光市の母子殺害事件の裁判のニュースに接するたびに、怒りと悲しみを覚える。
この事件の弁護人たちは、人間性が破綻しているように思う。「死刑廃止」という自分たちの信条を通すために、酷く傷ついた遺族を容赦なく攻撃する。それも、だれにも通用するはずのない、荒唐無稽の論を弄して。それに何の躊躇も感じていないのが、悲しい。
母親に乱暴し、さらに死亡した母にすがろうとする赤ん坊をも殺した被告人は、もちろん、消えて然るべき存在だと思う。しかし、一方では、自らの性欲や暴力性を制御できない、ある意味での人間味も感じられる。
しかし、「死刑廃止」という自らの信条を通すためだけに、傷ついている遺族に猛烈な攻撃を仕掛けている弁護士たちこそが、人間としての心をかけらも持ち合わせていない、冷酷で、犯罪的な者たちではないかと思う。
そのあまりに独善的な姿勢を見ていると、自分たちの信条を通すためには他を排除することをも「正義」と言い張り続けて無残な殺戮を繰り広げたあのカルト教団に通ずるものを感じる。
弁護士までも人間性が壊れ始めている。社会が、少しずついやな流れに傾いている。
人間性の復興。本当に、みんなで真剣に考えていかなくてはいけないと思う。
この事件の弁護人たちは、人間性が破綻しているように思う。「死刑廃止」という自分たちの信条を通すために、酷く傷ついた遺族を容赦なく攻撃する。それも、だれにも通用するはずのない、荒唐無稽の論を弄して。それに何の躊躇も感じていないのが、悲しい。
母親に乱暴し、さらに死亡した母にすがろうとする赤ん坊をも殺した被告人は、もちろん、消えて然るべき存在だと思う。しかし、一方では、自らの性欲や暴力性を制御できない、ある意味での人間味も感じられる。
しかし、「死刑廃止」という自らの信条を通すためだけに、傷ついている遺族に猛烈な攻撃を仕掛けている弁護士たちこそが、人間としての心をかけらも持ち合わせていない、冷酷で、犯罪的な者たちではないかと思う。
そのあまりに独善的な姿勢を見ていると、自分たちの信条を通すためには他を排除することをも「正義」と言い張り続けて無残な殺戮を繰り広げたあのカルト教団に通ずるものを感じる。
弁護士までも人間性が壊れ始めている。社会が、少しずついやな流れに傾いている。
人間性の復興。本当に、みんなで真剣に考えていかなくてはいけないと思う。
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