「おとうさん、きて」
いや、「きいて」だったかもしれない。
昨夜、おおむね9時ごろ、自宅の玄関を開けると、すぐに息子の声。
ただ、いつもはとんできて私にだいぶするのに、この日は声だけ。
居間に通じるドアを開けると、左あごにヴァイオリンを挟んだままの息子。
「いま練習してたの。聴いて」
この日は、夜に郡山で会議があるので自宅に泊まることを伝えていた。
息子は、自分が起きている時間に父親が帰ってきたことがうれしい様子。
まして、課題であるヴァイオリン曲のレッスン真っ最中。
自分の頑張っているところをみせたいのだ。
「おとうさん、そこで聴いていて」。
すぐに楽譜に目を戻すと、息子は一心不乱に演奏していた。
私自身がもうすぐ発表会を控えて、練習に打ち込んでいることは伝えてある。
息子は、しばらく前には練習がつらくてヴァイオリンをやめたいと言っていた。が、お父さんが頑張っていると聞いてから、息子はヴァイオリンに対する情熱を取り戻した。
「ぼく、頑張っているからね」。目をランランと輝かせて楽譜を追いかけている。
異弦への移動が円滑になり、音もぶれなくなった。
相当に努力したに違いない。
思わず、頭をなでてほおずりをした。
途端、「練習中です」と尖った声。
さすが、女房。
浮ついた息子とおれを一瞥すると、すぐ楽譜へ。
「ここの休符。忘れてたでしょ。ここはクレッシェンド」
きっ、厳しい。
が、頼もしい。
確信した。
音楽教育は、最初は「おしつけ」だ。
おれはヴァイオリンで5曲くらいやる。女房はほとんどやらない。A線だけの演奏を2曲くらいするだけ。
しかし、ヴァイオリンレッスンでは、おれは息子の邪魔。指導は女房に任せるのが格段に良策である。
「女親の子育て」「男親の子育て」
どちらも大切。長短あって、絶妙のバランスを維持しているな、と思う。
おれは当然、息子を大切にしなくてはいけない。同時に、息子を育ててくれる女房を大切にしなくてはいけない。
女房はもちろん息子を大切にしなくてはいけないし、息子を育てているおれのことも大切にしなくてはいけない。
みんながみんなを大切にしなくてはいけない。
理由?
家族だから。
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