半月経っても引かない指先の痛みが、生命の尊厳を教えてくれる。
タイにやられた。
「アクアマリンふくしま」の釣り体験に息子と2人で参加した。親子共々釣果はなかったが、職員さんが釣り上げた50センチ超のタイをいただいた。
大暴れのタイは釣り上げるのも大変だったが、帰ってからも、さらに大変。
家に帰って、まずはうろこ引き。ガチガチに硬くて、文化包丁の背中だけでは、つい強引な腕力勝負になってしまう。
狭い台所ではうろこや血が飛んで仕方がないので、庭の水道で、寒風にさらされながらの調理。
さらに、三枚に下ろす際、魚体を押さえていた手が滑り指先に背びれの軸骨が突き刺さった。
大きな魚をおろすのは多分20年ぶりくらい。
背びれは前もって落としておくべきだったし、うろこも無理せず刃でおろせばよかったのだ…。
ともかく、息子が目を見張っている姿に、ついつい張り切りすぎた。
激痛、流血、悪戦苦闘1時間の末、塩焼きや煮魚、アラ汁にして、うろこのほかはすべて食べた。
タイ尽くしの食卓。
いつもは「ごちそう」と呼ばれるものが並んだだけで、料理の実態も知らずに大声を張り上げて喜ぶ息子が、この日ばかりはしょぼくれていた。
「さっきまでは生きていたのに」。
釣り上げたときの興奮、緊張、感動。
タイとの格闘はわずか3時間ばかり前だった。
あの猛々しいタイの姿と、皿の上の解体された姿とをうまく同調させることができない様子だった。
「死んでからだって、すごかった」。
私は、傷だらけの私の手を息子の前にさし出した。
タイの血と私の血とで、生臭い。
だが、タイ殺しの張本人である私の手にこそ、タイのすごさがきちんと伝わっているんだぞ、と息子に伝えた。
息子は、笑顔になった。
「タイっておいしいね」ではなく、「タイってすごいね」と、塩焼きをほお張った。
私自身、久々の魚とのバトル。大型の魚の手ごわさを再認識した。
だから、「おいしいもの」であるよりも「すごいもの」だと認識してくれた息子が、うれしかった。
「アクアマリンふくしま」は、行く度に、いつも楽しい学びがある。身近な生命のすごさを知った今回の学びも、息子にとって非常に貴重であった。同時に、親としても、1人の男性としても、私にとっても大きな学びの機会だった。
それにしても、最近の台所は、生き物を調理するには狭すぎる。
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