おはようございます。
岐阜の旅をお送りしているわけ真っ最中なのですが、GWにはまた岐阜県へと行ってきました。まあ行ったと言ってもメインは愛知県の方で、岐阜県内は帰りの駅を目指して通り過ぎただけ。この旅の模様はまたいずれに機会を得てお送りすることとして、今回は名鉄の廃線跡をたどって岐阜市内を目指す話をお送りしていきたいと思います。
名鉄本揖斐駅があった所から廃線跡をたどって走って行くと、上の写真にある黒野駅があった場所へとたどり着く。谷組方面との分岐点で昔の画像を見ても大きな駅と言った感じだが、いまは公園としてその時にあったホームを1本だけと資料館となる駅舎を残している。ただこのホームの姿を見ただけでは往時はこんな駅だったんだなあと言う様子を思い浮かべることはできない、その頃は乗換駅として人と電車で賑わっていたであろう駅も、今は子供の遊び場と言った感じだろうか、大きな子供も喜びそうやけどね。駅舎はなかなか風情がある感じ、中に入ると、やあ~懐かしいなあ、プラレール、自分(一人称)も子供の頃は持ってましたよ。最近開館した鉄道博物館ではリアルに再現した感じの鉄道模型で車両の運転が行われたりしているが、自分的にはプラレールの方が温かみがある感じがして好きだ。レールや車両もいいけど、トンネルとか踏切とか駅とか言ったアクセサリーがまた良かったんだよなあ、まさに「ビー玉、ベーゴマ、プラレール、やったわやった、懐かしいなあ~♪」と言ったところですか。
黒野駅から先で廃線跡を見逃してしまったので、ここからは国道303号線を走って本巣市へと入る。緩みがちだったペースもこの辺りでは少し回復した感じ、そして高校野球の方は智辯学園がリードして中盤戦へ、ただ毎回ピンチの連続なのはいただけない、リードはしていても押され気味な感じは否めない。
町の中心地の手前でやっと廃線跡を見つけた、写真1枚目にある土の盛った部分がそうなのだが途中で途切れていて、その部分を地上で線路が横切っている、樽見鉄道の線路である。あっ、ちょうど踏切が鳴ったので電車を写真に収めることにしよう。電車が通り過ぎて踏切が開くと、左手側にホームが見えたので行ってみることにする。そこは北方真桑駅、町の雰囲気からするとこの駅が本巣市の中心駅になるのだろうか。素朴さを感じる駅舎、中を通り過ぎると少し距離がある場所に島式のホームが1本、さっき電車が行ったばかりなので人の姿はなく、町中にあるのに雰囲気はまさにローカル線の駅と言った感じだ。
駅前の交差点は国道が交差していて双方に車が行き交っている、そこを過ぎて町中へと入って行く、やはりこの辺りが本巣市の中心となる所か。国道から少し外れて廃線跡が通じているだろう場所へと向かって行くと、やがて写真1枚目、2枚目にあるホーム跡がある場所へとたどり着く。何と言う駅名かは分からないが、相対式ホームになっている辺りはやはり町の中心駅であったのだろうと言う雰囲気を残している。樽見鉄道が大垣へと通じているのに対して、こちらは岐阜へと通じていたわけだが、岐阜市の中心辺りは路面電車だったことがネックにでもなったのだろうか、モータリゼーションの発達の影響だろうか、どのような理由で廃止されたのかは分からないが、このようにまだホームが10年以上経っても往時をしのばせる感じで姿を残しているのを見ると何とかも夢の跡と言った雰囲気だ。
この後少しだけ町中を巡って、その模様は次回にでも少しだけお伝えすると思います・・・、国道157号線を先へと進んで行く。智辯学園が2点追加してこの時点で4-0、相変わらずピンチの連続でまだ安心はできないが、気持ち的にはさっきよりも更に余裕ができた感じ、さあ、走りもそんな調子で行きたいところ。途中では尻毛と言う、まあ、何てお下品な地名ですこと、町を通り過ぎる、道は狭いが交通量は多くて、この辺りはラジオのボリュームを抑えて行かなければ危ない所。その途中で突然野球中継が中断し、ニュースのアナウンサーの声、東海地方で地震があったと言っている。愛知県で震度2の地震があったとのことで、岐阜市も震度2を記録している、とは言っても自転車で走っていたらそれくらいの揺れは気づかない、さあ、気を取り直して先を急ぐこととしよう。
道はそのうち河川敷へと差し掛かり、向こう側には忠節橋が見えてきた。もうこの辺りは岐阜市内に入っているが、岐阜の町となるとやはりこの橋を越えなければ実感できない。その忠節橋を渡っていると、進行方向左手側、川の向こうの山の上にチョコ~ンと乗っかった岐阜城の天守閣が見える。もちろん時間の都合でお城を見に行くことはできないが、この先はその岐阜城のある付近から岐阜市内に点在する登録有形文化財を巡って行く予定。あらかじめ予習しておいた頼りない情報だけで、まったく未知の町を走って行くことになる話はまた次回です、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち
岐阜の旅をお送りしているわけ真っ最中なのですが、GWにはまた岐阜県へと行ってきました。まあ行ったと言ってもメインは愛知県の方で、岐阜県内は帰りの駅を目指して通り過ぎただけ。この旅の模様はまたいずれに機会を得てお送りすることとして、今回は名鉄の廃線跡をたどって岐阜市内を目指す話をお送りしていきたいと思います。
名鉄本揖斐駅があった所から廃線跡をたどって走って行くと、上の写真にある黒野駅があった場所へとたどり着く。谷組方面との分岐点で昔の画像を見ても大きな駅と言った感じだが、いまは公園としてその時にあったホームを1本だけと資料館となる駅舎を残している。ただこのホームの姿を見ただけでは往時はこんな駅だったんだなあと言う様子を思い浮かべることはできない、その頃は乗換駅として人と電車で賑わっていたであろう駅も、今は子供の遊び場と言った感じだろうか、大きな子供も喜びそうやけどね。駅舎はなかなか風情がある感じ、中に入ると、やあ~懐かしいなあ、プラレール、自分(一人称)も子供の頃は持ってましたよ。最近開館した鉄道博物館ではリアルに再現した感じの鉄道模型で車両の運転が行われたりしているが、自分的にはプラレールの方が温かみがある感じがして好きだ。レールや車両もいいけど、トンネルとか踏切とか駅とか言ったアクセサリーがまた良かったんだよなあ、まさに「ビー玉、ベーゴマ、プラレール、やったわやった、懐かしいなあ~♪」と言ったところですか。
黒野駅から先で廃線跡を見逃してしまったので、ここからは国道303号線を走って本巣市へと入る。緩みがちだったペースもこの辺りでは少し回復した感じ、そして高校野球の方は智辯学園がリードして中盤戦へ、ただ毎回ピンチの連続なのはいただけない、リードはしていても押され気味な感じは否めない。
町の中心地の手前でやっと廃線跡を見つけた、写真1枚目にある土の盛った部分がそうなのだが途中で途切れていて、その部分を地上で線路が横切っている、樽見鉄道の線路である。あっ、ちょうど踏切が鳴ったので電車を写真に収めることにしよう。電車が通り過ぎて踏切が開くと、左手側にホームが見えたので行ってみることにする。そこは北方真桑駅、町の雰囲気からするとこの駅が本巣市の中心駅になるのだろうか。素朴さを感じる駅舎、中を通り過ぎると少し距離がある場所に島式のホームが1本、さっき電車が行ったばかりなので人の姿はなく、町中にあるのに雰囲気はまさにローカル線の駅と言った感じだ。
駅前の交差点は国道が交差していて双方に車が行き交っている、そこを過ぎて町中へと入って行く、やはりこの辺りが本巣市の中心となる所か。国道から少し外れて廃線跡が通じているだろう場所へと向かって行くと、やがて写真1枚目、2枚目にあるホーム跡がある場所へとたどり着く。何と言う駅名かは分からないが、相対式ホームになっている辺りはやはり町の中心駅であったのだろうと言う雰囲気を残している。樽見鉄道が大垣へと通じているのに対して、こちらは岐阜へと通じていたわけだが、岐阜市の中心辺りは路面電車だったことがネックにでもなったのだろうか、モータリゼーションの発達の影響だろうか、どのような理由で廃止されたのかは分からないが、このようにまだホームが10年以上経っても往時をしのばせる感じで姿を残しているのを見ると何とかも夢の跡と言った雰囲気だ。
この後少しだけ町中を巡って、その模様は次回にでも少しだけお伝えすると思います・・・、国道157号線を先へと進んで行く。智辯学園が2点追加してこの時点で4-0、相変わらずピンチの連続でまだ安心はできないが、気持ち的にはさっきよりも更に余裕ができた感じ、さあ、走りもそんな調子で行きたいところ。途中では尻毛と言う、まあ、何てお下品な地名ですこと、町を通り過ぎる、道は狭いが交通量は多くて、この辺りはラジオのボリュームを抑えて行かなければ危ない所。その途中で突然野球中継が中断し、ニュースのアナウンサーの声、東海地方で地震があったと言っている。愛知県で震度2の地震があったとのことで、岐阜市も震度2を記録している、とは言っても自転車で走っていたらそれくらいの揺れは気づかない、さあ、気を取り直して先を急ぐこととしよう。
道はそのうち河川敷へと差し掛かり、向こう側には忠節橋が見えてきた。もうこの辺りは岐阜市内に入っているが、岐阜の町となるとやはりこの橋を越えなければ実感できない。その忠節橋を渡っていると、進行方向左手側、川の向こうの山の上にチョコ~ンと乗っかった岐阜城の天守閣が見える。もちろん時間の都合でお城を見に行くことはできないが、この先はその岐阜城のある付近から岐阜市内に点在する登録有形文化財を巡って行く予定。あらかじめ予習しておいた頼りない情報だけで、まったく未知の町を走って行くことになる話はまた次回です、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。 まちみち