アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

「しつけ」、丁寧に言うと「おしつけ」

2008-06-09 | Weblog
 「だれでもよかった」だとさ。


 他者を軽んじる人間が、また事件を起こした。


     ◇

 社会に相手にされていない、バカにされてる、うまくいかない。

 
 いやはや、自分の都合ばっかり。


     ◇


 いいじゃないか。当たり前じゃないか。分かってもらえなくたって。


 分かってもらえないなんてごく自然なこと。親でも、兄弟でも、友達でも、夫婦でも、別人格なんだから。分かられちゃったら、いやじゃないか、逆に。



     ◇

 思い通りに評価してもらえなかったからといって、人の権利を侵害したくなるなんて、いかにも卑しいじゃないか。


     ◇


 こんな事件の報道に接するたび、「しつけの復活」が急務なのだ、と思う。


     ◇

 さまざまな要因が複合的に絡み合っているように見える。が、実際には、ことは単純なのだ。精神的な耐性の低い人間を育ててしまった。意に沿わないことに耐えられない子どもをそのまま巣立たせてしまったのだ。

      ◇


 彼らを見ていて、世の行く末を思う。

 人間としての質の劣化が始まっている。次にくるのは、生命としての劣化ではあるまいか。


      ◇

 どこかの国の幼児訓。

 「やってはならぬ、やらねばならぬ。ならぬことは、ならぬものです」

 こういうことから教えていかなくてはいけないのだろう。今のこの国の家庭と地域の教育力に鑑みると。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ヴァイオリン始末記 なん... | トップ | 四方のけだものすらだにも  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事