肥後観音寺では、毎月18日に「観音寺寺報」を発行しています。
主人が原稿を書き、それを私がパソコン入力し、一言添えたカットを描いています。
今月号の一部は「毎日が修行です」という内容でした。
『修行というと、お寺にこもってお経を詠んだり、滝に打たれたり、きついことをするものだと思う人も多いと思います。
なにか普段と違う特殊なことをするものだから、簡単にはできない、と思っているかもしれません。
しかし、本来、この世に生を受け、生きていくこと自体が修行なのです。
神様は一生懸命修行している人たちには、必ず福運を与えてくれます。
しかし、修行の期間はだれにもわかりません。
これまでの生き方もそうですが、前世での修行も加味されるので、ちょっと努力しただけで、
すぐに福運に恵まれる人もいれば、なかなか恩恵にあずかれない人も出てきます。
すると、こんなに努力しているのに、ちっとも結果が出ないとか、毎日お参りしているのに、
病気になってしまったとか、一生懸命仕事をしているのに、うまくいかないなど、
辛いことが続いたり、思うような結果がでないと、つい神様なんていないんじゃないか、
無駄なことをしているんじゃないかと、不安になり、愚痴が出てきて、修行を止めてしまう人がいます。
しかし、それはまだ修行の途中なのです。そこで止めてしまったら、元も子もありません。
せっかくもう少しで神様のパワーをいただけるところだったのに、元に戻るどころか、
かえってマイナスになってしまいます。
そうなると、未成仏霊や生霊、邪気などが待ってました、とばかりに取り憑いてくるのです。
昨今、正気の沙汰とは思えないような事件が多発しています。自分の軽はずみな行動が、
どれだけ周りの人を悲しませ、不幸にするのかを考えることが出来なくなっていて、
まさしく、霊に取り憑かれているとしか思えません。
期限を気にせず、毎日が修行であることを自覚すること。
これが幸福になる一番の近道なのです。』
帰り際、一人の方が「ここにお参りするようになって、いろんなお陰をいただき、
本当に、通い続けてよかったと思います。」と言われました。
すると他の方も、私も、私も、と次々に体験を語られていました。
みなさん、感謝の気持ちを持っていらっしゃるのがすばらしいですね。
主人が原稿を書き、それを私がパソコン入力し、一言添えたカットを描いています。
今月号の一部は「毎日が修行です」という内容でした。
『修行というと、お寺にこもってお経を詠んだり、滝に打たれたり、きついことをするものだと思う人も多いと思います。
なにか普段と違う特殊なことをするものだから、簡単にはできない、と思っているかもしれません。
しかし、本来、この世に生を受け、生きていくこと自体が修行なのです。
神様は一生懸命修行している人たちには、必ず福運を与えてくれます。
しかし、修行の期間はだれにもわかりません。
これまでの生き方もそうですが、前世での修行も加味されるので、ちょっと努力しただけで、
すぐに福運に恵まれる人もいれば、なかなか恩恵にあずかれない人も出てきます。
すると、こんなに努力しているのに、ちっとも結果が出ないとか、毎日お参りしているのに、
病気になってしまったとか、一生懸命仕事をしているのに、うまくいかないなど、
辛いことが続いたり、思うような結果がでないと、つい神様なんていないんじゃないか、
無駄なことをしているんじゃないかと、不安になり、愚痴が出てきて、修行を止めてしまう人がいます。
しかし、それはまだ修行の途中なのです。そこで止めてしまったら、元も子もありません。
せっかくもう少しで神様のパワーをいただけるところだったのに、元に戻るどころか、
かえってマイナスになってしまいます。
そうなると、未成仏霊や生霊、邪気などが待ってました、とばかりに取り憑いてくるのです。
昨今、正気の沙汰とは思えないような事件が多発しています。自分の軽はずみな行動が、
どれだけ周りの人を悲しませ、不幸にするのかを考えることが出来なくなっていて、
まさしく、霊に取り憑かれているとしか思えません。
期限を気にせず、毎日が修行であることを自覚すること。
これが幸福になる一番の近道なのです。』
帰り際、一人の方が「ここにお参りするようになって、いろんなお陰をいただき、
本当に、通い続けてよかったと思います。」と言われました。
すると他の方も、私も、私も、と次々に体験を語られていました。
みなさん、感謝の気持ちを持っていらっしゃるのがすばらしいですね。