まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

じょんならん

2017-12-08 00:03:09 | 日記

四年前も
12月だった

南青山の珈琲屋
カウンターにぎっしり
座るひとも
その背後に、椅子と椅子の間を
埋めるように立つひとも

目の前のレジェンドが
まさに伝説のなかに
溶けてゆく様を
じっと見守る

大の男たちが
心のなかで
べしょべしょ泣いてるのを
眺めていた

永遠なんてものはなく
大事なことは、そこに
あるわけでもなくて

ただそこに満ちてる空気の
静かで熱かったのを
覚えてる

いや、正しくは
思い出した


白楽の駅からは
大通り一本隔てた
通称「裏六角」に
讃岐うどん屋ができたのは
6年9ヶ月前

本場で修行してきた
大将が屋号に選んだのは
「じょんならん」
かの地で「どうしようもないやつ」
を意味する方言で
育てるのに苦労した師匠の
口癖だったとか

店に掲げている師匠の
満面の笑みの写真を見ても
大将がどれほどの決意で
お店をやっていたのかが
よく解る

若いスタッフを育てながら
忙しく働いてる大将は
たいてい、いつ訪れても
マスクの下でときどき
咳き込んでた
かとおもったら
ある日は自転車で転んだとかで
立てずに厨房で腰かけたまま
スタッフを口で動かしてた

店でほかの客に話してたのが
聞こえてきた

あのやぶ医者、全然薬効かねぇよっていったら、てめぇこのやろー治す気あんのかこらって言いやがった

確かに
どんな薬飲んだとしても
休養は要るから
医者の言い分もわかる
ずいぶん口の悪いやつだけど

それでも毎日
近所の学生やOBが
アニキのように慕ってやってきて

大将は彼らを呼び捨てにして
お前ひさしぶりじゃねーか、
まいんち来いよ、
とか言っては
昨日も来たじゃないっすか
と返されていた

忘れてるわけじゃない
むしろ大将の記憶力は
すさまじくて
三年前にいちど来ただけの客でも
再訪すれば覚えてるらしい

わたしたちは家族で行くことが
多かったので
わたしは「おかーさん」って
呼ばれてた
ムスメはおねーちゃん、坂本さんはおとーさん
家族が揃わずに行くと
今度はおかーさんと、
おねーちゃんと、
おとーさんと、
来てねって必ず言われる

突然すぎる閉店のお知らせに
大勢押しかけてくるここ数日

今日なんて平日にもかかわらず
350人は来た、と

へとへとな様子の大将に
思わず
なんか手伝います?って
言ったら笑って断られたけど
お皿くらい洗えるのに

寒空の行列から抜けて
中の大将に
またあとで来ます、と声をかける
バリッとスーツのサラリーマン
おう、またな、と答える大将

あるいは、外に並んでる子に
おまえいったん家帰って
着替えてから
また来いよ、と言う
なんか塾の先生みたいだ

くたくたでも
忙しくても
オーダーさばききれなくても

カウンターのお客全員と
短くても会話してるのは

大将の、感謝と惜別の気持ち

外にいる人らを思えば
そそくさ出るしかなくて
ごちそうさま、と声をかけると

おとーさん、もう来ない?
もっかいくらい来てよ
今度はおねーちゃんと

あした、あさって、
しあさって
与えられた期間の
なんと儚いことか



南青山の38年の歴史には
くらべたらあまりに短いけれど

そのお店の
その店主の
偉大さは

お店を閉めるという
なんともいえず
辛く悲しい状況を
店主と一緒にその場で受け止め
お別れを惜しみながらも
新しい人生をはじめる店主を
そっと応援するひとたちが
どれほどいるか
で、決まるような気がする

集まるひとたちの
体温で
ひとつの終焉を
昇華させるような
そんな空気は
じょんならんも大坊に
負けてない

OL三年生くらいの
女の子が

じゃ、またね大将、
またどっかでね

と元気に言って
立ち上がるのを
眩しいような
切ないような
気持ちで
マフラー巻いた首のうしろに
聞いていた