今朝はこれまでで一番、息子がごねた。嵐のようにごねた。
ご飯を食べ終わるまではいつも通りにお父さんと仲良しだった。歯磨きをする段になって、態度を一変させて「お父さん、嫌い」。だが、これもいつものことだ。
しかし、いつもとはちょっと雰囲気が違っていた。歯磨きの拒否の仕方に元気がなかったのだ。
歯ブラシを示して促すと、いつもは「いやだ」と元気に声を張り上げるのだが、この日はもじもじしながら窓と本棚の間のわずかな隙間に入って、カーテンにくるまってしまった。
ここで力づくに引きずり出しては機嫌はますます悪くなるばかり。しばらくはやんわりとなだめていたのだが、次第に時間に余裕がなくなり、私の態度も険しくなってきた。
「じゃあ、一人で留守番していなさい。お父さんは一人で出かけるから」。言い方が必要以上に邪険になってしまった。
私が玄関まで歩いていくと、息子が追いかけてきて足にしがみついて「出かけちゃダメ」。振り払って歩こうとすると、玄関に走って行って、鍵を閉めた上に通せんぼ。このあたりで、もう泣きじゃくっていた。
「ぼくも出かけない。お父さんも出かけない。お母さんも出かけちゃダメなのに」
母親はずっと前に出勤しているし、息子は「いってらっしゃい」のあいさつもしている。しかし、やっぱり我慢していたのだ。
「お仕事なんだよ。お父さんも、お母さんも、お仕事は、どうしても出かけなくちゃいけないの」
「それじゃあ、ぼくはお母さんの学校に行くの」
◇
幼稚園では、20人ほどのクラスメートはみんな正午にお母さんが迎えに来る。息子はクラスで一人きりの「延長さん」。母親が来るのは早くて夕方の6時だ。今の季節は真っ暗である。
これまで、息子はその状況を自然に受け入れていた。が、どうも3週間ほど前に運動会の練習で私や妻が昼に幼稚園に顔を出したあたりから認識が変わってきてしまった。
「うちの親だって、昼に来れるじゃないか」
一度目の練習日。私が昼に訪れた日は、私に気付く前はクラスメートとお母さんたちとの「お迎えシーン」を遠くの外廊下から一人で眺めていた。しかし、私に気付くと、突然に喜々として「先生、先生、お父さん来たよ、お父さん来たよ」と連呼していた。
「ぼくだって、お迎えが来るんだぞ」と自慢していた。
2回目の練習日には妻が昼に行った日。周りにいる知らない人にまで「お母さん来たよ、お母さん来たよ」と説明していたという。やっぱり、「延長」はいやなのだ。
◇
きょうの出社は遅刻ぎりぎりになってしまった。4月に転勤してきてから同じ部署で一番乗りできなかったのは初めてだ。
事務的な朝の仕事をこなしたあと、ふと今朝の息子の泣き顔が浮かんできた。
「ぼくはお母さんの学校に行く」
40年ほど前、私が叫んでいたせりふと同じだ。父親も母親も教員だった。家に残った3歳の私は、お世話をしてくれていた女性に先のせりふを言い放って、母の勤務する学校まで歩いていってしまった。
◇
「先生、先生、お父さん来たよ、お父さん来たよ」
仕事は山積している。気を取り直して「きょうすべきことは」と頭の中で日程を反芻する。しかし、息子の言葉が、意識の隙間に入り込んでくる。しまいには、頭の中を占めてしまう。もちろん、振り切って仕事に気持ちをシフトするが、「本当に大切にすべきもの」を改めて認識する。
「家族」という最小単位が、人にとって最初の「社会」である。それは「信頼」や「協調」を学ぶ大切な場でもある。
生きるための、本来の、生来の活動として、親にすがってくる子。
放っておけるはずがない。
ご飯を食べ終わるまではいつも通りにお父さんと仲良しだった。歯磨きをする段になって、態度を一変させて「お父さん、嫌い」。だが、これもいつものことだ。
しかし、いつもとはちょっと雰囲気が違っていた。歯磨きの拒否の仕方に元気がなかったのだ。
歯ブラシを示して促すと、いつもは「いやだ」と元気に声を張り上げるのだが、この日はもじもじしながら窓と本棚の間のわずかな隙間に入って、カーテンにくるまってしまった。
ここで力づくに引きずり出しては機嫌はますます悪くなるばかり。しばらくはやんわりとなだめていたのだが、次第に時間に余裕がなくなり、私の態度も険しくなってきた。
「じゃあ、一人で留守番していなさい。お父さんは一人で出かけるから」。言い方が必要以上に邪険になってしまった。
私が玄関まで歩いていくと、息子が追いかけてきて足にしがみついて「出かけちゃダメ」。振り払って歩こうとすると、玄関に走って行って、鍵を閉めた上に通せんぼ。このあたりで、もう泣きじゃくっていた。
「ぼくも出かけない。お父さんも出かけない。お母さんも出かけちゃダメなのに」
母親はずっと前に出勤しているし、息子は「いってらっしゃい」のあいさつもしている。しかし、やっぱり我慢していたのだ。
「お仕事なんだよ。お父さんも、お母さんも、お仕事は、どうしても出かけなくちゃいけないの」
「それじゃあ、ぼくはお母さんの学校に行くの」
◇
幼稚園では、20人ほどのクラスメートはみんな正午にお母さんが迎えに来る。息子はクラスで一人きりの「延長さん」。母親が来るのは早くて夕方の6時だ。今の季節は真っ暗である。
これまで、息子はその状況を自然に受け入れていた。が、どうも3週間ほど前に運動会の練習で私や妻が昼に幼稚園に顔を出したあたりから認識が変わってきてしまった。
「うちの親だって、昼に来れるじゃないか」
一度目の練習日。私が昼に訪れた日は、私に気付く前はクラスメートとお母さんたちとの「お迎えシーン」を遠くの外廊下から一人で眺めていた。しかし、私に気付くと、突然に喜々として「先生、先生、お父さん来たよ、お父さん来たよ」と連呼していた。
「ぼくだって、お迎えが来るんだぞ」と自慢していた。
2回目の練習日には妻が昼に行った日。周りにいる知らない人にまで「お母さん来たよ、お母さん来たよ」と説明していたという。やっぱり、「延長」はいやなのだ。
◇
きょうの出社は遅刻ぎりぎりになってしまった。4月に転勤してきてから同じ部署で一番乗りできなかったのは初めてだ。
事務的な朝の仕事をこなしたあと、ふと今朝の息子の泣き顔が浮かんできた。
「ぼくはお母さんの学校に行く」
40年ほど前、私が叫んでいたせりふと同じだ。父親も母親も教員だった。家に残った3歳の私は、お世話をしてくれていた女性に先のせりふを言い放って、母の勤務する学校まで歩いていってしまった。
◇
「先生、先生、お父さん来たよ、お父さん来たよ」
仕事は山積している。気を取り直して「きょうすべきことは」と頭の中で日程を反芻する。しかし、息子の言葉が、意識の隙間に入り込んでくる。しまいには、頭の中を占めてしまう。もちろん、振り切って仕事に気持ちをシフトするが、「本当に大切にすべきもの」を改めて認識する。
「家族」という最小単位が、人にとって最初の「社会」である。それは「信頼」や「協調」を学ぶ大切な場でもある。
生きるための、本来の、生来の活動として、親にすがってくる子。
放っておけるはずがない。
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