不安…みんな色々と話してくれたけど、1日も早く本当の笑顔が戻る日を祈るしかありません。
再会、またしばらくのお別れの時は、ハグハグでお互いの存在を確かめ合うように、「また来るよ~オーストラリアへも遊びにおいでね~」と、本当に名残惜しかった。
短い滞在だったけど、充実した日々でした。
みんな元気で生きて行こうね!
次は、満開だった桜、待望の日本食などなど。
短期間だけに、無事に行って、帰ってこれるか!?という最大の不安もありました。
航空券に関しては、往路ケアンズ空港で4時間の待ち合わせがあったにしろ、スーツケースも無事着いて、久しぶりの日本の地を踏んで、まずは一安心。
さて、復路便ーそんなこともあろうかとは予測していたけど、やはり予約していたゴールドコースト経由便が急な変更になり、急遽復路便の取り直し…
オーストラリア政府より、東北・関東エリアへの渡航禁止勧告の為、空港到着時間等々含め
成田(夜)~香港(乗務員入れ替え)~シドニー~メルボルンへとなんと丸一日かかって、無事自宅へ帰還しました。
日本へ到着した夜、早速余震を体験。そんなに大きくなく、少し揺れている程度でした。
何度も余震が続くので、友達は「もういつも揺れている感じだよ」って笑って言ってましたが…。
7日の夜、ホテルのコンビニへいた時に店員から「揺れてますよ、気を付けてください」っと言われ気付いたのですが、確かに大きく横揺れが…。この余震は本震後初の大きな揺れだったそうです。
しばらく立ちくらみのような感じがしました。
500mlの水のペットボトルは自販機で買えました。子供さんのいる家庭では、2Lのペットボトルや、食品を少し多めに買っていると、【買占め】ている人だと思われているようだよ。っと口を揃えて言っていました。
水のペットボトルは大人一人一本までと決められているようです。必要な子供の分は!?
東京の駅はほぼどこの駅もエスカレーターは動いていませんでした。
電車の運行はほとんど通常に動いていました。
新宿駅歌舞伎町周辺ー夜10:30PM。まだまだたくさんの人々が行きかい、カラオケや居酒屋のティッシュ配りの人もいたり、帰宅を急ぐ人、学生、グループ…相変わらずの光景が懐かしかった。
新宿西口より
高層ビル群
元同僚、友達、同級生…みんな多くの不安を抱えながらも通常生活を送ろうと心がけている一生懸命な姿、まだ収束を見せない状況の中、支えあっている姿に逆に元気をもらえたような気がします。
あの震災後、約1ヵ月経過していましたが、大きな地震、直後の混乱、なんとか家路に辿り着こうと奮闘した様子、そして、現在も続いている原発の不安…みんな色々と話してくれたけど、1日も早く本当の笑顔が戻る日を祈るしかありません。
再会、またしばらくのお別れの時は、ハグハグでお互いの存在を確かめ合うように、「また来るよ~オーストラリアへも遊びにおいでね~」と、本当に名残惜しかった。
短い滞在だったけど、充実した日々でした。
みんな元気で生きて行こうね!
次は、満開だった桜、待望の日本食などなど。