栗吉の顔を見ている。
視線の先には何もない。
物思いに耽っているような。
ぼんやり漂っているような。

こんな表情を見ていると、京大過去問2015年度2番を思い出す。
「無」についての文章である。
曰く、
実際のところ、「無」は謎のままであるだけでなく(むしろそのためにこそ)、あらゆる場面にその姿を現し続けている。それは、私たちが気づいていようといまいと関係なく。
曰く、
『無』は、かつて禁じられた思考の奥深くから抜け出し、哲学や宗教の聖なる殿堂に迎え入れられ、そしてついには世界へと解き放たれたのだ。
生徒たちは皆、『一体これはなんやねーーん?ww』という。
とりあえずは、「無」は哲学の究極的問いだと答える。
けれどね、そんなことはどうでもいい。
この写真の中の栗吉の眼差しが「無」ではなく「存在」を語っていることを、私は強く認識するのですっ!!
・・・なーーーんちゃって、語ることも何もない深夜、適当なことをカタカタと打ち込んでいたのでしたとさ。ww
高崎市の行方不明猫『まめちゃん』です。

2015年、京大の試験会場の上に浮かんだ、巨大な『?』が見えるようです。なんか理屈って、難しくこねくり回した言い回しをした者勝ちって気がしません?相手が『?』の連打でダメージを受けているうちに、わけも分からないまま丸め込まれているという。まあ、1つだけ、面倒くさいってことだけは理解できました。
猫さまは、その面倒くささにうんざりして、無を見つめるのでしたとさ。今こそ、『無』を『夢』に変えられる者が、求められるのだ!!なんのこっちゃ。
今日は、マクドナルドのポテトの食べ残しとブロッコリーで作った、スパニッシュオムレツの元気玉です。今朝は、残り物をおかずに変えられる者が、求められたのだ!!