性同一性障害をはじめ、さまざまな「個性」が尊重される社会になった。
日本でもここ数年で急速に。
さまざまな「個性」がある。それをもつ相手に対して寛容でなくてはいけない。
もちろん、権利を侵してはならない。
ずいぶん昔という感があるが、私が小さいころは「ホモ=気持ち悪い」が社会全般の認識だった。
そういう社会の中で育ってきて、私も永らく「ホモ=異常者」という認識だった。ゲイという言葉はなかった。
その後、成長に従って、学び、経験を積み、知識を得て、ようやく幼少期に植え付けられた「ホモ=気持ち悪い」という方程式に批判的な意見がもてるようになった。
今でもホモの人とは積極的にお近づきにはなりたくない。ただ、相手を否定しないこと。これがいかに重要であるかを知った。
とはいえ、権利主張ばかりの人たちに違和感を感じるときもある。
人や動物に対して「かわいい」とか「きもい」とか言っている。
例えば、ネコは「かわいい」がヘビは「キモイ」。
ならば、あなたはネコなのか。誰もがホモもネコとして認識しなくてはいけないのか。いや、ある人にとってはあなたはヘビかもしれない。
おねえタレントが「かわいい」とか「きもい」とか口にするたび、この人は、自分のことをだれかから「ヘビ」と評価されても反論する資格はないのでは、と思う。
動物写真家の岩合光昭さんは、シロクマの赤ちゃんの撮影の際に述べている。
「してはいけないことだと分かっているのに、思わずかわいいと感じてしまった。人間が、動物をかわいいとか醜いとか思ってはいけないのに」
シロクマの赤ちゃんのかわいらしさを誇張するための表現ではない。生き物に向き合うプロ写真家としての自戒の弁である。
きょう26日、朝から神奈川県で知的障害者の施設が襲撃された事件のニュースが続いている。
「重度障害者は生きていてもしょうがない」と、容疑者は障害者の存在を否定するような動機を話しているという。
黒人を差別してきた白人、異教徒を無条件に嫌悪するような自己中の人たち。それらに通底する「独善」と「無知」。
告白するが、私自身、小学校のころ初めて訪れた養護学校で知的障害者の人を見て「気持ち悪い」と感じた。頭が異様に大きな病気の患者さんと接して、顔ではフレンドリーな笑顔を作りつつ、内心で「早くこの場を去りたい」と願った。
その後、母親が勤務していた施設で障害者と接する機会が増えるにつれて「気持ち悪い」という感覚は薄れていって、いつしか抱き合えるようにもなった。
相手に接し、知ろうとすること。それが人間関係だ。
知ろうとせずに、拒んだだけだったのか。
確かに、接していて苦痛だったこともある。しかし、障がい者にしかない魅力もある。
健常者には到底不可能な、純度100パーセントの笑顔を見せてくれたこともある。
許せないという気持ち。その不寛容の「闇」が、一番気持ち悪い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます