アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

ブランド店で品定め、実は品定めされていた

2007-11-29 | Weblog
 バッグなどで有名なブランドの店に、初めて入った。

 友人との待ち合わせ場所に選んだのだが、早く着いてしまったので、暇つぶしに品定めをしていた。

     ◇

 バッグももちろん良い物なんだろうが、陳列も上手で見ていて楽しい。ショーケースの中は、なんだか上品な料理の盛り付けのようでもある。主役のバッグも脇役の飾り物も協調している。

 さらに店内全体を一つの作品として見てほしい、という意図も感じられる。

 頑張り屋の若手芸術家(地方出身)のオブジェのようである。


 「ふむ、頑張っているじゃないか」


     ◇


 が、途中からバッグや陳列よりも、値札の数字のほうが興味深くなってきた。いくら売れてるからって調子に乗りすぎではないか。利幅、いくら? 

 少しばかり庶民として義憤を感じつつも、品定めがいつの間にか「値段当てゲーム」になってしまい、これが存外楽しくて一人でワクワクしながらやっていた。

 ホストクラブに金を取られている人だって、実は本人は納得づくでぼったくられているらしいし。まあ、一庶民として小さな夢を求めてみたい。それを実現してくれているのだから、ホストクラブ料にも高級バッグの値札にも「小さな夢」料も入っているのだ。きっと。


    ◇

 「値段当てゲーム」というのは楽しい。はまる。驚きもあるし、怒りもあるし、笑いもある。

 が、なんだか次第に店員が怪訝そうな目で見ている気がしてきた。

 無精ひげのやや汚いオヤジではある。が、やつらの目は「店に不似合いな客」という嫌悪感を超えた「上流」と「下流」を区別したがる「嘲り」が感じられた。


 オレとしては、(メーカーや店側にすべての責任があるとは思わないが)没個性の代表のようなブランド商品をわざわざ品評してあげているのである。暇だから。そのありがたさも知らずに、なんて失礼な店員なんだ。


 あんまり居づらいので、本当は「値段当てゲーム」をもっと楽しみたかったが、店を出てきてしまった。


    ◇

 ある作家の話。「ものづくりをしている人間にとって、作品は子供みたいなもの。いい人に出遭ってもらいたいんです」

 本当に上手にできたなぁと感じる作品は、実は陳列せずに大切にしてくれそうな人、その作品を見続けてくれそうな人に差し上げるのだという。値段をつける気にはならないらしい。


     ◇

 きょうの店のバッグなんて、みんな値札付きじゃないか。

 「値札付き」のくせに、オレ様を強盗の下見に来た「札付き」みたいに見るなぁ!
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 食べ物とおもちゃへ向かう関... | トップ | 気持ちの温度が上がらない »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事