アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

10円玉

2008-10-16 | Weblog
 10円玉。

 いつもポケットに何枚かある。

 1円玉、5円玉、100円玉、ほかの硬貨がないときでも10円玉はだいたいある。




 邪魔ではないけれど、もっと違うのであればいいなぁ、と思っていた。例えば100円玉。硬貨の王様のようである。


 ー ちなみに私の子どものころは500円玉はなかった。札だった。500円は札として威厳を感じていたが、硬貨になって安くなってしまったと感じる。というか、子供たちだけの広場に、いきなり大人が混ざってきちゃったっていう感じです -



 小学生のころ、思っていた。

 10円玉は「アブラゼミ」っぽくて、100円玉は「ミンミンゼミ」っぽかった。銀色っぽくって。



     ◇


 大学生のころになって、10円玉が活躍の場を広めてきた。


 銭湯の支払いや電車の切符を買う際に大活躍して、田舎出の学生を助けてくれた。



 なにより公衆電話に行くときは、10円玉を十枚以上はもっていった。

 田舎に電話するために、10円玉をビニール袋に集めていた。


 夜、下宿から一番近い公衆電話へ、10円玉入りの袋を持っていった。子供が持つビー玉入りの袋のようだった。



 10円玉は、予想以上のスピードで公衆電話の中に落ちていった。家族との会話はあわただしかった。


 家族一人ひとりと順番に話して、最後に出た母親とはもう会話する時間はなかった。「元気だから」と伝えただけで、10円玉は尽きてしまった。



     ◇


 携帯電話が生まれ、家族との通話には困らなくなった。

 しかし、会話に困る家族が増えたのではないだろうか。

 

 10円玉が落ちる音に急かされながら、時を惜しみながら家族と交わした言葉の重みは、失われてきている。


     ◇

 中学生のとき、友達が好きな女の子に公衆電話から思いを伝えようとした。それに付き合わされた。


 彼女の家に電話をして、お母さんは出てきたら「あっ、すみません。間違えました」。何回か繰り返した。

 何回かの後に、彼女が直接出てきた。


 「あっ、間違えました」。友達は、告白はできなかった。何十円も使っていた。



     ◇


 携帯での告白とは、重みが違う。


 10円玉を使った通話は「思い」、そして「重い」のである。
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1 コメント

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Unknown (名古屋ミッキー)
2008-10-18 00:06:18
銭湯なんて懐かしいですねー。
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