火の国未来づくりの菊池地域ブロックで、「地域の魅力再発見の旅」が企画されたので
参加してきました。
~加藤清正公の治水工事遺産めぐりと地域づくりの今~
加藤清正は、1588年27歳で肥後藩の大名となり、1611年に死去するまで
熊本県下、至る所で土木工事を行っています。
土木の神様といわれ、耕地を増やしたり、人々の安全を守るために治水工事や川作りを行っています。
菊陽町にある鼻ぐり井手もその一つです。
白川から取水し、荒畑地を水田に変えようと、井手を掘削築造しようとしたのですが、
阿蘇の火山灰を含んだ水は、井手底に土砂が体積することが予想されました。
しかし、ここは水を流すために山を削り、更に岩盤を20mも掘り下げないといけないので、
堆積した土砂を除去するのは困難です。
そこで、岩盤を掘り下げるとき、5mごとに約1mの厚みで岩盤を80ヶ所残し、
井手の底の部分に水流用にかまぼこ状の穴を開けてあります。
取水口からの水は、各水槽を通過するとき、下の穴から勢い良く流れ出すので、
次の槽に噴出して渦巻きを作り、土砂を巻き上げながら次々と下流へ押し出していく仕組みです。
現在は、24基のみですが、400年前と変わらず、今も現役の灌漑用水として働き続けています。
長い間、竹やぶに覆われていたものが、平成3年の台風による倒木で姿を現したもので、
公園化され、見学できるようになってまだ10年ほどです。
その間も、土砂が溜まることもなく、しっかり役目を果たしていたんですよね
今は冬場で水量が少ないため、渦は初めの槽だけしか見られませんでしたが、
それでも水深は1、5mほどあるそうです。
毎年11月の第3日曜日には、水を止めて、人が中に入って歩けるということなので、
今年はぜひ体験したいものです。
参加してきました。
~加藤清正公の治水工事遺産めぐりと地域づくりの今~
加藤清正は、1588年27歳で肥後藩の大名となり、1611年に死去するまで
熊本県下、至る所で土木工事を行っています。
土木の神様といわれ、耕地を増やしたり、人々の安全を守るために治水工事や川作りを行っています。
菊陽町にある鼻ぐり井手もその一つです。
白川から取水し、荒畑地を水田に変えようと、井手を掘削築造しようとしたのですが、
阿蘇の火山灰を含んだ水は、井手底に土砂が体積することが予想されました。
しかし、ここは水を流すために山を削り、更に岩盤を20mも掘り下げないといけないので、
堆積した土砂を除去するのは困難です。
そこで、岩盤を掘り下げるとき、5mごとに約1mの厚みで岩盤を80ヶ所残し、
井手の底の部分に水流用にかまぼこ状の穴を開けてあります。
取水口からの水は、各水槽を通過するとき、下の穴から勢い良く流れ出すので、
次の槽に噴出して渦巻きを作り、土砂を巻き上げながら次々と下流へ押し出していく仕組みです。
現在は、24基のみですが、400年前と変わらず、今も現役の灌漑用水として働き続けています。
長い間、竹やぶに覆われていたものが、平成3年の台風による倒木で姿を現したもので、
公園化され、見学できるようになってまだ10年ほどです。
その間も、土砂が溜まることもなく、しっかり役目を果たしていたんですよね
今は冬場で水量が少ないため、渦は初めの槽だけしか見られませんでしたが、
それでも水深は1、5mほどあるそうです。
毎年11月の第3日曜日には、水を止めて、人が中に入って歩けるということなので、
今年はぜひ体験したいものです。