叱るな、子ども。来た道だ。
笑うな、年寄り。行く道だ。
なんだか、優しい気持ちにさせられる。人の心の機微というものを、改めて考えてみたい。そんな気にさせる言葉だ。
韻を踏んでいるから、心にも耳にも刻みがよい。最近のお気に入りだ。
言わんとするのは、相手の立場に立って考えてみよう、ということ。「まぁ、そんなに相手を責めるな。お前だって大したことなかろう」というところだ。
この「お前だって大したことないくせに」というのが大切だ。これを忘れると、みんな失敗する。実際、もうすぐ失敗しそうなのが、周りに何人かいる。
私自身はと言えば、このところ子どもを叱る回数が増えているのに少しだけ危機感を感じている。
確かに「来た道」ではある。が、ついつい感情に走りがちだ。それほど、息子には技も力も備わってきた。腹の立つこと多々である。
「年寄りを笑う」という感覚は、もともとない。「弱者に対しての強者であってはいけない」とは父親の言葉。父親は戦争の中で、強者と弱者を経験していた。
私の幼い頃は、日本の社会にもまだまだ差別が多かった。同級生にも生活困窮者がいたし、近所には戦争で負傷して乞食となった人もうろついていた。発達の遅い子は普通学校に併設された「特殊学級」に集められていた。
そんな時代。小学校に入ったばかりのこと、家の夕食時だったと思う。「貧しい家庭の同級生をクラスみんなで馬鹿にしたら楽しかった」と、学校での出来事を報告した。もちろん、父親にも母親にもきつく叱られた。そのとき「貧乏人を馬鹿にする人間こそ低劣な人間だ」と教えてもらった。
コント番組などの低俗なテレビ番組を見せてもらえなかったことも、今となっては感謝している。コント番組ばかりではなく、プロ野球も見せてもらえなかった。そのおかげで巨人ファンにならずにすんだことには本当に感謝している。
如かして、いま、自分は人を嘲笑するほどに品も格も低くないと自負している。
叱ることは、しばらくは減らせそうにないが、「笑う」ことは最小限に減らせる。と、思う。
いま、残念ながら、長所の発見よりも、短所の発見に力を注ぐ人間が多く棲んでいるこの社会。だれかが転んだらそれを見なかったことにする。そういう人間が、すごく少なくなってきた。目に見えるものしか見えない。実利ばかりを追う(もしくは組織に追わされている)生活の中では当然かもしれない。しかし、一人の男としては、随分と情けない生き方である。
男たちの平準化が進んでいる。「無駄」や「無用」が軽んじられ、生産性ばかりに目が行っている。社会が「女性化」している。危機なのかもしれない。
笑うな、年寄り。行く道だ。
なんだか、優しい気持ちにさせられる。人の心の機微というものを、改めて考えてみたい。そんな気にさせる言葉だ。
韻を踏んでいるから、心にも耳にも刻みがよい。最近のお気に入りだ。
言わんとするのは、相手の立場に立って考えてみよう、ということ。「まぁ、そんなに相手を責めるな。お前だって大したことなかろう」というところだ。
この「お前だって大したことないくせに」というのが大切だ。これを忘れると、みんな失敗する。実際、もうすぐ失敗しそうなのが、周りに何人かいる。
私自身はと言えば、このところ子どもを叱る回数が増えているのに少しだけ危機感を感じている。
確かに「来た道」ではある。が、ついつい感情に走りがちだ。それほど、息子には技も力も備わってきた。腹の立つこと多々である。
「年寄りを笑う」という感覚は、もともとない。「弱者に対しての強者であってはいけない」とは父親の言葉。父親は戦争の中で、強者と弱者を経験していた。
私の幼い頃は、日本の社会にもまだまだ差別が多かった。同級生にも生活困窮者がいたし、近所には戦争で負傷して乞食となった人もうろついていた。発達の遅い子は普通学校に併設された「特殊学級」に集められていた。
そんな時代。小学校に入ったばかりのこと、家の夕食時だったと思う。「貧しい家庭の同級生をクラスみんなで馬鹿にしたら楽しかった」と、学校での出来事を報告した。もちろん、父親にも母親にもきつく叱られた。そのとき「貧乏人を馬鹿にする人間こそ低劣な人間だ」と教えてもらった。
コント番組などの低俗なテレビ番組を見せてもらえなかったことも、今となっては感謝している。コント番組ばかりではなく、プロ野球も見せてもらえなかった。そのおかげで巨人ファンにならずにすんだことには本当に感謝している。
如かして、いま、自分は人を嘲笑するほどに品も格も低くないと自負している。
叱ることは、しばらくは減らせそうにないが、「笑う」ことは最小限に減らせる。と、思う。
いま、残念ながら、長所の発見よりも、短所の発見に力を注ぐ人間が多く棲んでいるこの社会。だれかが転んだらそれを見なかったことにする。そういう人間が、すごく少なくなってきた。目に見えるものしか見えない。実利ばかりを追う(もしくは組織に追わされている)生活の中では当然かもしれない。しかし、一人の男としては、随分と情けない生き方である。
男たちの平準化が進んでいる。「無駄」や「無用」が軽んじられ、生産性ばかりに目が行っている。社会が「女性化」している。危機なのかもしれない。
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