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アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

take it easy

2008-06-12 | Weblog
 秋葉原の事件について、いろいろと書いてある。


 結果は重大である。恐ろしい。

 しかし、結果の大きさで、彼や、もしくは彼に似たような人たちを、過大に複雑に評価すべきではない。


     ◇


 彼・もしくは彼らを社会という大きな集合体の、小さな一つの細胞としてとらえる。それが、さまざまな作用に対応しきれず、いつかの場面で不適合の「がん細胞」に変化してしまった。

 彼ら「がん細胞」も、当初は健全な一つの構成因子であったはずである。

     ◇


 がん細胞も単体では、あくまで小さな存在に過ぎない。

 どの個体にもがん細胞は生まれるし、突然変異や突然変異の一形態であるがんは、ある側面から見れば進化の一つの道筋ともいえる。

     ◇

 がん細胞は、増殖・転移することこそが問題なのだ。

     ◇


 最近、増殖・転移しやすい「弱者」がけっこう見受けられる。

 彼らは、認めるべきだ。

 逃げても逃げても逃げても、結局、逃げ切れないと。

 いつかは、自力で立ち向かわなくてはいけなくなる。

      ◇


 自分を第三者に置き換えて、しばしば他者の目から自分を見、考えてくれ、と。でないと、いつの間にか、知らずにがん細胞になってしまう。


     ◇


 生きてさえいれば、問題はとりあえず先送りして、あとでできることはあとで考えよう。先のことを気にしすぎていたら、生きていけない。



    ◇



 かつて、胃がんで亡くなった知人がいた。


 とても快活だった。B型だった。


 2月に胃が痛くなり、4月にがんだと分かり、6月の初旬に亡くなった。瞬く間に死んでいった。


 自分が死んでいくと分かったとき、それまで以上に周囲を元気付けた。彼氏に対しては「早く次の彼女見つけてよ」と言っていた。

 ただ、死ぬ7日前の病室では「本当はもっと生きていたい」と泣いていた。


     ◇

 「もっと生きていたい」と切実に願いながらも死んでいく人がいる一方で、自分で死んだり、人の命を安易に奪う人たちがいる。


     ◇

 生まれるとは、死ぬとは。


 親から子へ。生命は連綿と続いている。


 自分を、自分の周囲を、もう少し深耕したいものだ。
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