~ 1年間の単身生活が終わる。長かったのか、短かったのか。それは何年か後に評価しようと思う ~
と、書いたのが去年の3月。
で、1年が経過。1週間前の2月28日、月曜日。内示をいただいた。
再び、単身。
◇
いや、早すぎるってば。せっかく、「何年か後に評価しよう」と思ってたのに…。
異動に対して不満を述べるような人間ではない。私は、誇りをもったサラリーマンだ。
でも、妻にしてみると、ちょっと引っ越し多すぎない? みたいに映るらしい。この文章の左側、プロフィールの自己紹介欄にある通り、「引っ越し20回」。自分自身、引っ越し費用の捻出を妻に切り出すのに、ちょっと躊躇したくらいだから…。
当然、この日のわが家の家族会議はブラッディ・マンデー、「血の月曜日」。
やってて飽きないですな。サラリーマンってヤツは…。
◇
「単身おやじの短信」。それが1年前のこのブログのタイトル。
その最終回の記述。
~ 「愛する人と時間を共有すること」。これが、基本。これを再認識できた。このブログのテーマに「会えない時間こそ、愛を育む大切な時間」なんて、自分で書いている。が、これは強がり、真っ赤なうそ。どう考えたって、一緒にいる時間の方が愛を育むのだ、本当は。 ~
1年前、単身が終了することが決まった直後のブログには、強気の、さらに有頂天の言葉が、ダイナミックに躍っている。「ここしばらくは単身はないだろう」と、完全にタカをくくっている。
が、有頂天のヤツには、女神はいつまでも微笑みかけてはくれませんね。これは、経験上、絶対といってもいいくらい。
◇
家族と離れるのは、やはり残念ではある。特に、子どもが私を求めてくれている時期だけに。
しかし、観点を変えれば、今春から小学2年生になる息子にこれから重要なのは、社会における自己の責任を認識すること。
それならば、「働く」ということの意義、責任を示す、またとない機会、と今回の異動を位置づけることもできる。
自分の成長にとっても、息子の成長にとっても、今回の異動は最善の道である、とも言えるのだ。
感謝! 会社に、そして何でも自分に都合よく理屈をこね回せるオレ自身にも!
と、書いたのが去年の3月。
で、1年が経過。1週間前の2月28日、月曜日。内示をいただいた。
再び、単身。
◇
いや、早すぎるってば。せっかく、「何年か後に評価しよう」と思ってたのに…。
異動に対して不満を述べるような人間ではない。私は、誇りをもったサラリーマンだ。
でも、妻にしてみると、ちょっと引っ越し多すぎない? みたいに映るらしい。この文章の左側、プロフィールの自己紹介欄にある通り、「引っ越し20回」。自分自身、引っ越し費用の捻出を妻に切り出すのに、ちょっと躊躇したくらいだから…。
当然、この日のわが家の家族会議はブラッディ・マンデー、「血の月曜日」。
やってて飽きないですな。サラリーマンってヤツは…。
◇
「単身おやじの短信」。それが1年前のこのブログのタイトル。
その最終回の記述。
~ 「愛する人と時間を共有すること」。これが、基本。これを再認識できた。このブログのテーマに「会えない時間こそ、愛を育む大切な時間」なんて、自分で書いている。が、これは強がり、真っ赤なうそ。どう考えたって、一緒にいる時間の方が愛を育むのだ、本当は。 ~
1年前、単身が終了することが決まった直後のブログには、強気の、さらに有頂天の言葉が、ダイナミックに躍っている。「ここしばらくは単身はないだろう」と、完全にタカをくくっている。
が、有頂天のヤツには、女神はいつまでも微笑みかけてはくれませんね。これは、経験上、絶対といってもいいくらい。
◇
家族と離れるのは、やはり残念ではある。特に、子どもが私を求めてくれている時期だけに。
しかし、観点を変えれば、今春から小学2年生になる息子にこれから重要なのは、社会における自己の責任を認識すること。
それならば、「働く」ということの意義、責任を示す、またとない機会、と今回の異動を位置づけることもできる。
自分の成長にとっても、息子の成長にとっても、今回の異動は最善の道である、とも言えるのだ。
感謝! 会社に、そして何でも自分に都合よく理屈をこね回せるオレ自身にも!
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