歌詞でおもうことがある。
ナーサリーライムズ(マザーグース)のようにナンセンス歌詞なら語呂あわせを楽しむところがあって、コトバの意味が何というより音を単純に楽しんでいいと思う。子供向けの歌なんかだいたいそう。歴史的背景とか深い意味は大人になってからきづいても遅くない。
反対に聞いてて悲しいのは、外国語で特にラブソングを歌う人が、歌詞というかコトバの意味に心がこもってない歌い方してるもの。
発声や雰囲気でもてはやされてる(CD発売されてる)のだとおもうけど、この人はとりあえずカタカナ記号としか思ってないままで歌ってるなぁとバレバレで聞き苦しくなる。発音がよければOKというわけでもない。
コトバの意味を認識できないまま歌うのなら、認識せざるを得ない=実感のこめることのできるほど意味を良く知ってる母国語で歌ってきかせるほうがよっぽど素敵じゃないかと思うのだけど。
なんでこんなことに気づくかっていうと、中学高校といわゆる洋楽漬けだったから。自分の中で「このフレーズならこういう具合の心をこめた歌い方になる」、という見えない黄金ルールの存在に気づくからなんだよね。それが無視されてるとオリジナリティ通り越して、「ああ、知らんな~このひと」と。
そう、黄金ルールの蓄積、って付け焼刃ではできないよね。
正しいものの模倣、という習い事の超基礎で習得するか、
大量に接する中で感じ取るか。
前者は早いけど、認識が難しいかもね。
後者は時間がかかるかもしれない分、揺らぎ無いかもね。
今、ラボ・パーティでの子供のコトバの習得と、
フラメンコで曲別にふさわしい踊りが出せるかということ、
その両方に上記の歌詞にいえることを感じますわ。
ナーサリーライムズ(マザーグース)のようにナンセンス歌詞なら語呂あわせを楽しむところがあって、コトバの意味が何というより音を単純に楽しんでいいと思う。子供向けの歌なんかだいたいそう。歴史的背景とか深い意味は大人になってからきづいても遅くない。
反対に聞いてて悲しいのは、外国語で特にラブソングを歌う人が、歌詞というかコトバの意味に心がこもってない歌い方してるもの。
発声や雰囲気でもてはやされてる(CD発売されてる)のだとおもうけど、この人はとりあえずカタカナ記号としか思ってないままで歌ってるなぁとバレバレで聞き苦しくなる。発音がよければOKというわけでもない。
コトバの意味を認識できないまま歌うのなら、認識せざるを得ない=実感のこめることのできるほど意味を良く知ってる母国語で歌ってきかせるほうがよっぽど素敵じゃないかと思うのだけど。
なんでこんなことに気づくかっていうと、中学高校といわゆる洋楽漬けだったから。自分の中で「このフレーズならこういう具合の心をこめた歌い方になる」、という見えない黄金ルールの存在に気づくからなんだよね。それが無視されてるとオリジナリティ通り越して、「ああ、知らんな~このひと」と。
そう、黄金ルールの蓄積、って付け焼刃ではできないよね。
正しいものの模倣、という習い事の超基礎で習得するか、
大量に接する中で感じ取るか。
前者は早いけど、認識が難しいかもね。
後者は時間がかかるかもしれない分、揺らぎ無いかもね。
今、ラボ・パーティでの子供のコトバの習得と、
フラメンコで曲別にふさわしい踊りが出せるかということ、
その両方に上記の歌詞にいえることを感じますわ。