アコギおやじのあこぎな日々

初老の域に達したアコギおやじ。
日々のアコースティックな雑観

免許更新で感謝した

2007-09-10 | Weblog
 運転免許証の更新に行ってきた。

 恥ずかしながら「違反者講習」である。2時間の説教を受けてきた。優良運転者は30分の講習で済むし、さらに免許証の有効期間が5年。違反者は3年なのだ。

 優良運転者とは講習を受ける会場が違うため、おのずと「違反者」か「優良運転者」かは分かる。講師は交通警察官のOBだろうが、なんだか、やっぱり扱いが違う。

 われわれは、端から「犯罪者」扱いのような気がした。

 45歳になって説教を受けるのだから情けない。しかし、「こんな機会がなかったら、また違反するだろうな」と、今回の講習を有難いものだとも思った。こういう機会を設けてもらって感謝。調子に乗っていえば、講習を受ける機会を得られたという意味で、大きな実害を生まなかった「交通違反」をすることができて幸運だった。






 子どもをもって、初めてその重さを実感する荷がある。「守る」という義務である。


 福岡のあの事故は、一年経った今でも、現場の様子は想像したくない。どんな悲鳴があったか、どんな嗚咽があったか。頭の中に描きたくない。

 3人の子どもの両親の痛恨事は、きっと、加害者の行為ではあるまい。その後の加害者の無責任な言い逃れでもあるまい。どんな悪質な行為に対してでも、結果として「宝物」を「守れなかった」。それが極めに達する痛恨であろう。

 それを思うと、頭が真っ二つに割れてしまう。心が引き裂かれる。


 私は決して優良運転者ではない。いや、悪質に近い。福岡の悲劇を、自分も生み出していたかもしれない。結果として、人を不幸にせずに運転してこられたが、それもまた幸運でしかなかった。

 「守る」という義務だけは全うしたい。ましてや、加害者として福岡のようなことを産み出すのだけは絶対にいやだ。「親」として「運転者」としてというのでなく、人として。



 きょうの講習は有難かった。

 講師の態度は少々気にかかったが、考えてみれば、それも有難い。「違反者」は、相応の扱いを受けなくては、反省の機会さえないかもしれない。


 いま、新しい免許証をしげしげと見て、思うのである。「人に不幸をもたらさないよう」と誓う。そして、息子の健康な成長を願うのである。あと、「老けたなあ、おれ」と思うのである。

 ともかく、免許センターの講師の人、きょうはありがとう。でも、もう少し客商売を経験したほうがいいかなあ、受け付けの人も含めて。
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